第13話 コアなファン
夕方のロッカールームは、試合後の余韻に包まれていた。
3対1での勝利。個々それぞれが自分の役割を果たしたからでもあるだろう。
けれど智久は、ひとり無言で試合後のクールダウンをしていた。
水谷アナへの怒りは収まりつつあるが、暗雲とした気持ちが智久を包む。
試合に勝っても、自分は“ついで”だ。
そんな小さな棘が、抜けないまま残っている。
(結局自分は引き立て役、なのかな)
荷物をまとめて出口に向かう途中、低い声が背後から飛んだ。
「おい、坂井」
振り向くと、新宮コーチが立っていた。
無精ひげに帽子を深くかぶり、いつも通り無愛想な顔。
「ちょっと来い。飯行くぞ」
「え、今ですか」
「ああ。初勝利の祝いだ」
それだけ言って、返事も待たずに背を向ける。
拒む理由もなく、智久は黙ってついていった。
外は秋の夜風が冷たく、街灯の光が滲んでいた。
ふと、すれ違う通行人の笑い声がやけに遠く感じる。
その静寂の中、新宮の背中がぽつりと呟いた。
「顔、死んでるぞ」
「……別に」
「勝っても嬉しくねえのか」
「嬉しいっすよ。でも、インタビューで中浜の話ばっかされて……なんか、情けなくて」
新宮は返事をしなかった。
中に入ると脂の匂いが智久の鼻腔をくすぐる。テーブルには焼き鳥の煙がゆらめいていた。
新宮が店の奥へ進むと、すでに誰かが待っていた。
小柄なシルエット。白いパーカーにジーンズ。
どう見ても中学生にしか見えない。
「遅い!」
元気な声が響いた。
彼女はぱっと笑顔を向ける。大きな瞳、丸い輪郭、そして明るすぎる笑い方。
「ん?誰、この子」
「俺の娘だ」
「娘?」
「なんだよ、俺だって結婚してるんだぞ」
智久は新宮が結婚していたという事実に軽く目を剥く。
仕事とプラーベートは違うというのはよく聞いたことがあるが新宮が結婚している姿が思いつかなかったからだ。
「それに
「え、年上!?」
「そこまで驚かなくてもいいじゃないですかぁ!」
ぷくっと頬をふくらませる鈴羽。
テーブルに肘をついて、じっと智久を睨む。
「どうせ“子どもに見える”って言いたいんでしょ!」
「い、いや……まあ、ちょっとだけ」
「もう! せっかくオシャレしてきたのに!」
その拗ねた表情に、思わず口元が緩んだ。
さっきまで胸の奥で渦巻いていた重さが、ほんの少しだけ薄らぐ。
「座れ。飲め、ってお前はだめか。烏龍茶な」
新宮が短く言って、ビールを注文する。
乾杯の音が響く。
ジョッキがぶつかる音の中で、鈴羽がウーロン茶を掲げながら笑った。
「初勝利、おめでとうございます! テレビで見ましたよ!」
「え、見てたんすか」
「もちろんです! お父さんが『あのガキは伸びる』ってずっと言ってたから!」
「おい」
「だって言ってたじゃん!」
新宮は苦い顔で焼き鳥を口に運ぶ。
鈴羽は気にせず、テンポよく話を続ける。
「でも、インタビュー、ちょっとムカつきました! なんか中浜さんの話ばっかで!」
「……はは、やっぱ見てたんだ」
「そりゃ見てますよ。だって私、智久さんのピッチングが好きなんですもん。
ストレート、すっごくきれいでした!」
真っ直ぐな声だった。
飾り気も遠慮もなく、ただ率直にそう言われて、智久は少しだけ言葉を失った。
「……ありがとう。なんか、救われます」
「でしょ? 私、見る目あるんですよ」
鈴羽は得意げに笑いながら、串をひょいと口に運んだ。
その仕草が妙に自然で、見ているうちに胸のざわめきが静まっていく。
「あの、気になったんですけど......カーブ少し変えました?」
「ああ、俺が少し口を出した」
「だよねー。高校の時も好きだったけど今のほうがキレてるもん」
(本当に見てくれているんだな)
その後もしばらく、他愛のない会話が続いた。
球種の話、子どもの頃の失敗談、試合前のルーティン。
鈴羽は驚くほど野球に詳しく、どんな話題にも食いついてきた。
新宮は相変わらず黙々と飲んでいたが、ふと智久の方を見て、小さく頷いた。
「……少しはマシな顔になったな」
「え?」
「さっきまで死人みたいな顔してた」
「……っすね。すみません」
「気にすんな」
その言葉が、不思議と温かく響いた。
店を出るころには、冷たい夜風が心地よかった。
鈴羽はまだ話したそうにしていたが、コーチが手短に言う。
「終電、ギリだ。行くぞ」
「はーい……あ、智久さん!」
鈴羽が小走りで近づき、笑顔を向けた。
「次の登板も、絶対見ますから!」
その声がまっすぐに届いて、智久は自然と笑った。
「……ありがとな」
短くそう返すと、胸の奥の棘がようやく抜け落ちた気がした。
その夜、久しぶりに空が澄んで見えた。
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