七転び八起き
「あぁ……もう……終わりよ……」
直海さんはかすれた声でぼそぼそと話している。
「どうして香夏子……どうして……」
直海さんは寝言を言っているようだ――あれから、俺たちはすぐに山を下り、病院へと向かった。直海さんの口には酸素補給のためのマスクがつけられている。医者曰く、あまり容体は良くないようだ。
「香夏子さん、本当にすみませんでした」
俺は頭を下げれる限り下げた。
「いや、いいの。どっち道、いつかはこうなるってわかってたから……」
香夏子さんは苦笑いのような表情を見せた。
「ただ、ごめんだけど……撮影はもう……そういう気分にはなれないかな」
当然だ――
「はい……わかりました」
「ごめんね。ホントに……番組にも迷惑だよね……あ、損失分はお金、払うからさ」
香夏子さんは今にも泣きそうな顔だった。
「いえ、今まで撮った分で十分作れますから大丈夫ですよ。俺が必ずいいものにしてみせます」
「そう……ならいいんだけど……」
「では、これで……」
俺はこの場の空気感に耐えきれず、病室をでた。
俺はなんて自己中なんだ――自分たちの利益しか考えずに、直海さんの事情も考えもしなかった。少し考えればわかったはずだ。どう考えても直海さんは体が弱く、無理はできないとわかったはずなのに――俺は――また人を殺すのだろうか――
俺は近くのベンチに座り込み、涙を浮かべた――
「くそ! 結局俺は……」
足音が聞こえる。
「何塞ぎこんじゃってんの? まさか自分のせいだとでも思ってる? 自意識過剰だね」
香夏子さんだ。さっきまであんなに落ち込んでいたのに――
「すみません……」
俺は下を向いたまま謝る。
「はぁ……あんたがそんなんだと私の宣伝を任せられないんだけどなぁ……」
香夏子さんは少しだるそうに言った。
「あのねぇ、悪いのは100%お母さんなの……もしそれでも自分が悪いって思うんなら、私の宣伝を成功させて、わかった? それが今のあんたにできることでしょ……」
香夏子さんは俺を慰めるように言った。香夏子さんだってキツいはずなのに――
「分かりました。約束します……」
俺は改めて、自分を情けなく思った――何をしてるんだ俺は――こんなところで立ち止まっている暇は無いのだ。
「取り乱してしまい、本当にすみませんでした……俺はやるべきことをやります」
「やるべきことをやるのは当たり前でしょ、はは……楽しみにしてるよ」
俺は改めて、香夏子さんに頭を下げ、その場を後にした。
その後、会社へと向かった。家でもノートパソコンで編集はできるが、それでは限界がある。会社のパソコンを使いたい。村上さんが病院の外で待ってくれている。
会社に着くと、俺は狂ったように今までの素材をすべて見て、編集を始めた。罪悪感と虚無感、自分の情けなさから来るこの感情をどう表現すればいいのかわからない――ただ、ひたすらに目と指を動かした――
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
どれくらい経っただろうか――いつの間にか眠っていた。頭が酷く痛む。椅子に座ったまま、机に突っ伏していたからだろうか、手が痺れて感覚がない。俺は椅子から立ち、ふらふらとしながらカーテンを開けに行く。カーテンの隙間からは日光が漏れており、もう朝だということが分かった。
この部屋はパソコンが5台しかない小さな部屋で使う人はほとんどいない。だからこうして寝ていても誰にも迷惑はかからないのだ。
昨日の編集作業でもう3分の1が終わった。撮影は時間がかかるが、編集はあっと言う間だ。20分という非常に短い時間に収めないといけないからそれが本当に大変だ。見せたい映像が沢山あるというのに――
俺は昨日のことを思い出していた。どうすればよかったのだろうか――良かれと思ってやったことが、裏目に出てしまった――そうだ、香夏子さんに連絡してみよう。
「直海さんの容体はどうですか? あと、昨日は本当にすみませんでした」
連絡した後、俺は会社の休憩所に行った。休憩所で珈琲を買い、頭を落ち着かせようとした。もちろんブラックは飲めないのでミルクコーヒーだ。
あの家族を救う方法はあるのだろうか――それこそ、香夏子さんを宣伝し、有名にすることができれば、香夏子さんもお金を稼ぐことができるかもしれない。
そんなことをぐるぐると考えながら、ソファに座っていると、雨谷さんがやってきた。
「なんだなんだ? 疲れてんなぁ」
相変わらず、空気の読めない人だ。俺は入社してからの2か月間は雨谷さんの下について仕事をしていた。だからかなりお世話になっている人だ。
「少し休んでるだけですよ……」
