先輩!私に恋してください!

杏樹

私の春は冬だった

「うぅー、寒い。死ぬ」

暖房が切れた部屋で日誌を書き終わり、廊下に出ると体が震える。

冬の学校はバカみたいに寒い。

節約のためと言って暖房代をケチって、職員室だけは温かい。


震える体を無理やり動かして、廊下を歩く。

通常ルートから行くと渡り廊下に出てしまい、極寒の地に身を露にすることになるので本来は禁止されているが二年の廊下を通って職員室に向かった。

ルール上禁止されているが今は校内に生徒も少ないので見逃してもらえるだろう。

静かな学校は不思議で、少しだけ不気味だ。


「ん?」

足で何かを踏んだ気がした。

ゆっくりと下を向くと誰かの定期が落ちていた。

袖から手を出して定期を拾い名前を確認した。

『マナベギン』

知らない名前に少しだけ興味が涌いた。


「失礼します」

職員室に入ると一気に体が温かくなる。

ここから出たくない。

「先生、日誌持ってきました」

担任の先生に声をかけると、パソコンから視線を私に変えた。

「ありがとう。あら、真鍋さんの定期?」

私の手にある定期を見て先生は驚いた顔をしていた。


「落ちてたので拾いました」

『あぁ、そういうことね』と先生は理解したようで笑っていた。

「多分美術室にいると思うんだけど大倉さん届けてくれる?」

先生の机の上には疲労回復効果のあるドリンクやサプリが置かれていた。

教師の仕事は中々にハードだと物語っている。


特に用事もないので、私は教室に自分の荷物を取りに行ってから美術室に寄った。

美術部なんてあったっけ?と思いながらその扉の前に立った。

授業は音楽を選択しているので美術室に入るのは初めてだった。

ノックをして扉を開けると絵の具の匂いが一気に鼻に入ってきた。

「誰?!」


私が扉を開けたことに驚いたのか、目を見開いた男子生徒と目が合った。

「真鍋先輩?」

「そうだけど?」

ゆっくりと先輩に近づいて、定期を差し出した。

「廊下に落ちてたので」

先輩は私の上にあった定期を手に取った。


「俺の定期。わざわざ届けてくれたの?」

その答えに私は頷いた。

初めての教室に初対面の人間といるのが何だか慣れなくて、ソワソワする。

辺りを見渡しているとパッと近くにあったスケッチブックに目がいった。

「すご。めっちゃ綺麗」


私がスケッチブックを見ていることに気付いた先輩は急いで隠した。

「ごめんなさい」

あまりにも慌てていたので、見てはいけなかったのかもしれない。

気まずい空気に耐えられなくなった私はただ床を見つめることしか出来なかった。

「ごめん、違うんだ」

下を向いている私をしゃがみ込んで見つめる先輩。


その表情は捨てられた子犬のようで、可愛く思えた。

「人に見せるようなものじゃないし、こんな絵」

「え、何でですか!?素敵だと思いますよ」

私の絵の技術は壊滅的だ。

中学の頃の美術の成績が悪かったのを思い出す。


「……名前は?」

「大倉羽衣です」

名前を伝えると先輩は少しだけ微笑んで『ありがとう』と言った。

私はきっとその表情を忘れることは無いのだろう。

たった一瞬の出来事が、私には大切なものとなった。


カーテンが揺れて、冬の風が入ってくる。

寒いはずなのに、私の体温だけは上がっていく。

「先輩、明日もここにいますか?」

一瞬驚いた顔をしたが、すぐに優しい顔になった。

「いるよ」

たった三文字。

それがとても嬉しかった。


次の日の放課後、私は急いで美術室に向かった。

『いるよ』というのはつまり、『来ても良いよ』という意味なはず。

ルンルンで廊下を歩いて扉の前に立つ。

まだ来ていないようで教室が閉まっていた。

ポーチから鏡を取り出して、アホ毛が出ていないか、メイクが崩れていないか、最終チェックを行った。

「よし!」


好きな人の前では可愛くいたい。

きっとこれは全人類に共通していることだと思う。

「大倉さん?」

「ぎゃぁ!」

突然声をかけられたので思わず可愛くない声を出してしまった。


笑っている先輩と目が合った。

「何も面白くないと思うけどいいの?」

先輩は教室の鍵を開けながら不思議そうに私に言った。

先輩を知りたいなんて本人に直接言えるはずもなく、私の本音は心のずっと奥深くに隠れている。

先輩は準備を始めて教室内をウロウロしている。


二日目の美術室の匂いにはまだ慣れない。

「窓開けたら寒くないですか?」

窓を開けている先輩に声をかけた。

「換気しないと匂いが籠るからね。あ、でも寒いよね」

先輩はカバンの横に置いていたマフラーを私の膝の上にかけてくれた。


その温かさに十分体は温かい。

「絵を描くのは好きなの?」

先輩はキャンバスに向かいながら話しかけてくれる。

「私の絵はダメですね。見るのは好きですけど」

私の方を向いたかと思えば、立ち上がってペンと紙を置いた。


「ねぇ、何か描いてみてよ。見てみたい」


ズルいです、先輩。

好きな人からのそんなお願いを断れるはずがないじゃないですか。

じっと見つめられる手の先をゆっくりと動かした。


二人きりの美術室。

寒いはずなのに、体温は上昇する一方。

きっとこれが恋なんだと思う。

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