第3話 奈落のラストダンジョン
「いてて……」
意識を取り戻して、痛む腰をさすりながら辺りを見渡すと、そこは全く見覚えのない光景が広がっていた。
黒曜石のような、ゴツゴツとした地面が拡がっている。
天井はマンションが建ちそうなほど高く、広いが、おそらくどこかのダンジョンなのだろう。
「なんなんだよ……」
「どこだここ?」
一緒に巻き込まれたレイドメンバーたちも近くにいた。
ああ、よかった、見知ったものがいる。
不安感が少し和らぐ。
辺りを警戒するが、幸いにも近くに魔物の気配は感じられなかった。
だが魔素濃度の濃さは半端ではなく、若干息苦しく感じるほどだ。
こんなに濃い魔素濃度ははじめての経験だった。
うん。これはやばい。
俺の直感が危険信号をピカピカと灯している。
すぐに戦闘態勢に移れるように警戒を強める。
「なんかやばそうな場所だな……」
「ああ、さっさと出口を探したほうが良さそうだ……」
他のメンバーたちもこのダンジョンの異様な雰囲気を感じ取ったみたいだ。
と、その時――
ヒュっという音と共に一人のメンバーの上半身が、まるで空間から切り取られたようにが突然消えた。
残された下半身は血を吹き出しながら、パタリと地面に倒れる。
え、なんだこれ? 現実か?
くちゃくちゃ。
死角になっている大きな柱の陰から、何かを咀嚼するような不快な音が聞こえてきた。
嫌の予感しかしないが、その音が聞こえる角度に恐る恐る移動してみる。
オークだ。
そこにはメンバーを咀嚼している巨大なオークがいた。
こいつ、一体いつの間に俺たちに近づいて……。
敵の片手には血が滴る巨大な肉切り包丁が握られており、その両腕は巨体にしても不自然な程に大きかった。
体色は漆黒で血走った両目の上に、更に三つ目を保持している。
ゔゔ、グロい。
オークと目が合う。
その瞬間――全身の肌が泡立つ。
さっき戦ったサイレント・ブル?
冗談じゃない。あんなものが愛玩動物に思えるほど、目の前の怪物のオーラは次元が違う。
勝てる勝てないの話じゃなく、戦えば俺は100%、肉塊に変わる。
そう、生物の直感として確信させられた。
だとしたら――生き延びるには逃げるしか道はない!
「うぁあああああ!!!」
俺はその場から必死に走って逃げた。
逃げきれそうか?
途中、ちらりと後方を確認すると、オークはその巨体から想像ができないほど素早く移動している。
淡い期待が裏切られる。動けるデブってなんだよ!
そのうち、レイドメンバーの一人が捕まったのを俺はそれを横目で確認した。
可哀想に。でも、悪いが助けられない。
俺が助けようとしたところで、その命を散らすだけだ。
オークは手にした男をじっくりと見ている。
男は失禁をし、オークの手からジョロジョロっと液体が漏れる。
「頼む……助けてくれぇ……頼む……なんでもするからさあ……」
男は顔をくしゃくしゃにして泣きながらオークに懇願する。
彼はまだ若く、俺と同い年くらいかもしれない。
オークはそんな男の様子に、ニィっと笑みを浮かべると――
男の断末魔の悲鳴がダンジョン内に響き渡る。
そして、ゴキゴキゴキ、という骨が砕ける嫌な音がダンジョン内に響く。
絶命したのか男は、その頬に涙の後を残しながらもピクリとも動かない。
オークの口が大きく開けられ、敵は愉悦の表情で食事をはじめた。
「くっ、行き止まりかよ!」
俺たちが逃げた先は運悪く、先に道が通じておらず迂回路もなさそうだった。
ならば逃げてきた道を引き返すしかない。
しかし戻った所で待つのはあの怪物だ。
生き延びるための選択肢は限られている。
仕方なく、生き残ったメンバーとアイコンタクトを交わし、それぞれ何本かある柱の死角へと一旦隠れた。
「な、なななんなんだよ、あの化け物は!? あんなの最低でもA級はあるだろ!」
震える声と恐怖を抑えながらメンバーの一人が言う。
「オーク……みたいだけど、あんなオーク見たことも聞いたことないぞ?」
俺は返答する。
ゲーム内にあんなオークはいなかったはずだ。
「もしかしたら……」
メンバーが心当たりがあるように呟く。
ダンジョン内にはオークが獲物を咀嚼する嫌な音がひっそりと響く。
「オーク種のネームドとか?」
ネームド……。
衝撃と共に戦慄を覚えながらその言葉を飲み込む。
ネームドとは個別進化を繰り返した魔物のユニーク個体のことである。
魔物も人間を倒すと経験値を得ることができ、それと同様に魔物同士で戦っても経験値を得ることができる。
そうして戦闘を重ねて死線をくぐり抜け、個別進化を重ね、最終的に人の手に負えない程進化した魔物の個体をネームドと呼ぶのだった。
ズンっ!
