第10話

『花火大会に行こうよ!』とさくらから四人のグループにメッセージが届いたのは、夏休みも終わりかけの頃だった。

『いくいく!』

『僕も行きたーい! もちろん奏斗も行くよね?』

 ものの二秒で返信とスタンプが送られてくる。律も唯乃もメッセージに対する瞬発力が強い。奏斗は心の中で『めんどくさい』と思いながら、そっと画面を閉じた。

 律とのメッセージは楽しいが、四人で出かけたいわけではない。

 しかし画面を閉じた瞬間から、ブー、ブーといくつも連続で通知が届く。いっそ通知を消してしまおうともう一度スマートフォンの画面を開いた。

『めんどくせえ』

『そうだ、既読スルーしてやれ』

『そろそろ通知がうぜえから切ってやるか』

『って思って、画面つけるのが、今! この時!』

 奏斗の心境を代弁した短いメッセージが律によって送られてきていた。

 それに続き、

『それな』

『ツンデレ奏斗』

 と、唯乃とさくらのメッセージが続く。

 腹が立った奏斗は『俺の気持ちを代弁するな』と送る。

『ほら! 見た!』

 という律のメッセージの後に、爆笑している様々なキャラクターのスタンプが飛び交った。

 三人のあまりの遠慮のなさに思わず笑い声が漏れる。一線引かれている別のグループとは扱いがあまりに違う。奏斗はそれが気恥ずかしくもあり、嬉しくもあった。

「にいに、何笑ってんの? キモ」

 現実に連れ戻す和奏の声で我に返る。リビングにいたことをすっかり忘れていた。ノートパソコンを抱え大きなヘッドホンを装着していた和奏に話しかけられるとは思わず、瞬間的に顔の筋肉を硬直させ、何事もないかのように無表情を装う。

「いや遅いし、今にやけてたし」

「ちょっと面白いこと言われただけ。どうぞ、お気になさらず」

 怪訝な顔をしながらも、和奏はもう一度ヘッドホンを装着してデジタルの世界に入っていった。

 奏斗から見ても、和奏はだいぶユニークだと思う。なぜか幼少期から英語に異常なまでの興味を持っていて、放っておけば永遠に海外のアニメを検索して見ていた。日本の有名なアニメでさえ、英語版を見ている。他にこれといって得意なことはなさそうだが、奏斗よりもはるかにインターネットの世界にどっぷりと浸かっていて、両親は和奏の変人ぶりを幼少期から相当心配していた。

 結局、そんなに英語が好きなら、と中学から国際教育に力を入れている私立に通っている。奏斗にしてみればただの金食い虫だ。

「奏斗、日曜日、おじいちゃんの家に行くから、忘れないでね」

 キッチンに立っていた母が奏斗に向かって声をかけた。

 日曜日。

 スマートフォンの画面をもう一度覗き込む。花火に行こうと言われているのは日曜だ。

「お母さん、それ、何時まで?」

「朝のうちにお墓参りして、昼をおじいちゃんの家で食べたら帰ってくるつもり。そんなに長居はしない予定」

「じゃあ、俺は夕方から友達と花火大会に行くから」

 しばらく返事がないかと思うと、餃子を包みながら母が現れ「珍しいね、奏斗がそういうイベントに友達と行くの」と嬉しそうに微笑んだ。


 老若男女でごった返した駅に着き、待ち合わせの改札を出ると、柱を背もたれにして、浴衣姿の唯乃がスマートフォンを覗き込んでいた。鉄壁の前髪は浴衣に合わせてふわりと巻かれていて、人違いではないかと恐る恐る奏斗が近づくと、唯乃の方から気付き顔を上げた。

