第2幕
照明が落ちる。
幕の裏で、瑠奈は呼吸を整える。
観客のざわめきが、波のように遠くから押し寄せてくる。
そのざわめきが消える一瞬――彼女の脳は“演技モード”に切り替わる。
> (これから死ぬのは私じゃない。けれど、私の死が彼を導く。)
舞台上の恋人役の俳優が、瑠奈の手を取る。
台本通りの笑顔。だが、瑠奈の瞳の奥に浮かぶのは、冷たい分析だった。
心拍数:少し高い。
汗腺反応:正常。
視線の揺れ、呼吸の深さ、喉の震え――
……この男はまだ“役に入っていない”。
瑠奈の中で、脚本家の声が囁く。
《リアルさが足りない。》
《彼を墜とせ。》
瑠奈は、彼の手を強く握り、笑いながら耳元で囁いた。
> 「……ねぇ、空の上で、もう一度会いましょう?」
俳優の笑顔が一瞬、止まる。
「な…そんなセリフ…なか」小声で俳優が耳打ちをする。
彼女は遮るように
「いいでしょ?きっと気持ちいいから、貴方の為よ」
俳優は後退る。
照明が一段階強くなり、観客の視線が二人を包む。
瑠奈は袖口に忍ばせた細いワイヤーの感触を確かめた。
それは、舞台装置の安全用の支索――のはずだった。
だがその夜、彼女自身の手で“仕掛け”を入れ替えていた。
支索は一方向にしか耐えられない構造に。
引き上げれば支える。だが、押し出せば――切れる。
>「落ちて」
その言葉は台本にはなかった。
だが彼女にとって、それは“アドリブ”ではない。
それが、本当の脚本だった。
観客が悲鳴を上げる。
男の身体が、舞台の端から落ちる。
確認していた監督やキャスト、スタッフが一瞬凍りついた、だがそれも束の間、舞台裏は阿鼻叫喚の劇場となった。
監督が指示を出す。
轟音、照明が揺れ、幕が下りた。
沈黙。
数秒後、拍手が起こった。
観客は誰も、それが“演出”ではないことに気づいていなかった。
楽屋。
スタッフたちが慌ただしく走り回る中、瑠奈は鏡の前でルージュを引いていた。
> 「ねぇ先生、これが“真実の演技”でしょう?」
鏡の奥から、声が返る。
《そうだ。観客は震えた。君は本物を見せた。》
《さあ、次の幕を――》
瑠奈は微笑んだ。
その唇は、まるで台詞を読むように動いた。
「……本番は、これから。」
────────────────────
脳内の劇場 ― fragment.01 ―
闇。
一つの舞台。
観客席には、誰もいない。
ただ、椅子の上に散らばる脚本。
そのすべてに、同じ一文が刻まれていた。
> 《彼女は演じる。彼女は創る。彼女は神である。》
照明がひとつだけ点き、瑠奈が立ち上がる。
白いドレス、手には血の付いた台本。
彼女の声は優しく、だが底に氷を孕んでいる。
> 「ねぇ先生、私が死んだら、あなたの物語は終わるの?」
《いいや、終わらない。君が死ねば、観客が生まれる。》
「観客って、誰?」
《……君を観ている者。》
「そう、素敵ね。彼も素敵だった。私の大好きな赤を纏ってくれたもの。」
沈黙。
そして、ゆっくりと――
瑠奈は観客席の「こちら側」を見た。
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