Retire

第1話 恋

 小さい頃、あまり人との関係を上手に築けなかった。


 親はごく普通の、優しい人たちだ。愛されて育った自覚があるし、親なりに大切にしてくれてるのだろうとは思っている。でも、少し難しい性格の妹に付きっきりの2人を見て、私は子どもながらにどこかで遠慮していた。甘えたい時も、悩んだ時も、私は妹の次なのだと思って黙っていた。家族の前の私は、いつも愛想笑いを浮かべて、いわゆるいい子ちゃんを演じていた。


 だからなのか、私を見てほしいという欲求がどんどん膨れ上がっていた。別に、親ではなくてもいい。友だちでもよかった。 


 でも、小学生のときは極度の人見知りで、自分から誰かに話しかけることも出来なかった。クラスの中でも友達と呼べる子はいなくて、私はいつも図書室で漫画を読んでいた。


よく図書室に来る隣のクラスの女の子が、そんな私にもよく話しかけてくれた。彼女は漫画の話とか、ゲームの話をして楽しく過ごさせてくれた。その子は実家が開業医でお金持ちなんだってお母さんに聞いていたから、最初はちょっと敬遠してた。でも、話してみたら気さくで、優しくて、とてもいい子だった。話す前から勝手にイメージを持って距離を持っていた自分が恥ずかしい。


 彼女のおかげで人と話すことの楽しさを知った私は、中学生になったら人並みに色んな人と話せるようになった。みんなと話せば、何だか心が温かくなって、生活が楽しくなった。


 そんな私にも中学2年生の秋、彼氏ができた。

彼氏は、2歳年上の高校生だった。近所にある施設に入所している人で、彼から声をかけてきたのをきっかけに仲良くなった。


 彼は普段は面白いけれど、とても短気な人だった。怒るとすぐに手が出る。付き合いが長くなればその分、手が出る回数も増えてきた。それでも、私は彼と別れようとは思わなかった。


 別れるということ自体が怖かった。もう、この人に必要とされなくなるのだと思うと、自分の存在価値を1つ失うのではないかと感じてしまうのだ。


 2月の某日、放課後彼に呼び出された。公園のトイレの前で叩かれた。彼がムシャクシャしていていたのだ。きっとただの八つ当たりなのだろう。


 「その辺でやめとけよ」


 数回殴られ、また殴られるんじゃないかとうずくまっていたときだった。聞き覚えのある声がした。


 「何で平和がここにいんだよ」


 彼氏が不機嫌そうに彼の名前を呼ぶ。恐る恐る顔を上げると、私を庇うように立っていたのは同級生の双郷くんだった。


 「別にどこにいたっていいだろ。それより、もうやめておけよ。アンタ、そろそろ家庭復帰するんだろ? 問題起こしてたら帰れなくなるぞ」


 「テメェには関係ねぇだろ! このスケベ野郎!」


 彼氏が双郷くんに殴りかかる。双郷くんはそれを避けず、なされるがままお腹に一発拳を食らう。


 「先に手、出したな」


 「は?」


 私が心配の声をかけるよりも先に、双郷くんはボソッと呟くと躊躇うことなく彼氏のお腹に膝を入れた。そして、間髪いれずに彼氏の顎にも拳を入れる。


 「ガッ!?」


 彼氏は雪の上に崩れ落ちた。あまりにもあっさりと私にとっての脅威を倒してしまったことに、呆気に取られてしまう。


 双郷くんは彼氏が倒れてしまったのを確認すると、つまらなそうに溜め息をついて私の方を振り向いた。


 「お前、マジでコイツのこと好きなんか?」


 「え、いや、そういう訳では……」


 ないと思う。


 ただ、自分の存在価値を確認したいだけだ。


 「好きじゃねぇなら別れたらどうなんだよ。暴力する男なんてロクな奴じゃねぇよ」


 「心配、してくれてるの?」


 「ちげぇ。呆れてんだよ」


 「……双郷くん、助けてくれてありがとう」  


 私が立ち上がって頭を下げると、双郷くんはバカにするように鼻で笑った。


 「礼を言うくらいなら別れろ。次はもっと痛いことされるかもしれねぇぞ」


 「うん、そうだね。私じゃ、彼には合わないみたい」


 「そーいうことだな」


 双郷くんは頷くと、唸っている彼氏に肩を貸しはじめた。彼らは同じ児童養護施設に入所しているので連れて帰るのだろう。先に手を出させたあたりはかなりずる賢いなと思ったけれど、きちんと連れて帰ってあげるのは優しいのかもしれない。


 「じゃ」


 「あ、うん。明日ね!」


 双郷くんはまるで何もなかったかのようにズルズルと彼氏の足を引きずりながら帰路に立った。


 私は、彼の背中をいつまでも見ていた。



 私は、その夜に彼氏にメッセージアプリで別れ話を持ち出した。彼氏もあっさり承諾し、呆気なく私たちの関係は終わった。


 私は、すっかり彼氏に依存していたから、心に穴が空いたような気持ちになった。だからなのか、双郷くんのことを考えるようになっていた。


 双郷くんとは中学1年生から同じクラスで、2年生になってからよく話すようになった。


 正直、彼は魅力的な異性だった。まず、見た目。俳優のように整った顔立ちに、快晴の空のように青く澄んだ瞳、太陽の下でキラキラと光る金糸、雪のように白い肌。彼の見た目は私にはドストライクだった。


