第5話 恐怖
双郷平和は人殺しになった。
テレビで名前は出なかったが、すぐに彼のことだとわかった。
やがて週刊誌には、彼の過去や罪が記された。それは、私の知る双郷平和とは違う人のようだった。
私は、彼が好きだ。
なのに、彼が人を殺したとわかった瞬間、全てが怖くなった。
確かに彼が好きなのに、もし今彼が目の前に立っていたら「好きだ」とあの時のようには言えないかもしれない。
優しかった彼が嘘ではないことは知っている。
でも、彼がそれ以上に恐ろしい人間だということも知ってしまった。
きっと、彼はあの時には既に殺すことを決めていて、だから私から離れていったのだろう。
私は、彼を受け入れることができるのだろうか。
救えなかった無力感と、やはり彼は私の手の届く存在ではないのだという虚無感に耐えられず、1人で泣くことしかできなかった。
※
私は、双郷平和のことを忘れた日はない。
たった2年と数ヶ月一緒にいただけだ。たった1ヶ月付き合っていただけだ。
長い人生で考えれば、ほんの一瞬だったと思う。
それでも、双郷くんの姿が鮮烈に残っている。
あの、強気な笑みも。
あの、優しい笑みも。
忘れたくても、忘れられなかった。
俳優とも並べるくらいキレイな顔の彼と少しでも釣り合うように、なるべく美容は気にかけた。元々お洒落とか興味なかったけど、バイト上がりに私の私服を見た双郷くんが「それ家着じゃねぇの?」と怪訝な顔をしていたから、ネットや雑誌で勉強もした。
双郷くんが明るい色が好きだと知っていたから、服や小物は明るい色を身に着けるようになった。
会えるかわからないのに、もしかしたら会わない方が幸せかもしれないのに。
それでも、気づけば私は彼のことを想って必死に自分磨きをしていた。
高校を卒業して、偏差値が低めの大学に進学した。勉強なんて嫌いだし苦手だったけど、それでも進学を目指したのはやっぱり双郷くんのことばかり考えていて、彼と並んで恥ずかしくない自分になりたかったからだ。少しでも学を身に着け、彼に追いつきたかった。
他の友だちはそれぞれ前を向き、当たり前のように双郷くんのことを口に出さなくなった。みんな、過去のことだと消化したのだ。
私は、そこまで強くなれなかった。
両親には双郷くんのことは割り切ったと伝えた。元々、両親は私にそこまで関心はなかったと思うけど、私が双郷くんの話をしなくなれば彼らは嬉しそうに笑った。私のペラッペラな嘘を簡単に信じ込んだ。
大学を卒業し、児童デイサービスの児童指導員として就職した。子どもたちの可愛さに癒やされ、手強さに困りながら慌ただしく過ごしていた。
でも、どれだけ忙しくても双郷くんのことを忘れることはできなかった。
ありがたいことに告白をしてくれた人もいたけど、それに応えることもできなかった。私が必死に可愛くなろうとしたのも、仕事を頑張るのも、双郷くんの隣に居るためだったのだ。
私だけが、諦めきれない。
25歳の誕生日を迎え、私はいよいよ探偵に依頼した。
双郷平和を探してほしい。
双郷くんが、絶対に望まないことだ。
でも、我慢できなかった。はやく会って、私を見てほしかった。
探偵が調べ上げてくれた情報は、あまり嬉しくない内容だった。
現在の名前は兎澤和起。株式会社『心ノ花』の社長である兎澤通と妻の兎澤冥子と養子縁組を結んだ。
22歳になった3月に北海道医療少年院を退院し、兎澤家に住むことになった。だが、うまく馴染めず5月に自傷行為をして病院に搬送されそのまま入院。8月に退院してグループホームに入所したが、今度は入居者と性的問題が起きて11月に退所。そのまま自傷他害の恐れがあるからと入院。2月に別のグループホームに入所するも、職員との性的問題が起きて7月に退所して入院。1年間入院後、今年の2月からサポート付きの住宅に一人暮らし。
性的問題も解決していないし、自分の困り感を誰かに伝えることができない。
支援者の中では、ずっと病院生活になるのも近いだろうと言われているらしい。それだけ人との関係をうまく作れないし、自傷行為は激しいようだ。
「こんなことを聞くのもおこがましいですけど、会ってどうするんですか?」