「お、久瀬くん」

「よかった。雰囲気が違うから人違いかと思った。浴衣、似合ってるね」

 奏斗が何の気なしに言うと、唯乃ははにかんで「ありがとう」と下を向いた。

 待ち合わせ時間ぴったりに、律とさくらが改札の向こうに見えて、奏斗は軽く手を上げた。二人は奏斗と唯乃に気がつくと、無邪気に大きく手を振って小走りで駆け寄ってきた。途中、浴衣姿のさくらが転びそうになるのを律に抱えられ、ゲラゲラと笑っている。

「転ぶかと思ったぁ」

「さくら、あのまま転んでたら膝逝ってたよ」

「やっばー。浴衣汚したらママに怒られるとこだった!」

 顔を合わせた瞬間にやかましくなる三人に圧倒されて、奏斗は一歩後退る。気付いた律が無理やり奏斗と肩を組んでニヤついた。

「絶対来ると思ったんだよねえ」

 気持ちを見透かされたようで癪だったが、実際こんな学生らしいイベントは初めてで、胸が躍っていた。

 辿り着いたのは、打ち上げ場所から海を挟んで反対側にある公園だった。観光エリアではないから穴場だと律は言う。確かに、結婚式場と公園しかなく、用がなければ近隣住民くらいしか歩かないエリアだ。

「ねーねー! かき氷食べようよ!」

 近くのコンビニエンスストアの前でさくらが飛び跳ねた。続く酷暑のせいでかき氷やアイス、冷たいドリンクを求める人で、大行列ができている。

 安全に食べられる場所を探す方が困難なほど混み合った公園内で、やっと落ち着けるエリアを発見して、四人で四色のかき氷を持った写真をさくらがスマートフォンで撮影する。SNSでよく見かけるやつだ、と思うと奏斗は少し照れくさくなった。もう何もないまま終わるのだろうと思っていた高三の今頃になって、青臭い思い出を作っていることがなんだか感慨深かった。

 唯乃のかき氷のカップから、氷がこぼれ落ちて袖についてしまいそうで、奏斗は「浴衣に落ちるよ」とカケラを指にとった。

「ごめん、ありがとう」

 唯乃は上目遣いで奏斗に向かって礼を言った。

 なんだか今日は唯乃が妙によそよそしい。カラオケの時の方が、ざっくばらんに話しかけてくれた気がした。何かしでかしたのだろうかと心配になったところで、突然律に腕を掴まれた。

「奏斗、焼きそば買いに行こう」

 律は奏斗の返事を待たずにグイグイと出店に向かって歩き始めた。

 戸惑いながら女子二人の方を見ると、「よろしく!」とさくらが大きく手を振っていた。

「奏斗さぁ」

「何?」

「奏斗って、唯乃に気がある?」

 律の言っている意味がさっぱりわからなくて、奏斗は本気で怪訝な顔をして首を傾げた。

「いや、なんで?」

「いやいやいや、おい!」

 焼きそばの出店の列に並んだ途端に、律は裏拳で奏斗の腕にツッコミを入れた。

「無意識にやってるの? ああいう仕草」

「ああいう仕草って何?」

 律曰く、指で氷を取る仕草がそうだという。

 先程のやりとりを反芻して、あの行動の、何が、相手に気がある様に見えてしまうのかと分析したがさっぱりわからない。奏斗にしてみれば、相手がさくらでも、和奏でも、同じようにする。

「奏斗って、鈍感なんだ」

「どういうこと?」

「こないだのカラオケの時から僕もさくらも気付いてるんだけど、唯乃は奏斗に気があるよ」

「ええ? どうしてそうなるんだよ」

「僕がびっくりだよ! 奏斗はそういう……なんていうの? 恋愛の機微に疎いの?」

 そりゃそうだ、とも言えず、奏斗は黙り込んだ。

「今日の花火もさあ、奏斗誘おうって言い出したの、唯乃なんだよ」

「そうなの?」

「そうだよ。髪の毛巻いちゃったりしてさ。あんな唯乃、僕も見たことないよ」

 もちろん奏斗にはそんなつもりは全くなかった。でも自分が彼女に対して思わせぶりな態度を取っているのだとしたら、悪いのは自分だ。

「奏斗は、唯乃は無理なの? いい子だよ、あの子。僕が保証するけど」

 律はなんだか不機嫌そうに見えた。せっかく楽しい高校生活の思い出が初めてできたと思った矢先、こんなに気が重くなるなんて思わなかった。皆、どんな行動が相手の気を引くかとか、恋愛的に好意を感じる行動なのかとか、自分にわからない感覚を共有している。

 巧まずして、自分のことについて伝えるタイミングは、今なのではないかと思った。

 律なら、さらっと流してくれるのではないだろうか?

