第4章 新人戦(3) 不運な出来事

練習5日目


 その日、ヒワたちは順調にサーマルリフトで高度を稼いでいた。

 今日は湿度も低く、高い位置に積雲が出始めている。2000メートルは超えそうだ。

 少し離れた場所で別のチームの鳥人たちがガグルを組んでいた。

 灰色がかった青色の羽根に、それぞれ違う白い模様が入っている翼で識別できる三羽で、お互いの距離を気にしながら旋回に集中していることが良く判る。

 高度はヒワたちの方が高い。

 そこへ低い高度で別の編隊が真っすぐ滑空して近づいてきた。黒の羽根に黄色の線が入っている一羽とこげ茶色に緑の模様の一羽で、かなりの速度で突っ込んでくる。三羽のガグルに入ろうとしているのか、それとも気が付ていないのか。

 ヒワが注視していると、二羽の編隊は速度を緩めることなく、三羽のガグルに突っ込んでいった。

 通常、ガグルが形成されているサーマルリフトに合流エントリーする時には、速度を十分殺して、先行の邪魔にならないようにするのが礼儀である。

―彼ら、気が付いていない!

 アヤハとアトリにも緊張が走るのが判る。

 はたして、突入した二羽は上昇気流に持ち上げられ、速度を保ったまま上昇を始めた。三羽のうち、高い高度にいた二羽と急速に高度差がなくなっていく。

 ようやく気付いた鳥人たちが、回避行動をとる。

 先頭を飛んでいた黒の翼はからくも一番高いところを旋回していた鳥人をかわすことができた。

 しかし後を飛んでいたこげ茶色の翼の鳥は、真ん中の高度を飛んでいた鳥人に後ろから激しく衝突した。

 ヒワたちは息を呑んだ。

 追突された鳥人は意識を失ったかのように力なく墜落していく。ぶつかった方は、羽ばたこうとするが、翼が折れたのだろう、変な風に折れ曲がった翼は左右のバランスを保つことができず錐もみ状態で落ちていく。

 一部始終を見ていたヒワたちは、アヤハがシステロンに連絡のため戻り、ヒワはアトリと一緒に絶望的な気持ちで墜落地点に向かった。

 現場の草原に着陸する。

 直前に着陸した彼らのチームメイトたちが呆然と佇んでいた。

 二人は、地上に墜ちた若鳥たちを目の当たりにし、強い衝撃を受けた。

 二羽の鳥人たちは助からなかった。ヒワたちにはどうすることもできなかった。

 その間、ただ寄り添うことしかできなかった。だれも声を発せず沈黙だけが過ぎていった。

 日が暮れるころ、連絡を受けた運営局である古都の導者たちと当事者の街の導者たちが現場に駆けつけ、事後処理を行なった。


 翌日は喪に服すため、ノーフライトとなった。


本戦前日

 

 いよいよ明日が本番だ。

 決勝戦は一発勝負であるため、いやでも緊張が増してくる。

 事故の日の出来事も心にのしかかる。

 前日の飛び方は二種類ある。体力を温存して軽い調整ですませるか、本番さながらに攻めるかだ。気象条件が同じとは限らないため、あまりリスクをとっても本番に活かされないという考え方も理にかなってはいる。しかし、心身を本番に備えて合わせて来た若鳥の身になってみれば、もうレースが始まっているとして緊張感を維持させる作戦も捨てがたい。

 どちらの作戦を取るかは導者の裁量次第なのだが、クインツスとアルシノエは、ヒワたち自身の判断に任せようとしていた。

 こちらに来てから、カヴァの属する海街に強烈な対抗心を持ち始めたヒワたちは、本番と思って今日のフライトを行なうことを宣言した。

 二人の導者たちは、微笑んで頷いた。

 アルシノエが言った。

「明日があるからね、無理はするな。」

「タスクを設定してもらえますか?」

 アトリが言った。

 これまでの練習では、自分たちでタスクを設定した日もあったが、何回かはクインツスかアルシノエに設定してもらっていた。自分たちだけで設定したタスクを飛ぶと、無意識のうちに飛びやすそうなコースを選ぶ可能性があるからだ。