突如、大地が何者かに踏み鳴らされる大きな音が鼓膜を震わせる。
地面は小さな地震が起こったかの如く、振動する。
なんだ?
ズン、ズンっ!
オークもその音に気づいて食事の手を止めて、まるでフリーズしたかのように音が聞こえる方向を注視している。
ズン、ズン、ズン!
遂に、ダンジョンの角から音の主が現れる。
ドラゴンだ。
俺たちは視線先では漆黒で、山を思わせるような巨大なドラゴンが悠然と佇んでいた。
光を飲み込むような漆黒の鱗に覆われ、真っ赤な双眸が感情のない冷徹さで俺たちを見下ろしていた。
その禍々しい威容は具現化した悪夢そのものだった。
ドラゴンは大きな翼をバサっと軽く羽ばたかせると、その大きさに似合わず、一瞬でオークの目の前まで移動する。
オークはドラゴンと対面すると、まるで蛇に睨まれたカエルのようにプルプルとその体を震わせ、先程までの威勢は嘘のように消え去っていた。
「こ、ここがあなたの縄張りだと知らずに……。も、もうじわげございません!」
そう言った後にオークは大きな頭を地面にこすりつけるように土下座する。
あの傲慢不遜だったオークがここまで豹変するとは……。
「黙れ下郎が! 我の安らかなる眠りを妨げおって!!」
ドラゴンは鋭い爪がついた巨大な前腕を振り上げる。
そして嘘のようにあっさりと、オークの巨体はグシャっというよく通る音と共に、大きな爪のついた手によって捻り潰された。
地面にオークの紫色の血が溜まる。
ネームド個体のオークは人類にとって災厄級の敵だったろう。
だがこのドラゴンそれすら上回る、お伽噺の中でしか許されないような荒ぶる神、邪神の顕現そのものだ。
「クソぉ! ここは……きっと……」
そこでメンバーは泣きそうになりながら告げる。
「奈落の底にあると言われるラストダンジョンだ! 攻略不可能領域!! なんでこんな所に飛ばされるんだよぉ!!!」
奈落のラストダンジョン。
それはこの世界で一種の神話のようにおとぎ話などで語り継がれているダンジョンだった。
ゲーム本編では登場しないので正確にはわからないが、ここが本当にそのダンジョンだとすれば、ここにいる魔物たちはすべてS級以上の化け物だろう。
「間違いない……あいつは神話の怪物、
もしこいつと対峙するなら国家クラスの総戦力が必要になるだろう。
いや、それでもまだ足りないかもしれない。
こいつは単体で世界を滅ぼせる存在だ。
なんてことになってしまったのだ。
目眩がする。気が遠くなる。心が折れかける。
いや、駄目だ。俺にはリリイが家で待ってるんだ。
俺は折れそうになる心を鼓舞するように気勢を上げる。
「だめだ……死んでたまるか……こんなところで死んでたまるかよ!!」
ドラゴンは地の底に響くような声で俺たちに告げる。
「ひれ伏せ下郎ども。一体、誰の許可を得て我を見上げている!」
その言葉はただの命令ではなく、一種の
俺と生き残った最後のメンバーの一人は、見えない手で頭を押さえつけられるように、頭を垂れた。
言葉にできないような重圧をヒシヒシと感じる。
きっとこのままでは命はない。
メンバーが生き残るために顔面を蒼白にして、震えながら問いかける。
「ド、ドラゴン様……俺たちはどうやったら生きてこのダンジョンから出られますでしょうか?」
ドラゴンは問いかけに対して、悠然と答える。
「そうだな…………それには、まずは我を楽しませることだな」
「楽しませる、と申しますと? ……ひぃ!」
突如としてメンバーの足か結晶化しだす。
きっとドラゴンの魔法だろう。
一体いつ魔法を発動してたんだ?