雨谷さんは俺の顔を覗き込むように見ながら、俺の隣に座った。
「お前はいつも疲れてんなぁ……そうだ、今から飯食いに行かないか?」
そういえば、昨日の夜から何も食べてない。考えることに集中しすぎて、空腹感を感じなかったが、食べていないことに気づいた今はお腹が減って仕方がない。
「はい、行きます」
「そう来なくっちゃな!」
俺と雨谷さんはその後、車に乗り、店へ向かった――
「ここは……」
着いたのは、いかにも高そうな寿司屋だ。
「ここは俺のお気に入りの場所なんだ、ふふーん……楽しみだな」
「いいんですか? こんなに高そうなところ……」
「金ならいっぱいあるんだ。仕事が順調だから、ボーナスたっぷりだぜ、へへ」
雨谷さんは仕事だけはできる男だ。
「なら、お言葉に甘えて」
そうして、店のドアを開くと、チリンチリンッと音が鳴った。
「いらっしゃいませ!」
入るとすぐに、女性店員が対応してくれた。
「予約していた雨谷です」
「雨谷さんですね。席までご案内いたします」
予約までしてくれていたのか、抜け目がない男だ。おかげで待つことなくスムーズに入ることができた。
案内されたのは個室だ。本来は4、5人で使う個室だろうが、2人でなんて勿体ない。俺たちは向かい合うようにして席に座った。
「よし、先に色々頼んでおこうぜ」
そう言って、雨谷さんはメニューを手に取った。そうして各々で食べたいものを決め、注文した。注文したものは2人で食べるにしては多いような気がする。しかもドリンクを俺のも合わせて4人分も頼んでいた。いったいどれだけ食べるつもりだろうか――
突然、個室の襖が開いた。店員が来たかと思い目をやると、子連れの女性がいた。
「ごめーん、遅くなった」
女性が申し訳なさそうに手を合わせて謝っていた。
「お、来たか、座れ座れ」
俺は今の状況を理解できずにいた。
「え……どなたですか?」
雨谷さんはニヤニヤしている。
「あー、言うの忘れてたわ。あはは、俺の妻と娘だ。今日は楽しもうぜー」
は? 何を言っているんだ。
「あなたが達郎の部下の花田さんね。本当に若いのねー、いいなぁ」
達郎――雨谷さんの名前か。
「どういうことですか! 雨谷さん」
「まあまあ、落ち着け。たまにこうやって家族と部下とか友人と一緒に飯を食べるんだよ」
なんだそれは、理解できない。
「家族だけで、わいわいするのもいいけど、こうやって他の人も一緒にわいわいするともっと楽しいのよ?」
雨谷さんに似て、自由な人だ。
まあ、雨谷さんには恩がある。それに、たまにはこういうことに付き合うのも悪くないか――
「お兄さん、カッコイイね」
娘さんが俺の隣に座った。小学4,5年生くらいだろう。
「お前に娘はやらんぞー」
「俺彼女いますから!」
そんな他愛ない話を俺たちは続けた。案外楽しくて、悩んでいたことを忘れてしまった。雨谷さんが面白いことを言って、奥さんがそれを広げて、娘さんはリアクションをとる。いい家族だと思った。
「で、お前の悩んでることってなんだ? 顔に『悩んでます』って書いてただろ」
突然、雨谷さんが話を変えて、俺に話題を振った。
「いえ、もう大丈夫ですから」
俺は笑顔で返す。
「いえ、じゃねえよ。お前の悪い口癖だぞ! 正直に話せよ。俺たち家族は寛容だからな!」
俺は少し迷ったが、この人たちになら話してもいいと思った。
香夏子さんと直海さんとのことについて全部話した。その間、夫婦は真剣に聞いていた。前もだ――前も雨谷さんは俺の話をちゃんと聞いてくれた。
「ふーん、そんなことが……大したねえな!」
パンッ、雨谷さんの奥さんに叩かれている。
「もう、無神経ね! 大変だったのね、花田くん。よく頑張ったわ」
雨谷さんの奥さんはそれはもう優しく俺を慰めてくれた。
「なんだ、別にお前の悪いところは1つもねえだろ。大事なのは過去を振り返ることじゃない。今から何をするかだ。とりあえず、お前は編集に力を入れろ。編集はまだまだ未熟だろうから、他の企画のやつに教えてもらえ。あとは、そのー、直海さん? の見舞いにも定期的に行け。今できることはそれくらいだろ」
ごもっともな意見だ。
「あんまし深くは考えるな。当たり前だが、人生全てが上手くいくわけじゃない。それはお前がよくわかってることだろ? こうなるべくしてなったんだ。今の状況もそう! なるべくしてなってるんだ。だから食うぞ!」
雨谷さんは豪快に寿司を食べだした。まだ食うのか、この人は。
まあいいや――今は香夏子さんの為に――いや、結局は俺の為か――まあ、どっちにしろ仕事をやるしかない――行動あるのみだな。
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