第3話 飲んだくれコーチ
中川との出会いから一週間後、各所に挨拶を済ませた智久は再びグラウンドに来ていた。
今日、中川はいない。二軍の投手コーチに智久のピッチングを見てもらうためだ。
ロッカールームで着替えをしているとツンとアルコールの匂いとともに智久の肩が叩かれた。
「お前が坂井か」
智久が振り返るとだらしなくユニフォームを着用している中年の男が立っていた。片手にビール缶を持っており、ユニフォームがなければこの男がコーチかどうか分からないだろう。
「ああ、
「いかにも。時間がもったいないからグラウンドの方で先に持っておく」
そう答えた新宮コーチはビール缶をぐいっと仰ぐ。本当にこいつは投手コーチなのだろうか。
アップとネットスローを終わらせ、新宮に指示を仰ぐ。まずはフォームを見たいからとブルペンキャッチャー相手に投げることになった。
まずは5割ほどの力感で投げ込む。連動している筋肉を意識しながら投げるのが肝だ。15球ほど投げると新宮コーチからストップがかかった。
「よし、フォームに大きな欠陥は無さそうだな。次はキャッチャーを座らせる。後ろに立つから変化球を投げる時だけ教えてくれ」
またもビール缶を仰ぎ、空になったのか潰してゴミ箱に投げ捨てる。智久は新宮コーチにも野球の技術が残っていることに驚いた。
ストレート、カーブ、シュート。
混ぜ合わせながら時には緩急を意識して丁寧に投げ込んでいく。
「もういいぞ。フィードバックをするからこっちに近寄ってくれ」
そう言って手招きをする新宮コーチ。
ビール缶を片手に持ってさえいなければもう少し立派に見えただろうに。
「下指名の割にはいい球放るじゃねぇか。特にカーブは良い。少し修正すればプロにも通用するはずだ。だがお前のシュート、あれはだめだ」
突然、自分の得意球を貶されて智久はむっとする。
中浜には通用しなかったが他の高校生相手には無双状態だったのだ。プロにも通用する球だと自負をしていた。
「おっと、そんな怖い顔すんな。ちゃんと理由がある。まず、変化量が小さすぎる。一流ならあれくらいの誤差は力で持っていく。あとは精度、他のやつと比べると明らかにコントロールが甘い」
(たしかにそうだ)
見た目に反し、意外とまともなことを言う新宮コーチ。智久の中の新宮コーチに対する評価が少しだけ上方修正される。とはいってもマイナススタートなことに変わりはない。
「これが一番の問題なんだが……あのシュートを投げ続けるといつかお前の肘がぶっ壊れる」
「えっ!?」
智久は思わず声を上げてしまう。
投球フォームの再現性が自分の強みだと思っていた智久にとっては衝撃の言葉だった。
「ああ、確実に壊れる。だから修正がどうこうではなく、シュートを使うな」
新宮コーチの言葉に智久は言葉を失う。
シュートを使えなければ変化球はカーブしか使えない。もちろん過去にも変化球ひとつでトップレベルになった人がいないわけでもない。だが智久にとっては自分の片腕がもがれたようなものだった。
「使うな、とだけ言うつもりはない。それはそれで打ち込まれるだろうし。だからチェンジアップを教えよう」
チェンジアップ。
ストレートと織り交ぜることで緩急をつけることを目的とした変化球。ストレートと同じ腕の振りでバッターのタイミングをずらすのが目的だ。
「お、お願いします」
この時ばかりは智久の目には新宮コーチが神のように映っていた。よれよれのユニフォームと片手のビール缶はなにも変わってないが。
「よし、その意気だ。まずは5本指で……」
握り方を教わり、何回もキャッチャーに向かって投げ続ける。何度も頭を越えるような暴投だったりキャッチャーのはるか手前にボールを叩きつけるなど最初は最悪だった。
智久は何十球も投げているうちにコツをつかみ始めた。そこからは精度と変化量に注目して投げ始める。日が暮れ始め、だんだんと智久の肉体にも疲労が溜まり始めると新宮コーチが手をパンッと叩いて終わりを知らせる。
この日、智久は自分の慣れ親しんだ武器を捨て、新しい武器を掴んだ。その球が栄光への一歩となるのかは智久自身も分からないのだった。
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