第2話:空飛ぶバレーボール

「……ッ!」


 それは、音量としてはかすかなものだった。

 けれど、俺の耳は確かにそれを拾った。

 

 そこからの反応は、早い。

 頭が考えるよりも早く、両足が床を蹴る。


「なんっ!?」


 なんだこの反応速度!

 いや、反応速度もおかしいが――。

 この体、身体機能そのものがおかしい!


 ちょっと想像してみて欲しい。


 推定2メートル越えの大男。

 しかも、全身これ筋肉といった様相。

 これで角やら牙が生えていたら鬼か何かだ。


 ……生えてないよな?

 

 とにかく。


 そんな大男が、軽やかに宙を舞う。

 まるで、凄腕の軽業師のごとく。

 しかも全裸で、だ。


 思わず変な声も出るだろう。


 ――いや、この際全裸なことは置いておこう。

 まだ混乱している。

 混乱するな、というのが無理では?


 とにかくだ。


 跳躍し、音もなく着地する。

 ドアからは十分な距離が取れた。

 

 それにしても……。

 反射的にやって、出来てしまった。

 だけど、この図体でこの動きって何だ?


 筋肉尽くしだぞ? 体重いくらあるんだ?

 なのに、音も無く着地って……。


 色々と、おかしくねえ?

 割ととんでもないことだよな?


 そうかもしれない。

 けれど。

 いまは、そちらに思考を割くべきではない。


 余計な方向に思考が逸れる。

 それを別の思考が軌道修正する。


 そうだ。

 いまはそんなことをしている場合じゃない。

 そのとおりだ。


 ……待ってくれ。

 さっきから俺の頭の中で、複数の俺が同時に話してる?


「……」


 すごく、気持ちが悪い。

 気持ち悪いが、いまはそちらに思考を割く余裕がない。

 それは確かだ。


 深く息を吸い、ゆっくりと吐く。


 呼気と共にドアがゆっくりと開いていく。

 だが、その開閉速度は随分と遅い。


 ――遅すぎる。

 普通、もっとシュッと開くもんじゃねえか?

 あれじゃ部屋から出る時にぶつかるぞ?


 そんな風に思考が逸れるのを感じながら。

 開いていくドアの先を、睨む。


 同時に、視界の中で改めて武器を探す。

 視線は動かしていない。

 注視しているのも、ドアの向こうだ。

 なのに、そこらにあるものが認識できる。

 ――結局、武器になりそうな物はなかった。


 思考もそうだが、これも気持ちが悪い。

 昨日までと、世界の見え方が違いすぎる。


 本当に俺の体は一体どうなってるんだ?


 ちくしょう、と心の中で罵る。


 その時、耳が拾った音の正体が割れた。

 モーターの音だ。とても静かな。

 周囲が無音、かつ"ある"とわかって集中して。

 それで、ようやく聞き取れるかどうか。

 そのくらい静かだ。


 何かが、来る。それは間違いない。


 それが敵なのか否かは、わからない。

 また「わからない」だ。


 ちくしょうめ。


 いいや。そもそもの話。

 俺にわかることなんて。


「何かひとつでも、あるのかよ?」


 そんな皮肉が、口をつく。


 ドアが開いていく。

 モーター音も近づいてくる。

 ドアが、開く。


「……ッ!」


 武器は、ない。

 なら、俺の取れる手はこれしかない。

 拳を握りしめて、顔の前で構える。


 怪物が顔を出す。通りがかった誰かが来る。

 あるいは、何も起きない。


 想定がいくつもいくつも湧いて巡って。

 頭の中から溢れ出しそうになる。


 考えて、打ち消して、また考えて。


 手足が思考に縛られかける。


「――知るかよ」


 だから。

 俺は罵声ひとつでそれを全部切り捨てた。

 出てくるものが誰であれ、何であれ。


「やるってんなら、相手をしてやる……ッ」


 虚勢を口にする。


 ただの自棄だ。その自覚はある。


 けれども、何一つ、わかることがない。

 そんな時に正体不明の何かが、やってくる。


 ならばだ。


 そいつをブン殴ってやろうって思うのは。

 別に、不思議なことじゃないだろう?


