第14話 氷姫の拉致

 早朝の冷たい空気の中、ナルディーニ中佐は馬上から部下たちの整列を見渡していた。

 東の空はまだ暗く、霧が低く垂れ込めている。草の露が靴を濡らし、兵士たちの吐く息は白く曇った。


「出発する。目標は敵陣中央――“氷姫”の拉致だ。任務は明確、余計な戦闘は避けること。いいな」


 短く鋭い号令に、兵たちは一斉に敬礼を返した。

 その横に、バルトロメアが立っていた。深い緑色の軍服に身を包み、腰には短剣を挿している。


「情報が確かなら氷姫は、まだ眠っているはず」

 ナルディーニは短くつぶやき、馬に跨がる。

「第五師団が東側から陽動を仕掛ける。それに合わせて我々は西の森から侵入する。時間との勝負だ」


 夜明けとともに、部隊は進発した。


 午前、第五師団は長い行軍を経てロストフ軍の東側へ回り込み、丘陵地に陣を敷いた。

 指揮官マルテーゼ准将は双眼鏡を構え、遠くの敵陣を見やる。

 ロストフ軍はすでに布陣を整え、砲列が黒々と並んでいた。こちらの動きは完全に察知されている。


「敵も動きを読んでいたか……だが、ここで退くわけにはいかん。砲撃、用意!」


 正午を少し過ぎたころ、第五師団の野砲が一斉に火を噴いた。轟音が山々にこだまし、大地が震える。

 ロストフ軍もすぐさま応戦し、両軍の間に黒煙と火柱が立ち上る。

 火砲の爆音に混じって銃声が響き、開戦の合図となった。


 一方そのころ、西側の森の中では、ナルディーニ中佐率いる特別部隊が息を潜めて待機していた。

 遠くで砲撃の音が轟くたび、地面がわずかに揺れる。作戦開始の合図だ。


「始まったな。行くぞ」

 ナルディーニの声に、兵士たちは素早く散開した。

 森を抜け、霧に包まれた野を駆け抜ける。ロストフ軍の後方陣地は油断しており、警備も手薄だった。


 ところどころで銃撃戦が発生したが、抵抗は散発的で、熟練した特別部隊の敵ではない。

 数分後、彼らは目的地――氷姫の天幕の前に到達した。


 周囲の警備兵を短銃で沈黙させると、ナルディーニとバルトロメアは静かに幕をめくった。


 テントの内部は寒かった。

 そこには、銀糸のような髪を持つ少女が、寝台の上で静かに眠っていた。

 胸元には、白猫が丸くなって寄り添っている。猫の毛は霜のように白く、目だけが氷のような蒼だった。


 猫が気配を察して「シャーッ」と鋭く威嚇した。

 だが、バルトロメアが静かに膝をつき、優しく手を伸ばすと、その声色がやわらぐ。


「大丈夫……怖くないわ。ご主人を助けに来たの」

 猫は彼女の手を嗅ぎ、やがて抵抗をやめて身を預けた。


 ナルディーニは氷姫の体をそっと抱き上げた。体はとても冷たい。


 しかし、その瞬間――外で警笛が鳴り響いた。

 敵の騎兵が異変を察知し、殺到してくる。


「くそ、早かったな……!」

 ナルディーニは叫び、部下たちに命じた。

「戦乙女部隊、殿を頼む!」


 次の瞬間、三つの影が霧の中から現れた。


「私はアデリーナ――雷鳴の戦乙女!」

 彼女の槍が空に掲げられると、雷鳴が轟き、稲妻が敵の騎兵隊の中に落ちた。馬が嘶き、兵が次々と倒れる。


「クラリーチェ、風の戦乙女よ!」

「ファビアです、火炎の戦乙女!」

 二人が詠唱を重ね、風と炎が渦を巻いて敵陣を焼き払った。

 炎の竜巻が一瞬で草原を赤く染め上げ、ロストフ兵たちは混乱に陥る。


「今だ、撤退!」

 ナルディーニは氷姫を抱えたまま馬に飛び乗り、バルトロメアもそれに続いた。

 戦乙女たちが後方を守り、部隊は敵陣から離脱した。


 そのころ、東側では第五師団が激戦を続けていた。砲弾が飛び交い、銃撃と白兵戦が入り混じる。

 マルテーゼ准将のもとに伝令が駆け込む。


「報告! 氷姫奪回、成功とのことです!」


 准将は安堵の息を吐いた。

「よし、全軍撤退準備! 目的は果たされた!」


 それを受けて、参謀本部は第四、第六師団に援軍要請を発した。

 一方で、ロストフ軍も新たに二個師団を国境越えで投入してきたことが判明。戦線は拡大の兆しを見せていた。


 だが――氷姫を奪われたという報せは、ロストフ軍内部に衝撃をもたらした。

 彼女は戦略兵器とも呼ばれる存在、軍の象徴だったのだ。

 混乱したロストフ司令部は追撃部隊を出すこともできず、前線の圧力に押される形で撤退を決断した。


 こうして、ロストフ軍は国境線まで退いた。


 戦場を離れたナルディーニとバルトロメアは、氷姫を馬車に乗せ、護衛部隊とともに王都へ向かった。

 その途中、氷姫が微かに目を開いた。

 冷ややかな蒼の瞳が、彼らを射抜く。


「……あなたたち、誰……?」

 その声は氷のように静かで、しかし底に怒りが潜んでいた。


 ナルディーニは無言で応えず、バルトロメアがそっと言った。

「私たちは敵じゃない。ただ、あなたを……止めるために来たの」


 氷姫は目を細め、鋭い視線を送った。

 しかし、腕はロープで縛られ、体も動かせない。やがて疲れたように目を閉じた。


 王都に戻ると、軍務省の特別棟が封鎖され、氷姫は厳重な監視下に置かれた。

 扉の外には警備兵が二重に立ち、窓には鉄格子。

 氷姫は静かに椅子に座り、窓の外を見つめていた。


 その瞳には、凍てつくような光があった。

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