第43話「帳場 前編」3

「……あの…凌偉りょうい様。」

春燕しゅんえんがふと顔を上げる。


「なんだ?」


「この記録では、麦を二百石

 運んでいますが……その前の月は

 百五十石だけです。

 なぜこんなに増えたのですか?」


凌偉は一瞬だけ目を細めた。


「良いところに気づいたな。取引先の近くで

 今年、雨が少なく不作が出た。

 だから街の相場が上がると読んで、

 あえて増やしたんだ。」


「……!」春燕の目がぱっと輝く。


「つまり……各地の天候まで把握して、

 取引を調整しているんですね!」


凌偉はわずかに頷く。

「そうだ。」


「では……こちらは?」

春燕が次に手を伸ばしたのは、

緑の紐で束ねられた竹簡だった。


「それは貸付の利息をまとめた帳簿だ。

 農民への貸付、商人への貸付。

 ――利率が違うのは分かるか?」


春燕はすぐに見比べて

「農民は一割、商人は二割……。」と

読み上げる。


「農民は収穫で返すから低く、

 商人は利を得て返すから高いのですね。」


「その通り。では…貴方に質問だ。ここ数年、

 同じ農村からの貸付が繰り返されている。

 何故だかわかるか?」


春燕が少し考えながら顔を上げる。

「返済が追いついていないから……?」


広間の空気がまたざわめいた。


「そうだ。貴方ならどうする?

 このまま貸付を続けるか?」


春燕は再び少し考える。

そしてゆっくりと口を開いた。


「貸しすぎれば首を苦しめ農が痩せる、

 痩せれば返せなくなります。

 ――なので、金銭の貸付だけではなく、

 種や道具を貸すのも一つの方法かも

 しれません。」


使用人たちは一斉に目を見開いた。


「……それでは。」

凌偉は次に別の竹簡を開く。


「この取引の中で、今月もっとも

 危ういのはどれだと思う?」


春燕は竹簡を両手で支え、じっと目を走らせた。


いくつもの取引が書かれている中、

しばらくして、一つの取引に指を止める。


「――これです。“北部より大麦百袋仕入れ。

 海路経由、雨季前到着予定”。」


「理由は?」


「雨季が早まれば、船が遅れる可能性が

 あります。もし到着が遅れれば、

 値が下がる前に売れません。」


凌偉がわずかに目を細める。

「……見事だ。」


使用人たちは誰も声を出せず、

ただ春燕を見つめている。


凌偉は竹簡を閉じ、しばらく春燕を見つめ、

それからゆっくりと口を開いた。


「明日から午前中、帳場に来るといい。

“仕入れ記録”の写しを任せる。」


「えっ……わ、私が!?」


その一言に、帳場にいる全員が思わず背筋を正した。

凌偉様自らがこの帳場に踏み込むことを許し、

仕事を任せる。


それはつまり、この春燕という一人の少女を

信用する、と認めた瞬間だった。

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