RustMan:LastStand

狐尾 唯路

Chapter1: Re:boot

第1話:ある日、目を覚ましたらゴリラでした

 意識の覚醒は、唐突だった。


「グッ、ガッ……ゴホッ、ゲホォッ!」


 むせる。

 ひとつ咳き込むたびに、喉奥から何かが溢れ出る。


 足に力が、入らない。

 俺は両膝から崩れ落ちた。


「ッ!」


 どうにか両手を出すのが間に合う。

 顔面から床に突っ込むのは避けられた


 けれど、むせるのが止まらない。

 その度に、ビシャベシャと湿った音が顔の下から聞こえた。


(くそ、鼻の奥が痛ぇ……!)


 鼻から盛大に水を吸った時みたいだ。


 苦しい。頭が、回らない。


 ああ、クソ。ちくしょう。


 そのまま、しばらくむせ返り続けて、やっとマトモな呼吸ができるようになった。


 「死ぬ、か、と思った……っ」


 ゼーゼーと喉を鳴らす。

 荒い息をつきながら目を開き、顔を上げる。


「あ?」


 気の抜けた声が漏れた。


 眼の前に見知らぬ空間が広がっている。

 俺が目覚めるべき、六畳一間の安アパート……では、ない。


 いま視界にある空間は、その倍以上に広い。

 どれだけ少なく見積もっても、だ。

 バスケットコートを思い出す。


 呆然として視線を巡らせる。


 飾り気の一切ない金属質の壁。


 電源の入っていない無数の壁掛けモニター。

 その一部は傾いて落ちかけていた。


 その下に、用途のわからない装置の残骸。


 反対側に目を動かせば、空っぽの薬品棚。


 そんなものばかりが、目に映る。

 それらの全ては朽ちているように見えた。


 だというのに、床だけはやたらとキレイだ。


 不気味なほどに。


 暗がりに沈んで、輪郭すらぼやけた空間。

 その中に、ただひとつ色彩が見える。

 10メートルほど先に灯った、赤いランプ。


 ――多分、ドアだ。


 確信は持てない。

 多分「キシュウッ」って感じの音を立てて開くだろう。

 だが、俺の部屋にそんなものはない。


 だから、ここは俺の部屋ではない。


「ど、こだ。どこだ、ここ?」


 戸惑いから声が漏れる。

 応えはない。

 そこは記憶と同じで、思わず悪態を吐く。


 とりあえず体を起こす。

 立ち上がった瞬間、ほんの少し違和感が混じった。


(目線、高くないか……?)


 普段よりも確実に高い位置にある、のか?


 そんな言葉が頭をよぎる。

 だが、直後に感じた肌寒さがそれを上書きした。


 息が白くなるほどではない。

 だが、この部屋の温度は低い。


(サーバールーム? いや、匂いが違う……)


 肌寒さは記憶とわずかに重なる。

 しかし、ここの空気には、あの独特のマシンの匂いはない。

 むしろ何の匂いもしなかった。不自然なほどに。


 ――ひとつでいい。記憶と同じものはないか!


 寒さからではない体の震えを感じる。

 それに気が付かないように、俺は必死に視線を動かした。

 そして、背中側を振り向いた時に。

 やっと"それ"に気が付いた。

 

「……これ、は?」


 間の抜けた声が漏れる。


 寸胴型をした大きくて透明なチューブ。

 人一人が放り込まれていても、まだまだ余裕がありそうな。


 ――培養槽?


 SFなんかではおなじみの代物が、デンと鎮座している。


 中に生体兵器が浮かんでいても、何ら違和感はないだろう。


 その表面は、大きく割れている。


 印象と事実。

 その2つが混ざって、最悪を想像する。

 背筋がゾッとする。


(もし、そいつがまだこの部屋にいるのなら?)


 俺は慌てて左右に視線を巡らせる。

 怪物に襲われて、真っ赤に染まるゲーム画面を思い出す。


 自然と呼吸が浅く、鼓動が早くなっていく。

 かすかに響く空調の音が、ひどく耳障りに聞こえた。


(ちくしょう。デッドエンドだけはゴメンだぞ!)