 言葉の意味がわからなければ、それでもいい。

 奏斗は周囲を見渡して、誰もがそれぞれの連れ合いとの会話に夢中になっている事を確認する。

 真剣に、重たい悩みだと思われたくない。できるだけなんでもないことのように伝えたい。

「ごめん。俺、多分アロマンティックなんだ。唯乃には、天然で無意識にやってるよってそれとなく伝えてほしい。これからは気をつける」

 早まる鼓動と震える指先が異常な緊張を物語っていた。周りに聞かれない程度の声で、さらりと。いろんなことを意識しすぎて、奏斗の頬は実際には引き攣っていた。律がそれに気がついていたかはわからないが、ほんの少しだけ間が空いてから、表情も変えずに律は言った。

「なんだ。そっか。じゃあ、無理だよね」

 想像以上にあっさりした返答に、奏斗は呆気に取られた。

「それじゃあ意識してないよなあ」と呟いている。きちんと意味を理解しているようだ。

「唯乃には僕は何も言わないから、もし彼女が気持ち告白したら、その時は言ってあげて。僕もフォローするし」

 やはり焼きそばを買う列に並びながらする話ではなかった。

 どうしてそんな言葉を知っているのか、もっと話がしたかったのに列はもう間も無く最前に到達してしまいそうだった。


 数年ぶりに見た花火は、適度な風が煙を流し、大輪の花が隠れることもない、最高のコンディションだった。それでも奏斗は、心ここに在らずとなってしまった。

 唯乃が意識している、と聞いて、奏斗は唯乃に近付きづらくなった。あまり露骨にしてしまえば彼女を傷つけてしまうだろう、と考えると、その塩梅が難しい。

 花火が終了した後の駅に向かう人の波を避け、奏斗たちは一駅先まで歩くことにした。遠くを走る貨物列車の音が時折会話を掻き消すが、律たち三人はその度大声になって、それすら楽しんでいるようだった。

「学校始まってもさ、うちらって久瀬くんに話しかけていいの?」

 俯いて草履の踵をわざと鳴らしながら、さくらが不意に言った。

 なぜそんなことを聞くのかわからず、「なんで?」と聞き返す。

「うちらなんかと一緒にいるのを見られたら、なにか言われるんじゃない?」

 唯乃もさくらと同じ様に、心許ない表情を浮かべる。彼らは学校内で問題でも起こしているのだろうかと不思議に思った。

「僕たちって、浮いてるから」

 浮いている。奏斗には、むしろその表現は、どこのグループの中でもふわふわと漂っている自分の方が適切な気がした。

「一年の頃から、どうも馴染めなくて。クラスLINEにも入れてもらえず、イベントにも呼ばれず。スクールカースト外。存在無視。そんな僕らがさ、学校一の秀才でダントツ一軍の奏斗に話しかけたりなんかしたら、まぁ序列がさ。ひっくり返るわけ」