 クインツスがアルシノエに頷くと、アルシノエはしばらく考えた。

 そして、

「今日はジグザグ。

 第一旋回点は南のコーリむら。第二は・・・そうね、キセン山の修道院、第三はシンラ峠。」

 無理はするなと言いつつも、これまでの最長距離だ。

 言い出しっぺのアトリの顔が少々ひきつっていることに、ヒワが気づいた。


「どうする?」

 発着場への路を登りながら、アヤハが呟いた。

「やるしかないでしょ。」

「そうよね。」

 飛び切りの笑顔でアヤハが頷く。

「やれるわよ。」

 

 発着場に立ってみると、弱い南東風が吹いていた。

 第一旋回点のコーリは、ここから南の方角、西山の西側の山麓にある。風向きが微妙だが、山からはやや離れているので、第一区間レグは難しくはないであろう。もし東風で南山に近ければ、山を越えてくる風がダウンウォッシュとなって飛びにくいことになる。

 問題は第二区間レグだ。最も長い距離であるとともに古都の上空を縦断するコースとなっている。もちろん皇宮の上空は飛行禁止区域となっているため、西か東を迂回して、北山のキセン山中にある修道院を目指さなくてはならない。

 そこさえクリアすれば、地面が十分に暖まっている頃なので、東山の稜線に沿って楽に南下リッジ・ランできるはずだ。シンラ峠は、シュマリナイから東へ抜ける街道の峠で、交通の要衝として知られる。

 

―カヴァはどこを飛ぶのだろう。

 発着場へ向かう途中、やはりカヴァのことが頭に浮かんだ。

「カヴァとイータだわ。」

 アヤハが翼を振った。

 20メートルほど離れたところに、二羽はいた。まさに離陸しようとしていた。

 向こうもにこやかに翼を上げて応える。

 カヴァと目が合ったヒワは、なぜか目を逸らしてしまった。

 二羽は先に離陸していった。

 続いて、南にあるはずのコーリの方角を見据えて、崖街の三羽は飛び立った。


 先行するカヴァとイータの後ろ姿を追いながら、ヒワは想う。

―今まで地形、風向き、太陽の方向、日射を見て、頭で考えて、どこに上昇気流が発生しそうなのかを推測して、その場所に行っていた。

―でも、何回かカヴァの飛び方を見たり、後を追ったりしていたら、何だか感覚的に、吸い寄せられるように上昇気流のある場所に行けるようになった気がする。

―カヴァを追ううちに、風が見えるようになる?そんなことがあるんだろうか。

他の鳥人はどうなんだろう。アヤハとアトリに後で聞いてみよう。


 どうも最初はカヴァたちと同じルートを飛ぶようだ。南に向かっている。発着場から続く尾根は、すぐ東でセタ河を渡る。セタ河を越すと、尾根は東から南へ折れ曲がっている。河は真南に流れ出るが、ほどなくして南西方向へと湾曲していく。

 発着場から南へ向かうと、平地を飛ぶことになる。針路を東に取り南に向かう南山の尾根に取りつく作戦は、午前中、西斜面では日射が弱い可能性が高い。

 そこで羽ばたきながら平地を飛ぶことにした。カヴァたちも同じ考えのようだ。

―でも。

 ふと、もわっとした予兆を感じて、寄ってみる。

―こっちで呼んでいるみたい。

突然、持ち上げサージがあった。生まれる前のパフはない。

―この〝むずむず感〟ね。

 体をサーマルコアに入れながらヒワは直感した。


 その後、カヴァたちは途中で東針して南山を越えていった。別のコースとなったようだ。ここからは、カヴァを頼ることはできないということだ。

 コーリのむらが見えて来た。この辺りの地形は、農地や用水路、空き地などが複雑に入り混じっていて、サーマルリフトのトリガーが豊富だ。

 ヒワは 〝むずむず感〟に従うように、順調に上昇気流をヒットしていった。

 第二区間レグは、南山の東斜面に沿って北上し、古都の市街地をショートカットするコースを取った。風は強くはなかったが南風に変わり、山際より平地で上昇気流が期待できると感じたためだ。皇宮を東に迂回することになる。

