楽しいお出かけ
俺は今、香夏子さんの部屋にいる。
「だから……行かないって……」
俺は香夏子さんと直海さんが一緒に思い出の場所に行くように説得をしている。恐らく直海さんの方は行ってくれるだろうが、香夏子さんはそうもいかない。
「香夏子さんにとって嫌なことだということは分かっています。でも、どうしても香夏子さんたちの関係をそのままにはしておけないんです」
香夏子さんは椅子に座り、俺は床に正座している状況だ。これが、社会人か――
「だから……なんであんたにそんなこと言われないといけないの? 番組となんか関係ある? 私の活動を宣伝してくれるだけでいいんだって!」
俺は頭を床につけ、土下座をした。
「お願いします。こちらに都合がいいことを言っているのは承知です……でも、あなた方が2人で楽しく話しているところを俺は撮りたいんです」
「はぁ……まあ都合がいいことを言ってるのはお互い様か……ちょっと考えさせて」
「はい、ありがとうございます」
「いや、まだ行くとは言ってないから」
俺は置いていた自分の荷物を持って、香夏子さんの部屋を出た。
どうしても、俺は撮りたい。あの親子が仲良くなって、直海さんが香夏子さんを応援している姿を――
階段を降りると、直海さんがリビングで横になっているのが見えた。とても話しかけられる雰囲気ではない。
「ゴホッゴホッ……」
直海さんは何度も咳をしている。そういえば、たまに咳が止まらなくて、息苦しそうにしている気がする。俺は家を出て、村上さんが乗っている車に乗った。
車の中で色々と考える中で、俺はある疑問が浮かんだ――直海さんはもしかして働いていないのではないだろうか――よくよく考えればいつも家にいる。休日でも平日でも変わらずに――
それにあの咳、俺が入院している時もよく咳をしている人がいた。あれは間違いなく病気だ。年の割に痩せすぎているのもそれが原因かもしれない。
それから4時間、俺は撮影した動画の編集作業をしていた。大体の構図は頭の中でできている。あとはピースが揃うかどうか――
ピコン――通知音がなり、俺はスマホを開いた。香夏子さんからだ――
「お母さんと話して行くことになった」
良かった、これで俺が見たい――いや、視聴者も見たい映像が作れる。それにあの親子にとってもプラスに働くはずだ。
だが、俺の体がもつだろうか――正直、行きたくは無いのだが、村上さんだけに任せるわけにはいかない。無理だけはしないようにしよう。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
当日――
俺はまたしても村上さんと一緒に待ち合わせ場所へと向かった。
「おはようございます……」
俺は眠たい目を擦りながら、すでに待っていた2人に挨拶をした。
「待ってましたよー」
香夏子さんはニコニコしている。母親と2人で待っていた割には楽しそうだ。それに直海さんも笑顔だ。
「懐かしいわ……今日はいい天気で山登りには最適ね」
直海さんは今から登る山を見つめていた。そう、思い出の場所というのはこの山らしい。小さな子供でも登れるような低い山で道の整備もされた安全な山だ。
香夏子さんに聞いたところ、ここは小さい頃――まだ、直海さんが離婚する前に家族全員で行った場所らしい。そのあとに両親の仲が悪くなり、家族で出かけることはなくなったそうだ。
「うわぁ、当たり前だけど辺り一面。森って感じ」
香夏子さんはそう言いながらどんどん進んでいく。
「香夏子、ちょっと早いわよ」
直海さんがすかさず香夏子さんを止めた。
その後、ちょくちょくは話すものの、無言で歩く時間が多かった。俺たちがいる分、少し気まずいのかもしれない。
「村上さん、少し離れた位置から撮影しましょうか……」
俺と村上さんはこの親子から少し離れた。
「別に離れなくていいよー」
「いえ、俺疲れちゃったので……先に行っててください」
村上さんはピンマイクを2つ取り出し、親子のもとへ走って、渡していた。
「えー、これつけるのー? 会話丸聞こえじゃん……」
そう言いつつも、親子はつけてくれた。
俺たちは2人の背中を見ながら歩いた――それから数分後、直海さんが香夏子さんに話しかけていた。直海さんの声は聞こえないが香夏子さんの声は大きいので一部聞こえていた。
仲が悪いと思っていたが、ただたんにお互いが対話をしていないだけだったのかもしれない。こう見ると、どこからどう見ても親子だ。2人とも不器用なだけなのかもしれない。
何を話しているのか、後で聞いてみようか。盗聴のようだが、それはまあ、仕方がないだろう――
しばらくして、2人の空気感が変わるのを感じた。俺たちは2人においくつために早歩きで向かった。
「何話してたんですか?」
「ただの世間話よ」
直海さんが隠すように答えた。もう1時間は歩いただろうか――
「そろそろ休憩しませんか?」
流石に疲れてきた。
「若いくせに全然体力ないんだね……だっさー」
香夏子さんが俺を煽るように言った。
「もうちょっとで休憩所につきますから……そこまで頑張りましょう……」
直海さんは息切れしながら言っていた。少しきつそうだ。