探偵が、眉間にシワを寄せて尋ねてきた。まるで私を哀れんでいるようだった。
「どうもしないです。ただ、友だちと再会したいだけだから」
私はそれだけ答えて、彼の家と職場として通う作業所の住所をスマホにしっかりとメモを取った。
自分から勝手に作業所に押しかけた。作業所は彼の養父である兎澤通の会社が経営している「心ノ花」だ。双郷くんは社長である養父のツテでここに通っているのだろう。探偵から聞いた情報からしても、彼が働ける精神状態ではないのはわかる。
作業所の前で立ち尽くしていると、数名出てきて車に乗り込んだ。きっと送迎車だろう。流石に道を挟んで立っているから誰も私に目もくれない。
5人ほど車に乗り込んだところで作業所から目立つ金髪が出てきた。彼は帽子を手に持ち、事業所の中の方にぺこりと頭を下げる。
そしてこちらを見た。
ばちり。目が合う。心臓がドキリと飛び跳ねる。
一目で彼が双郷くんだとわかった。
顔はびっくりするほど変わっていなかった。昔は顔を隠すように前髪を長くしていたけれど、すっかり髪は短くなり端正な顔がはっきりと見える。快晴のような青い瞳は強く輝いており、雪のような白い肌は羨ましいくらい艶々だ。
名前を呼ぼうと口を開く。なのに、ヒュッと空を切る音がして声が出なかった。
なんて言われる?
もう私のことなんて忘れて「お前誰だよ」って言われるかもしれない。「なんで来たんだよ」と怒鳴られるかもしれない。
でも、ここまで来たんだ。せっかく会えたんだ。だから、声をかけないと。
恐怖と不安に身動きが取れない。その間も、青い瞳が私をじっと捉えていた。
そして、彼は私を認識したのだろう。
双郷くんは花が咲いたように笑って見せた。
その顔は見たことない顔だった。人懐っこいその笑顔は、まるで同じ顔をした別人のようで、さながらアイドルのファンサービスのようだ。
覚悟はしてたんだ。
双郷くんは壊れたんだって、わかってたはずなんだ。
「小芦、だよね? びっくりしたー!」
……貴方、誰なの?
「久しぶりだね、7年? 8年ぶりかな? よくここがわかったね!」
「あ……えっと」
双郷くんは帽子を被りながらニコニコと笑う。その笑顔から出てくる声は、彼の低い地声とは違いやけに明るい。
「大丈夫、気にしてないから。探偵とかに頼んだんでしょ? 昔から俺の追っかけ好きだったよね」
追っかけ。その言葉にズキンと胸が痛む。
そう、私が彼を追っかけたのはこれが初めてではない。児童養護施設に入所していた彼がいつか転校してしまうことを考えて交際中に彼の地元を聞き出していた。そして高校進学の時に彼の地元の高校に進学したのだ。バイト先が被ったのは偶然だけど、同じ街で過ごしていたのは偶然だけじゃない。
わかっていて、彼はバイト先で気づかないフリをしてくれていたのだろう。彼からしたらストーカーも同然だというのに。
「せっかく会ったんだし、ご飯でも行こうか。小芦は確かラーメンが好きだったよね。あと甘いもの」
「あのさ、双郷く」
「今は兎澤って名前なんだ。そう呼んでくれる?」
「っ!」
俯いていると双郷くんが顔を覗き込んでくる。突然至近距離に彼の顔がきて思わず、頬に熱がこもった。
「そ、と、兎澤くん」
「何?」
「と、兎澤くんのオススメのお店、紹介してよ」
震える声でなんとか言うと、双郷くんは「うーん」と悩むように腕を組んだ。その一挙一動が全部、演技くさい。
高校生までの彼を知っているから、どうしても彼のその言動を疑ってしまう。この人は本当に双郷くん? 双郷くんってこんな顔で笑うんだっけ?
私が戸惑っていると、双郷くんは閃いたのか目をきらりと光らせて腕を組むのをやめて前方を指差した。
美味しいラーメン屋さんと、個室ありの居酒屋、どっちがいい?」
「そ、と、兎澤くん、お酒飲めるの?」
「普段は飲まないよ。でも、今日は特別だから、ね?」
お酒飲もうよ、と双郷くんが口元を緩ましたまま言う。私は何も言えずにコクコクと機械のように頷いた。
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