 そんな時、ふと右手に違和感があることに気がつく。

 ほんの少しだけ、痺れているような感じがする。


 自然、目が右手に落ちた。


 培養槽の底と、周囲に飛び散ったものと似たような液体。

 それが、指先から滴り落ちた。


(……俺が中にいたのか?)


 瞬間、馬鹿げた考えが脳裏をかすめた。


(まさか。そんなはずねぇだろ)


 否定する思考と、提示されている情報を冷静に紐づける思考が衝突する。

 知らず、乾いた笑いが口から漏れた。


「……ハハッ。ナイスジョーク」


 馬鹿げている。どう考えても。


 この状況に嫌気が指してきた。

 現実から目を逸らすように視線を上に向ける。

 

 少し落ち着くべきだ。

 ――余計なものを見なければ、少しはマシか?


 そう思って、右手で顔を覆おうとする。


「なんだ、こりゃ」


 けれど、眼の前にある自分の手のひらは。

 記憶にある自分の手よりも、明らかにデカく、そしてゴツい。

 そのことに、ようやく気が付く。


 「誰の手だ」と、思わず言いかけた。


 自慢にならないが、俺はモヤシだ。その自認がある。

 だから手も相応のものでしかなかった。そのはずだ。


 だと言うのに、いま目に映っているそれ。

 つまり、俺の手にはみっしりと肉が詰まっている。


 やたらと分厚く、硬そうだ。


 恐る恐る逆の手の指で触れてみる。

 予想通り、硬い。

 いや、これは予想以上に硬い。


 なんと言えばいいんだろう。

 「鉄板かなにかじゃないのか、これ」という感じだ。


 けれども、指で押せばその形にちゃんと凹む。

 そして離せば戻る。

 

 肉だってのか。嘘だろ?


「うっそだろ、お前……」


 恐る恐る、軽く腕を振ってみる。

 ただそれだけの動作が、まるで電車が通過する時のような音を出した。


 慌てて一通り見える部分を確認する。

 しかし、どこもかしこも似たようなものだった。


 腕も肩も胸も、そして下半身も。


 つまり全身が鍛え上げられた筋肉で覆われている。


 目線が高いような気がしたのも当然だ。

 高いのだ、実際に。

 確実に2メートルは越えている。


 もはや完全な別人――。

 いや、生物としての構造まで違うかもしれない。


 そんな自分を認めて、愕然とする。


 ――ここは、どこだ?

 ――なにが、どうなっている?


 だが、わからない。


 俺という存在の過去は、しっかりと思い出せる。

 わずかばかりのいい記憶も、それを塗りつぶす悪い記憶も、全て。


 昨日だって、そうだ。


 起きて、空腹を黙らせるためだけの飯を食って。

 一日、何をしていたかも曖昧なまま過ごして。

 入眠剤を飲んで、無理矢理に眠る。

 そんな、何の変哲もない一日だった。


 覚えている。


 部屋に染み付いた煙草の臭いも。

 入眠剤を飲んだ時の水道水の味も。

 潜り込んだ布団の湿っぽさも。


 全部、覚えている。


 夢、という可能性を疑って。

 あるいはすがって。


 分厚くなった手で、自分の頬を張り飛ばしてみる。

 これも軽くのつもりだったが、想定以上に派手な音が部屋に響いた。


 頬に、いままでに感じたことのない衝撃が走る。

 口の中には、薄っすらと血の味が広がっていく。


 だが、目は覚めない。

 見慣れた部屋の景色も、記憶にある自分の体も、戻ってはこない。


 つまりは。


「ヒ、ハッ。現実ってか? 笑えるぜ。ハッ、ハハ――」


 笑い飛ばすつもりで口に出した言葉はしかし。

 ひどく。そう、ひどくぎこちなく響いた。


 そして、肯定にせよ否定にせよ答えてくれる者は、いない。


「……冗談だろ?」


 思わず漏れた呟きは、部屋に転がり、そのまま消える。

 鳴り続ける鼓動が、やたらとうるさく響く。


 それはまるで「これが現実だ」と言っているようだった。


 ――その時、背後で。

 「プシッ」という空気が抜けるような音が、聞こえた。

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