 そう自分に言い訳をする。


 ついにドアが開ききった。

 ドアの向こうは真っ暗だ。

 

 闇を、じっと睨む。

 

 モーター音は闇の中で止まっている。

 こちらからは、見えそうで見えない位置だ。


 だから、俺の視界に飛び込んできたのは。

 俺が把握していたモーター音の主とは違う。

 また別の、"何か"だった。


 ――ふわり、と。


 音もなく、それは部屋の中に入ってくる。

 音がないのは当然だ。それには足がない。

 足がないどころか、手もない。胴体もない。


「……玉?」


 一言で言うなら、それは玉だった。

 宙に浮かんだ、丸い玉。


 そうとしか表現ができない。


 大きさ的にはバレーボールくらいだろうか。

 全体的に白っぽい外観がそのイメージを補強する。


 そいつがバレーボールと違う点。

 中央で光るカメラが、黄色く瞬く。

 そもそも、質感はどうみても金属だ。


 ……そこだけでもう、バレーボールじゃねえな。


 それがふよふよと漂って、近づいてくる。

 "ふわふわ"ではなく、"ふよふよ"だ。

 なんとなくだが、敵意はなさそうに見える。


 ふよんふよん、と玉が俺の周りを回る。

 時折、斜めになって急停止したりする。


 なんだ。想定よりも行き過ぎたのか?

 ……で、何がしたいんだこいつ?

 俺は玉の意図が掴めず、少し困る。


 ――いや、ただ玉って呼ぶのも味気ないか。

 なんか、適当に呼び名を決めよう。


 玉だからボール?


 いや流石に安直すぎる。

 玉と大して変わんねぇ。


 ドローン……。


 いや。駄目だ。

 別の種類がいたら混ざっちまうな。

 というか、これも安直にすぎる。


 さっきから、カメラを向けて浮いている。

 どうもこっちを調べているように見える。


 センサーボール……。

 いや、カメラが目玉みたいだしな。

 

 アイ・スフィア?

 うぅむ、まだ長ぇな。


 スフィ……辺りでいいか。

 これにしよう。


 心の中で呼び名を決める。

 変化が起きたのは、その時だった。


「!?」


 スフィの中央。

 目のように見えるカメラが突然光った。

 咄嗟に手を眼の前にかざす。

 が、しばらく経っても痛みも何もこない。


「なんだ、よ……?」


 かざした手を下ろす。

 

 スフィのカメラが光っている。それだけだ。

 ただの光と違うのは、扇型だってことだけ。

 スフィがその扇型の光を出したまま、動く。


「なんだなんだ。何してんだ」


 また俺の周りをふよふよと漂いだした。

 右から左から、上から下から。

 全身に満遍なく光を浴びせられる。


 ただの光だ。痛みはない。

 だが、自分の中身を調べられている。

 なんとはなしに、そんな感触があった。


 その感触に、肌がほんの少しだけ粟立つ。


 ……ところで。


 瞬きするみたいにシャッター下ろすな。

 その時に斜めになるのもやめてくれ。

 「変だなぁ」みたいな素振りを見せんな。


 めちゃくちゃ気になるじゃねえか。


 ひとしきりそうやって。

 時折「変だなぁ」というように傾ぎつつ。

 それでも必要な分、光を当て終えたようだ。

 

 スフィのカメラにシャッターが下りた。

 一呼吸を置いてから、音を立てて開く。

 再び現れたカメラの色は青くなっていた。


 スフィはふよりと漂い、俺から少し離れる。

 そして、廊下の方にカメラを向けた。


 ――<ピッ。ピピッ>


 丸いボディから短い電子音が上がる。

 それが何かしら合図にでもなっていたのだろう。

 廊下の向こうから、モーター音が近づいてくる。


「……今度はなんだ……?」


 呟く。


 ともあれ、空飛ぶバレーボールが出てきた。

 んじゃあ、次は一体何が出てくるってんだ?


 暗闇に、ぼうっと緑の光が灯った。

 ゆっくりと、ゆっくりと近づいてくる。

 やがて見えてきたのは――ロボットアーム?


 やたら一生懸命な感じに上下に揺れる。

 そんな機械の腕だった。


 ……お前、何やってんだ?

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