 実際喋るイメージと、彼らから聞く学校での話が噛み合わない。

 自分が一軍とかいう見えない組織に組み込まれている。外からそんな風に見えていることを、奏斗は初めて知った。

「一緒に花火大会に行こうって誘ってくれたのは、三人だけだよ。だからむしろ、俺もそっちの仲間に入れてよ」

 三人は、目を丸くして顔を見合わせた。

「二人とも、俺の呼び方、奏斗でいいよ。俺ももう慣れたし」

 唯乃とさくらは互いに顔を見合わせてから奏斗の方に向き直り、「じゃ、うちらも名前で」と照れくさそうに言った。


 その夜奏斗はヒナタにメッセージを送った。

『こないだ話した友達に、俺がアロマンティックだって伝えました』

『そうなんだ。急な心境の変化?』

 奏斗は悩みつつ、今日あった出来事をかいつまんでヒナタに説明した。ヒナタは、律がアロマンティックを知っていたこと、抵抗なく受け入れたことに驚きを示した。

 律自身は恋愛感情を持っているのだろうし、調べることがなければ知らないと思われる言葉を理解して使っている理由が聞けたら良かった。

 ヒナタは、最近はメディアの力もあり関心を持つ人は多いのだと教えてくれた。言葉を知っていたとしても、染みついた価値観は簡単には変わらないものだから、律は元々偏見が全くないか、価値観が変わるくらいの経験をしたか、もしくは努力して理解しているか、のどれかなのだろう。

『カミングアウトすると、そのうちわかるって言われる人が多いと聞いていたから。そうなんだ、で終わるなんて思わなかった』

『自分でも、全てを受け入れることは難しいからね』

 いつかは欠けたままの自分自身を受け入れることができるのか、『そのうちわかる』に縋りたい自分を諦めることができるのか、奏斗には今も、これから進むべき道が見えないままだ。

『ヒナタさんは、今の自分のこと、全部受け入れられてますか?』

 ヒナタの問題と奏斗の問題は全く別のもので、彼の経験を聞いたからといって何か参考になるわけではないとわかっていた。それでも、答えの出ない問題とどう向き合って大人になっていったのか、興味があった。

 ベッドに寝転がり、ヒナタの返事を待っていると、少しずつ返信が届いた。

 子どもの頃からずっと性別違和を感じていたこと、大学に入って初めて、性同一性障害の診断を受けたこと。インターネットもそこまで普及していない時代で、その言葉自体が初耳だったという。

 大学の寮の共同浴場が死にたくなるほど苦痛で、早々に寮を出たらしく、いじめがあったのではと心配してくれた教授に性別違和を初めて打ち明けた。

『その教授に、病院を紹介してもらってね。僕はそこで診断を受けて、やっと自分が何者なのかがわかって、心底ホッとしたよ。それでも、体が男ではない事への違和感は拭えなかった。訳あって今も戸籍は変えられていないけど、もし教授に出会っていなければ、僕はもっと長い間苦しんだと思う。今の自分を全力で認められているかと問われれば、はい、とは言えないかな。大切な人には嘘もついたし。ずっと忘れられない』

 ヒナタの話に出てくる『大切な人』は、今もずっと彼の心の中にいる人なのだと思った。奏斗が今得ている情報の全ては、ヒナタたちの世代の人が蓄積してくれたものだ。もし、当時のヒナタが、その大切な人に、本当の事を打ち明けられていたら。今、彼はもっと自分を認めることができたのかもしれない。

 どこまでヒナタに踏み込んだ質問をしていいものか、文章を書いては消して、指は彷徨う。所詮はネット上の知り合いで、心を通わせた気がしていても、実際には会ったこともない他人だ。しかし奏斗の頭の中に渦巻く不安が、聞かずに済ませる事ができず、送信ボタンを押していた。

『ヒナタさんは、その大切な人に嘘をついたこと、今も未練があるんですか?』

 ヒナタからの返信はなかなか届かなかった。ベッドに仰向けになったまま奏斗は頭を抱えた。やってしまった。送信した文字は消す事はできない。心苦しくなって頭の中が弁解の言葉で溢れ返った頃、スマートフォンが震えた。

『彼女が今幸せなら間違ってなかった。きっと、幸せだと思う』

 妙な言い回しだと奏斗は思った。

 まるで今の彼女を知っているかの様だ。

『その人が、今何をしているか、知っているんですか?』

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