 古都は改めて見ても荘厳だ。広い路は規則正しく碁盤の目のように通っている。建物は石造りの壁が燻し銀の屋根を支える構造だ。

 古都の上空には、伝令として通常業務を務めているらしい大人の鳥人が何羽か飛んでいた。古都にある様々な役所間を飛ぶには、そんなに距離はないので、低空を羽ばたきながら飛んでいるようだが、他の街への伝令は上昇気流を使って比較的高い高度を飛ぶはずだ。

 当然、その飛び方は古都を熟知しているだけに無駄なく速い。

 ヒワは針路上に旋回サーマリングをしている鳥人を見つけると、よく観察しその経路を辿って行った。

 そんななか、ヒワたちが三羽でガグルを組んでいるとき、同高度にいたアヤハが叫んだ。

「ヒワ、なんか今日は調子がいいね。一皮むけたみたい。」

―そうかも知れない。

―私は空気の動きを感じられる。風が読めるんだ。

 ヒワは、アヤハに片目を瞑る《つぶる》と離脱サーマルアウトした。

 いままでは上昇気流サーマルリフトの上限まで昇ってから滑空飛行へと移っていたが、このところ、少しでも上昇率が悪くなったと感じたら、もしくは次のリフトまでいけそうな気がしたら上がり切らなくても躊躇なくサーマルアウトして前へ進むようになってきた。

 地上に目を転じると、大きな建物とそれをとりまくいくつもの中小の建物が、美しく整然と並んだ区画が見えて来た。皇宮だ。古都の中でも威容を誇っている。

 ヒワは、皇宮を左手下方に見ながら、王宮から数粁キロメートル離れた北山の山塊を目指す。

 皇宮では、守護の鳥人の一団が絶え間なく上空を警戒しているはずだ。当然、近傍を飛ぶヒワたちも監視されていることだろう。

 若鳥たちの大会が開催されることは、情報として伝えられているはずで、少なくとも皇宮の上空には何の動きも見られない。

 一羽の鳥人が王宮の区画の縁にある発着場に入っていく。外見からして、あれは通常の伝令だろう。

 守護を司る鳥人は、古都の鳥人族の中から特に選抜されていて、守護鳥と呼ばれる。ほとんどが猛禽類の翼を着て、機動性が高い飛び方を得意とし、武装している。あるものは鋭い蹴爪をつけ、あるものは翼に鍵爪をつけ、あるものは保護帽に角をつけて空中で戦うことができる。空から王宮に侵入しようとするものたちを防ぐのが任務なのだが、空中で飛びながらたたかうのは大変な技量が必要でかつ危険でもあった。

 ここ数百年は街同士の戦はなく、平安が保たれていた。王宮に侵入しようとする不心得ものはいないではなかったが、十年に一羽といったところかも知れない。

 しかしこういった事情は、平和な現在に育ったヒワたちには知る由もない。

―第二旋回点はキセン山の修道院。どこ?

 地図を記憶から頭の中に呼び出す。

 今、ヒワたちは王宮の東側、王宮の北辺を東西に延びる街路を越えた辺りだ。その街路あたりで二本の川が合流し、南へ流れているのが確認できた。二本の川の合流点から真北へいくと、キセン山に至るはずだ。

 はたして北方に見えるいくつかの山の一つの山麓に、はっきりとした伽藍があるのが見えた。修道院だ。


 上空に近づくと、修道僧たちが修道院のあちこちでそぞろ歩いているのが見えた。中の何人かは上空のヒワたちに気づき、手を振ってくれるものもいた。

 ここは旋回点なので、第三区間レグへ向けて針路をとることとし、東山へ向け速度を上げた。

 東山脈は、古都の遥か北方に端を発し、古都とシュマリナイの湖を分けるように南方へ延びている。古都の東で標高は2000メートルを越える急峻な峰々が続き、セタ河を越えて南側では徐々に標高を下げてなだらかになっていた。

 キセン山と東山の間は、深い谷となっている。

 途中でサーマルリフトを拾って、高度を上げ、東山に取りつきさえすれば、稜線上を楽に南へ辿れるはずだ。ところが、谷の中ほどまで来ても空気の動きはほとんどなく、上昇気流を感じることはなかった。不安を感じながらさらに東山に近づいてみたが、むしろ沈下している。

―東山の高い稜線が日射を妨げ、西斜面が温まっていないんだ。

 ヒワは、先ほどの「風を読める」との自信が単なるうぬぼれにしか過ぎなかったことを恥じた。

 下降気流が強まり、高度はどんどん下がってくる。

 ここで羽ばたいて高度を上げる手があったが、体力が持たないかも知れない。

 ヒワは、横を飛ぶ二羽に合図を送り、針路を反転し戻り始めた。

 修道院からやや下った場所に、開けた草地の斜面があった。その上まで行ってみたが、やはり上昇気流はない。

「降りるよ!」

 ヒワは叫んで、着陸の準備をした。

―風向きは?