「さあ、結晶化が心臓まで至ると貴様は死ぬぞ。泣け! 叫べ! 懇願しろ!」
「そんな、助けてください! 女房子供が居るんです! 帰らないといけないんです! ……あ、あああ!!!」
メンバーの懇願を無視し、ピシピシという音をたてて結晶化はドンドン進んでいく。
「グフハハハハハ!!」
ドラゴンは嬉しそうに地獄の底から響くような笑い声を上げる。
「ああーー、いやだぁーー。あああ…………」
懇願の声が途切れ、完全に結晶化した彼は最後瓦解してさらさらと黒い砂となって崩れ落ちた。
「ふむ。少し急ぎすぎたな。久しぶりなのだ、次はゆっくりと時間をかけて楽しむとするか」
くそ。こいつ、はなから俺たちを見逃す気はないだろ。
見た目通り、その性根も邪悪に染まっているようだ。
戦えば100%負ける。
かと言って話も通じそうにない。
一体どうすりゃいいんだよ……。
もう生き残った仲間はいない。
俺一人でこの状況を打開して、生き延びなければいけない。
無理だ……。
俺の命は完全に敵の手のひらの上にある。
諦観が広がりそうになる。
いや、死ねない。俺は死ねないんだ!
なんとかこいつを説得できないか?
こいつが興味を惹きそうなことは?
それとも他に何か別の手を……。
絶体絶命の状況の中で、俺の頭の中は目まぐるしく回転していた。
その時、突如――
ドラゴンの後方の空間で凄まじい魔力の渦が発生する。
なんだ? もしかしてまたダンジョン事故か?
次元の狭間の
その先がどこに通じていようとも、今以上の地獄はないだろう。
やった、もしかしたら助かるかも?
俺は微かな希望を見出し、次元の狭間が形成されたらすぐに飛び込めるように集中する。
しかし期待に反して、時空隙は現れない。
その変わりに、魔力の渦が発生している近くの地面がいつの間にか泥水のような液体に変化していた。
なんだ?
渦が消えると、ダンジョンに一時の静寂が訪れる。
ドラゴンもその様子を注視して、身動きもしなかった。
しばらくすると泥水の地面の中央部が、ズズズズと盛り上がりはじめる。
盛り上がったそれは、人形の泥人形のようになり。
次第に人の形へと変化していく。
いや、
なぜなら
その姿は騎士のように見えなくもない。
では、奴のことは暗黒騎士と呼ぶことにしよう。
「異形なるものよ。我になんの用だ?」
ドラゴンは暗黒騎士に向かって問いかけるが、その眼窩と口から黒色の気体が吐き出されるだけだった。
彼はドラゴンに向かって歩みをはじめ、背中の大剣を抜く。
それは大剣というよりは、あらゆる物を粉砕する凶悪な質量を持ったいびつな鉄塊だった
「ほう、面白い。我とやり合うつもりか? 我が異名は伊達ではないぞ!」
痛い。強力すぎて肌に突き刺さるような魔力だ。
だが、暗黒騎士は何事も起きていないように涼しい顔でドラゴンへの歩みを一歩一歩進める。
「愚か者が、死して不敬を後悔するがいい!」
ドラゴンは先程オークを捻り潰したように凶悪な爪がついた手を振り下ろす。
鉄と鉄がまるで猛スピードの自動車事故で衝突したかのような、凄まじい轟音がダンジョン内に響き、衝撃波が周囲に波及する。
鼓膜が破れたかと思った。
俺は衝撃で瞑っていた目を開くと、そこにはドラゴンの鋭い鉤爪の攻撃を大剣で防ぐ、暗黒騎士の姿があった。
鳥肌が立つ。あの攻撃を防ぐのかよ。
「ぐぬぅ」
ドラゴンは不服そうに喉を鳴らす
防御されることは想定していなかったのだろう。
いつしか暗黒騎士の眼窩と口からはもう、黒色の気体は吐き出されなくなっていた。
「ならばぁ!!」
ドラゴンはその口を大きく開く。
そして信じられないような魔力がその口へと溜まり、漆黒の真球が口の前に生成させる。
「塵すらも残らぬようにしてくれるわ!!」
眩い光を放つ、漆黒の真球が放たれる。
瞬間――――
凄まじい閃光が視界を焼き尽くし、音すらも置き去りにする破壊の嵐が吹き荒れた。
触れたもの全てを塵に変えるその一撃は、爆心地のような傷跡を残した。
周囲に舞った粉塵が晴れると、攻撃の全貌が明らかになる。
暗黒騎士は大剣を盾にその攻撃を防いでおり、その部分だけの空間の地面が丸々残っていた。
「ば、かな……」
ドラゴンが驚愕の表情を浮かべて、そう呟いた時のことだった。
暗黒騎士は天高く跳躍する。
そして歪な鉄塊の大剣を振りかぶる。
軽く防がれるだろう。俺はそう直感する。
超軽量級が超重量級に挑むようなものだ。
しかし、その予想に反して――
歪な形をした大剣とドラゴンとの接触の瞬間。
衝撃に耐えきれず周囲の時空がグニャリと歪んだ。
直後、ズドンッ!! という空間を震わすような破裂音が響く。
空間ごと削り取られたドラゴンの上半身は、まるで熟れたトマトのように弾け飛び、血霧となって四散した。
残された下半身が、ズズンと力なく地に沈む。
……瞬殺だった。
あまりの衝撃に絶句する。
なんだなんだこいつは?
