Ep6 降りられない舞台

次の日、私は学校に行けなかった。


朝、目が覚めたとき、体が動かなかった。

いや、正確には、動かしたくなかった。


「瑠璃、起きなさい!」

母の声が聞こえる。

でも、返事ができない。


ドアが開き、母が入ってきた。

「何してるの! もう時間よ!」


「……行けない」

初めて、本音を言った。


「は? 何言ってるの? 早く起きなさい!」


「無理……もう、無理なの」


母は黙った。

そして、父を呼んだ。


「あなた、瑠璃が学校に行かないって……」


ドアが勢いよく開き、怒った顔の父が立っている。


「甘えるな! 学校くらい行け!」


「……無理」


「無理じゃない! お前は何でもすぐ諦める!

だから駄目なんだ!」


父の言葉が、ナイフのように胸を刺す。

でも、もう痛くなかった。

感覚が、麻痺していた。


「お前が何もできないのは、お前の努力が足りないからだ!

もっとちゃんとしろ!」


ちゃんと、する。

その言葉を、何度聞いただろう。

何度、応えようとしただろう。

でも、もう無理だった。


「……ごめんなさい」


それだけ言って、布団をかぶった。

父は舌打ちをして、部屋を出て行った。


一人になった部屋で、私は涙を流した。

声を出さずに。

誰にも聞かれないように。


携帯が震えた。

美月からの着信だった。

でも、出られない。

今、美月の声を聞いたら、私は壊れてしまう。


しばらくして、メッセージが届いた。


『瑠璃ちゃん、学校来てないけど、大丈夫?

心配だよ。何かあったら、いつでも連絡してね』


優しい言葉が、胸に刺さる。

私は、そんな優しさを受け取る資格がない。

だって、私は嘘つきだから。

ずっと、美月を騙してきたから。


窓の外を見ると、青空が広がっていた。

お願いだから、来ないでくれと。

震えた両手を合わせて、祈る。


それでも、朝はやってくる。

何度拒んでも。何度祈っても。


朝は必ず、やってくる。

そして、私はまた演じなければならない。

誰かの期待に応える、水瀬瑠璃を。


でも、今日はできなかった。

初めて、舞台から降りた。


その代償が何なのか、私にはまだわからない。

ただ、確かなことがひとつだけある。

この演劇は、まだ終わらない。

終わらせてくれない。


だから私は、また明日、舞台に立つだろう。

息をするのが苦しくても。

演じることに疲れ果てても。

それが、私の役割だから。


窓を閉め、カーテンを引いた。

暗闇の中で、私は目を閉じた。


せめて、夢の中だけでも。

本当の私に、会えますように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る