―南東、斜面の下から上へ。

 この場合、アプローチは斜面の上から下に向かうことになる。

ヒワは大きく旋回し、草地のある斜面の上方にある樹々に注意をしながら、樹のてっぺんギリギリをかすめるようにして草地に進入した。翼を立て速度を殺すとともに揚力を維持する。いつもの平地での着陸とは違い、地面は下がっていくので、揚力を維持しないと失速する恐れがあるのだ。

なかなか地面が近づかない。 

やや前進速度を残しながら、接地すると数歩走らなければならなかった。

 後から着陸する二羽のため、速やかに場所を空ける。

 アヤハ、アトリと続いて降りて来た。

「どうしちゃったの?」とアヤハ。

「谷渡りに失敗しちゃった。読み誤ったの。ごめん。」

「まあ、こんなこともあるよ。練習だし。少し休もう。」

 アトリが空気を和ませる。

 三人は翼を脱ぎ、懐に入れていた水筒と糧食を取り出した。

他の街を目指す長距離飛行クロスカントリーでは、革袋の水筒から柔軟なチューブを口元まで伸ばして、飛んでいるときでも水を飲むことができるようにしている。脱水症の予防のためだ。今回の新人戦はそれほど長距離のタスクという訳ではないが、大会を終えると実際に伝令として大人の仲間入りをすることになるため、伝令と同じ装備で飛ぶことが求められている。

 糧食は、ほしいやドライフルーツなど、何らかの事情で人里離れた場所に降りてしまった場合、エネルギー補給のために少量ずつ携帯している。それぞれ好きなものを選ぶことが多く、今日は、ヒワは乾燥あんず、アヤハはデーツ、アトリは雑穀を固めたほしいを持ってきた。

 三人で食べていると、草原の向こうから人がやってくる気配がした。見ると草木色の僧服に身を包んだ壮年の男性が二人、こちらに歩んでくる。明らかに修道僧だ。

「こんにちは。」

 三人は立ち上がって礼をした。

「やあ、お若い方々、邪魔をしたようですね。」

 美しい刺繍がされた灰色の僧帽を被った、年かさの穏やかな顔立ちの一人が言った。

「何かお手伝いできることはないですかな。」

 アヤハがにっこりと笑って言った。

「お気にかけていただきありがとうございます。わざわざ修道院から出てきてくださったのですか?でも私たちはすぐに飛び立ちますので、大丈夫です。」

 二人の僧はそれを聞いて破顔した。

「それを聞いて安心しました。いや麓の街へ用事があってちょうど外に出たときに皆さんが降りるのを見たものですから。」

 ひとしきり他愛のない会話が続いた。

「皆さんはどちらの街の若鳥ですか?」

もう一人の僧が訊いた。こちらはやや若く、やはり色は異なるが、やや明るい色の刺繍がされた僧帽を被っていた。

「崖街です。」

 それを聞いて、年長の僧が何かを思いだそうとするようにつぶやいた。

「崖街。」

 しばらく考えてから言った。

「だいぶ前に、崖街から来た鳥人がこの修道院に伝令を届けてくれたことがありましたな。でもその方は、次の街に向かって飛び立ち、それっきり行方知れずになってしまった。」