数分後、休憩所に到着した。広い敷地の中にポツンと木製の建物がある。ここら一帯は木々が少なく、開けている。低い草たちが風になびき、カサカサと心地よい音をたてていた。
駐車場には沢山の車があった。なんだ、車で来れる場所だったのか――
「うわぁ、美味しそう……」
香夏子さんは他の人が食べているソフトクリームを見ていた。ここにはチーズやハムなどの加工品、ハンバーガーやから揚げなどの軽食が豊富にある。人もそれなりにいて、賑わっている。俺たちは各々買いたいものを買って、見晴らしのいいイートインスペースに座った。
俺は上からの景色を眺めていた。低い山とはいえ、高さはかなりあるように見える。ここからでも十分町が一望できる。
登っている時は親子の動向に夢中で景色なんて全然見ていなかった。町は田んぼが多く、ほのぼのとした雰囲気だ。下に見える木々との調和が素晴らしいと感じる。
「懐かしいね。あの時もこのくらい晴れてて、風が気持ちよかった。あの時が一番……幸せ……」
香夏子さんは言い終わらずに、ずっと遠くを見ていた。直海さんもそれと同時に寂しいような顔を見せた。
俺はかける言葉に迷った。過去を詮索するのはきっとよくないだろう。
話題を変えなければ――
「お母様は配信は見られるのですか? 香夏子さんや他の配信者など……」
直海さんの顔が鬼の形相になっていくのを感じ、言葉を詰まらせた。
「だから……その話は今しないで! この分からずや! 今日だけは何も考えずに楽しもうと思っていたのに……娘との時間を奪わないでちょうだい!」
直海さんは俺に指を指しながら怒号を浴びせた。
そうか――直海さんは娘が嫌いだったり、腹立たしかったりするわけじゃない。娘の将来を脅かす『配信』や『SNS』に嫌悪感があるのだ。よくよく考えてみれば、直海さんは香夏子さんに配信以外で口を出すことがなかった。
「ちょっと、奏さんは何も悪くないでしょ! この山登りを提案したのも奏さんだよ。どうしてそこまで……私がやりたいことを否定するの……」
「あなたのことを思ってに決まってるでしょう! 何度言えばわかるの……もう……」
直海さんは感情が抑えられずに泣いてしまった。それはもう病的なほど精神が追い詰められているのだと感じる――
「はぁ……もういいよ」
香夏子さんは席を立ち、建物へと向かった。俺はどうしようか迷ったが香夏子さんのもとへ行くことにした。一応カメラを持っていこう――
「香夏子さん!」
香夏子さんは足を止めて振り向いた。
「ごめんね……うちの親が」
「いえ……」
「ちょっと場所を変えようか」
香夏子さんは手招きした。俺は香夏子さんについていった――建物横の人けが少ないところに着いた。
「はぁ……いつもあんな感じなんだよね。お母さん」
香夏子さんは後ろで手を組み、下を向いている。ガヤガヤと他の人の声が聞こえて、香夏子さんの声が聞き取りづらい。
「どうして、あそこまで思い詰めているのでしょうか?」
香夏子さんは少し迷った後、話し始めた。
「お母さん、肺炎でさ……しかも喘息も持ってるのが厄介なの。多分、喘息が原因で肺炎なった可能性があるっぽい……今は落ち着いてるから家にいるけど、何度も入退院を繰り返してるんだ……だから不安なんだよ。金銭面もそうだけど、私を1人残すかもしれないっていう不安があるんだと思う」
俺が想像しているより、はるかに重い内容だった。直海さんの体調が悪そうなのは肺炎が原因だったのか――
「私もよくは知らないんだけど、お母さんの年齢なら肺炎になっても治ることが多いらしいけど、お母さんはもとから体が弱くて、ずっと治ってないんだよ。自分が死んじゃうんじゃないかって、毎日怯えてるの……」
「じゃあ、今日は来ない方が良かったんじゃ……」
「だから、提案するのを迷ったし、私も無理して来なくていいって言ったんだけど、どうしても行きたいって言うからさ……やっぱ言わない方が良かったのかも……」
携帯が鳴った。村上さんからだ。
「奏くん、大変だ! 直海さんが呼吸困難になって、今、救急車を呼んだんだけど、場所的に到着が遅れるみたいだ……」
香夏子さんは急いで直海さんのもとへ走っていった。電話越しに聞こえていたようだ。俺も急いで向かった。
向かうと直海さんが倒れていて、音を出して呼吸をしているのがわかった。周りには数人、見知らぬ人がいて、あたふたとしている。
香夏子さんはすぐに直海さんのカバンから吸入器を取り出し、直海さんの口に当てた。
「大丈夫! お母さん! お母さん!」
返事は帰ってこない。ヒュー、ヒューという音が絶望感を感じさせる。
少しして、症状は少し落ち着いたように見える。それと同時に救急車が到着した。救急車が鳴らすサイレンは事態の深刻さをよりいっそう掻き立てている。直海さんはすぐに担架で車内に運ばれた。
救急車が出発し、サイレンの音が聞こえなくなると同時に安堵した。俺は胸に手を置き、なでおろす。
香夏子さんのことが気になり、目をやると、子供らしく、整った横顔にはいくつもの水滴が、ぽろぽろと流れ落ちていた――
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