 それに、才能に溢れていて、文武両道。愛想は決して良くはないけど、いじめられているクラスメイトにも手を差し伸べている優しさがある。彼は、私に無いものをたくさん持っていた。


 ただ、双郷くんは入学当初から女の子と浮いた噂が立っていた。色んな女子と付き合ってはすぐに別れる。一週間くらいで別れた子もいたらしい。そんな話をきいたとき、私は彼に形容し難い気持ちを抱くのだ。私だって決して一途に彼氏を愛していたなんて言えないのに、それでも付き合う人を次々変えていくなんてどんな気分なんだろう。自分がモテるからいい気になっているのだろうか。



 「私と、付き合って下さい」 


 彼氏と別れて一週間後、私は彼に告白した。


 昼休み、人のいない冬の校庭に呼ばれて告白を受けた双郷くんは不思議そうに首を傾げる。


 「あんまいうことじゃねぇかもしんねぇけど、勘違いじゃねぇのか? お前、俺がアイツの暴力止めたから好きって思い込んでるんじゃねぇの?」


 「わからない。でも、私には必要なんだよ、双郷くんが」


 好きかどうかは正直わからなかった。彼を好きになる要素は確かにたくさん挙げられるけど、あの噂が好きという感情を抱くのに邪魔している。


 でも、それでいいんだ。私は心の穴を、寂しさを、双郷くんに埋めてもらいたいだけなのだから。


 双郷くんは少し考えるそぶりをした。それから、まっすぐに私を見つめて条件を出した。


 「俺とセックスできるならいいけど」


 「え、あ」


 平然と真顔で言う彼は、恥ずかしさなんて微塵も抱いていないようだった。きっと、噂は本当で付き合った女の子とはそういうこともしてきたのだろう。


  私が赤面しても彼は真顔のまま返事を待つだけだった。彼にとって、性行為は恥ずかしがることでもないほどに日常のものなのかもしれない。


 「い、いいよ、できる。できるよ」


 「わかった。なら、付き合う」


 全くムードもなく、事務作業のように双郷くんは頷いた。それを見て一縷の不安を覚える。これって、本当に付き合うことになっているのだろうか。


 でも、双郷くんは事務的に頷いたあとは優しく笑った。その微笑みはまるで計算されたように綺麗で、思わずドキリと胸が鳴る。


 「教室、戻るぞ」


「う、うん」


 彼は、優しく私の手を取った。絡めてくる指は自然に恋人繋ぎになり、急な距離の縮め方にドキドキが止まらなかった。





 そんな、恋人関係もたった1ヶ月で幕を閉じた。


 双郷くんから別れ話を持ち出された。「抱けないから」。それが理由だった。


 付き合ってわかった。彼は根本的に人を好きにならない。優しく笑いかけてくれるし一緒にパフェを分け合って食べたり、キスだってするけれど、それは彼にとって愛情ではなかった。


 家に招いた時もあった。勉強も終えてダラダラお喋りをしていたら何となくそんな雰囲気になって、キスをした。でも、その先には進まない。


 彼は性行為に恐怖を持っていた。動揺に揺れる青い瞳は光をなくし、私を抱きしめようとする腕は訳もわからず震え始めた。


 その姿を見れば、何故「セックスができるなら」付き合うと言ったのか、わかってしまう。付き合った女の子はみんな、彼にとって練習台だったのだろう。いつか、誰かを抱けるようになるために、彼は持ち前のルックスと持ち前の柔らかい笑みで女の子を落としていたのだ。恐怖に対する荒療治だったのだ。


  私は彼を責めることはできない。だって、私も彼を利用しようとしただけだったから。彼が優しくしてくれるから、私の心を埋めてくれる存在になって欲しいと、そんな思いだったから。


 「一応聞くけど、私のこと嫌いになった?」


 「そんなんじゃねぇよ」


 「いいよ、双郷くんが辛いなら別れるよ」


 「ありがとう」


 双郷くんは、辛いことを否定しなかった。


別れ話を持ち出された時、私は既に彼を好きになっていた。


  顔が好き。優しく名前を呼んでくれるのが好き。恋人に見せる幼い笑顔が好き。私の趣味に合わせてくれることが好き。変に繕わないところが好き。


 もう、全部好きだった。


 だからこそ、彼との別れは受け入れるしかなかった。あまりに苦しそうな彼を、私は引き止めることができなかったのだ。


 気まずい期間も数日だけだった。別れても私たちはいわゆる友だちで、付き合う前と変わらず漫画の話をしたり、甘いものの話で盛り上がったりした。


 変わらない日々に、ますますこの気持ちは膨らんだ。


 今度は彼に好かれたい。今度は練習台じゃなくて、本気で恋人になりたい。


 そんな覚悟を決めた矢先だ。


 彼は転校して私の前を去った。

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