人間なのか? 魔族か? それとも……なにかの神か何かか?
一種の畏敬の念と、底知れぬ恐怖が沸き起こる。
「え!?」
気がつくと目の前に暗黒騎士が到来していた。
こいつ瞬間移動でもしたのか?
目で追うことすらできなかった。
そして、バッとすぐに両肩を掴まれる。
すぐさま振りほどこうとするが、ものすごい力でびくともしない。
瞬間、死――が脳裏に浮かぶ。
俺の命など造作もないだろう。
(リリイ……)
妹の姿が脳裏に浮かぶが、どうしようもない。
ごめん。そうして、諦めの心境になりそうになる。
「…………ん?」
そこで俺は異変に気づく。
暗黒騎士は俺に何か伝えようとしている?
表情の変化は特にない。
だが不思議と暗黒騎士が俺に敵意を抱いていないことも分かった。
こいつは俺の敵じゃないのか?
その時――
ダンジョンに足を踏み入れた時の頭に直接響いたあの声が、またノイズ混じりに聞こえてきた。
『――え……を……ぐ……よ――』
ノイズが多くて何を言っているか聞き取れない。
「え、なんだって?」
すると徐々に周波数が合うように声が聞き取れるようになってきた。
『――英雄……を……継ぐ……もの……よ――』
今度は聞き取れた。
「英雄を継ぐもの?」
俺は声を出して暗黒騎士に問いかけるが何もリアクションがない。
一体なんのことだろう。これは暗黒騎士の声なのか?
『――リ……ミッ……ト……ブレー……カー――』
リミットブレーカー? なんだそれ?
そこまで暗黒騎士は俺に伝えると、掴んでいた両肩を離す。
敵意はないことは分かったので、俺は逃げずにそこに留まる。
すると暗黒騎士は両手を掲げると、そこに眩い光を放つ小さな玉が現れる。
その玉に大量の魔力が注ぎ込まれていることが分かった。
玉に注ぎ込まれる魔力はいつしか濁流となる。
それは、ただの一つ存在が扱えるとは到底思えない魔力量だった。
玉の輝きは徐々に増し、その内ちゃんと目視していられなくなる。
暗黒騎士の虚ろだった眼窩にいつの間にか眼球が戻ってきていた。
最初は禍々しくも感じていた彼は、意外にも柔らかな表情をしていた。
漆黒の鎧もいつしか、黄金のような輝きを放っている。
『――お前……に……すべ……てを…託す――』
そして、光り輝く真球が俺の中に入ってきたことが分かった。
ドクン――と心臓が強く跳ねる。
心臓の一拍動ごとに、俺という器が粉々に砕け散っていく感覚を得る。
溢れ出す力が肉体を作り変え、世界の
と同時に、快感が全身を駆け巡る。
「あああああ」
自然と声が漏れる。
しかし、快感も全能感も長くは続かなかった。
時間にして数秒。もしかしたらもっと短かったのかもしれない。
目を開くとそこにはすでにもう暗黒騎士の姿はなかった。
そして急激な抗いようがない眠気が到来し、俺の意識はプツリとテレビのスイッチを切ったかのようにそこで途絶えた。
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