 はっとしたようにアトリが訊いた。

「その人の名前を憶えていますか?」

 二人の僧は顔を見合わせた。

「さあ・・・」

 恐る恐るといった感じでアトリが呟くように訊いた。

「ひょっとしてアルクス?」

「そう、アルクス様。灰黄茶色に黄色の線が入った翼を着ていらしたと記憶しています。」

アトリが泣きそうな表情になった。

「僕の父です。」

 ヒワとアヤハが顔を見合わせる。二人の僧が驚いたようなそぶりを見せた。

「お父上か!」

「父はどちらへ向かったのでしょう?」

「はっきりはおっしゃいませんでしたが、クレパンという街がある方向だったと思います。シュマリナイの湖を越してさらに十日ほどかかる。」

 アトリの表情に何か変化が表れたのを、ヒワは見逃さなかった。


 三羽は修道僧たちを見送って、再び飛び立った。

 太陽は正中を過ぎ、東山の西斜面を照らしている。先ほど着陸した時とは打って変わって、そこここにサーマルリフトが発生していた。東山脈へは中腹の高度で到達したが、斜面上昇風が働いており、そこから容易に西斜面を駆け上がることができた。

 稜線を越えると、目に飛び込んできたのは浮島の威容だ。浮島の下のシュマリナイの湖もはっきり視界に入ってきた。

 上昇気流は東斜面の上昇風と合わさり収束風コンバージェンスとなり、より強くなった。

―充分だ。

 三羽は稜線上を南へ急いだ。稜線に沿って安定したリフトが続いている。旋回することも羽ばたくこともなく進むことができる。リッジ・ランだ。

 あっという間に王宮が右手真横アビームとなった。この辺りから東山の標高は低くなっていき、セタ河が山脈を横切る。

 ヒワは頭の中の地図と下に見える地形を照合し、第三旋回点のシンラ峠を探す。

―あった。

 かなりわかりにくいが、東山からシュマリナイの湖に沿うように分かれて東に延びている山脈の途中に、山の低くなった場所を通っている街道が見えた。そこが峠だ。

 先ほどから、ヒワはアトリの様子が気になっていた。

 修道僧からアトリの父、アルクスの名前を聞いてから、気もそぞろという感じで、かろうじて付いてきている状況だ。

 ヒワはシンラ峠をクリアしてから、最短経路でゴールのセタをクリアすると、アトリに気を配りながら、システロンへの帰路を取った。

 

 その夜、ヒワはアルシノエの部屋を訪ねた。

 扉をたたくと、アルシノエが顔を出した。

「あら、ヒワ。どうしたの?」

「お邪魔でしたでしょうか?」

「いいえ、今本をよんでいたところ。」

 アルシノエはヒワを部屋の中に招き入れた。旅の宿とはいえ、きれいに整頓されていた。

「言おうかどうしようか迷ったのですが、お話した方が良いと思って・・・」

「なに?」

「今日のデブリーフィングで、キセンの修道院の修道士さまにお会いしたと話しました。その時アトリは言いませんでしたが、修道士さまからアトリのお父様のお話があったのです。」

 そこまで聞いてアルシノエは、

「ちょっと待って。クインツスにも聞いてもらった方が良いかも。」

 と言って、二人はクインツスの部屋の扉をたたいた。

 二人の顔を見るなり、クインツスは黙って部屋の中に通した。アルシノエの部屋と同様、几帳面に片づけられた部屋だった。

 アルシノエが口を開いた。

「アルクス様のこと。」

 アルシノエがヒワに顔を向けうなずくと、ヒワはキセン山でのやり取りについて話した。ヒワの話を聞くと、クインツスとアルシノエはしばし考え込んだ。

「キセンから北へ向かわれたか。確かめてみる価値はあるな。」

 ヒワが訊いた。

「いったい・・・」

「アトリの父上のアルクス様は、10年ほど前に、崖街の長老からの密書を持って皇宮へ伝令に向かったきり戻らなかった。のちに皇宮に問い合わせても返事はなかったのだ。密書の中身は我々も知らない。

 キセンに立ち寄ってさらにクレパンに向かったということは、皇宮から何らかの使命を与えられたことを意味する。」

「崖街の密書と関係があるのでしょうか?」

とアルシノエ。

「伝令は基本的に所属する街の仕事だからな。王宮とはいえ全く関係がない仕事を請け負ったとは考えにくい。」

 クインツスは慎重に答えた。ヒワの方を向いて言った。

「アトリの様子が気になっているのだろう、ヒワ。」

「はい、普通を装っているようですが、時々、上の空になります。」

「ふむ。レースに影響するかも知れんな。

我々にとって、揃って崖街に帰還することが最も大切だ。勝敗よりも無事ゴールできることを優先しなければ。」

ヒワの目を見ていった。

「無理はするな。」


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