煌めく夜
俺は今、株式会社『ガーベラ』のビルの前にいる。見上げても一番上の階が見えないほどの大きなビルだ。
ここで働くのか――俺なんかが本当にここで働いていいのだろうか? 社会経験もろくにない、高校生だった奴が立派な会社で働けるなんて。こんなうまい話はないと思った。もしかしたらこき使われて、そのあと捨てられるのかもしれない。でも、俺にはここしかないんだ。
俺はビルの前の白い階段を登って、自動ドアをくぐり抜けた。入ると広々とした空間がある――と思いきや、おしゃれな雰囲気の受付と思われる場所があり、そこから左右に通路があるだけだった。
「すみません……」
「はい、どうされました」
「今日からここで働かせていただく、花田奏と申すものです」
「はい、少々お待ちください」
ここからどうやって働くのだろうか、いきなり働かされるわけではないだろうし、そもそもまだ、始まってもいないプロジェクトだ。他の社員もわからないことだらけのはずだ。不安になってきた。あれほど待ち遠しかったのに、いざその時が来ると、やっていけるか不安でしょうがない。
「花田奏さんですね。社長から話は聞いております。今からご案内致します。」
話は通してあるのか、少し安心した。とりあえず案内人についていくことにした。通路を渡り、エレベーターに乗って、また通路を渡ると、突き当りの部屋についた。
俺は目を疑った。部屋の標識には『社長室』と書かれてある。まさか社長に会うなんて思っていなかった。今から面接でもあるのだろうか――何も準備していない。てっきり、もう働くことが決まっていると思い込んでいたが、そうではなかったのか――
「お入りください」
俺は恐る恐る扉を開けた。
「失礼します」
居たのは、若い男だけだった。窓の縁に手を乗せて、外を見ていた。今は社長がいないのだろうか。
「すみません……」
男はこちらを向き、微笑んだ。
「あー、君が奏くんか……ふん、いい目をしているね。まあ、そこに座ってよ」
そう言って、男は立派なソファに座り、自分の前のソファを指した。俺は男の言うとおりにした。
「こんにちは。私はこの会社の社長をしている黒木と申します」
この人が社長なのか――若いからてっきり助手か何かなのかと思っていた。俺は姿勢を正した。
「花田奏と申します。本日はこのような機会を頂き、ありがとうございます」
冷汗が止まらない。社長の前で何かおかしなことをしないようにしなければ――
「話は下柳さんから聞いてるよ。大体の君の状況は知っているよ」
「下柳さん?」
「あぁ、君が入院している時に話していたであろう、貫禄のある社長だよ。あの人には本当にお世話になってね。だからこそ、残念だよ、本当に……まあ、この話は置いといて、早速本題に移ろうか」
そういえば、おじさんの名前を聞いていなかった。残念というのは入院して、社長を辞めたことだろうか――
「下柳さんから聞いているとは思うが、君には動画配信サイトの番組の企画を考えてもらう。他には撮影現場にも行ってもらうよ。そこでサポートをしてほしい」
「はい……わかりました!」
「ただ、無理はするなよ。体が一番だ。社長がこんなことを言うのもあれだが、仕事が全てではない。自分が大事にしたいものを一番に考えなさい」
「俺はここに爪痕を残しに来ました。大事なのはそれだけです」
「そうか…詳しいことは、プロジェクトリーダーの雨谷に聞きなさい」
その後、今日は帰っていいと言われたので家に帰った。酷く疲れた。そういえば退院したばかりだということを忘れていた。携帯から音がなった。電話だ――見ると優斗からだった。
「もしもし」
「なんで学校止めたこと言ってくれなかったの!」
しまった、優斗に言うのを忘れていた。自分のことで手一杯だった。
「ごめん、いろんなことがありすぎて忘れてた」
「寂しいじゃん……やっと会えると思ったら、学校止めてるなんてさ……」
「ホントにごめん……でも、野球以外にやりたいことが見つかったんだよ。だからそれをやるつもりなんだ」
「そうなんだね。まあ、奏が前向きになれたならいいよ――でも、今度からはちゃんと僕にも言ってね」
「あぁ」
「体調はどうなの?」
「入院してから随分と良くなったよ。」
確かに、良くはなったが、まだ体のだるさは残っている。だが、優斗に心配はかけたくないから、俺は元気なふりをする。
「それなら良かったよ。」
「学校はどんな感じなんだ?」
「相変わらず勉強は大変だよ。それに奏がいなくなってから生徒会の仕事が忙しくなったよ!」
そう言いつつ、優斗は楽しそうに話している。
「あぁ、それは本当にごめん……」
「まあ、いいけどさ……奏は野球でも上手くやってたんだから、やりたいこともきっとうまくいくよ。応援してる」
「うん、ありがとうな。頑張るよ、俺」
「あんまり頑張りすぎないでね。奏はいつも頑張りすぎるから……」
優斗が心配してくれていることが俺は嬉しかった。
「あぁ、大丈夫だよ。またいつか遊ぼうな」
「うん、絶対だよ」
そうして電話を終えた。改めて、俺は皆とは違う道に行っているということを実感した――そう思うとなんだが少し距離を感じるような気がする。薄暗い部屋の中で俺は1人考え込んだ。1人で目標に向かって頑張りたい。だから、今まで仲良くしていた人たちとの時間は減っていく。それでいい、それでいいはずなのに――なぜか寂しさを感じてしまう。せめて、優斗と美月だけは大切にしたい。2人だけは特別、それだけは譲れない。失いたくない。そう強く思った。
そして、いよいよ。今日からプロジェクトが始まる。早速、撮影現場に行った。現場は会社から少し離れた住宅街やマンションが沢山ある場所にポツンとあった。少しボロボロの建物で大きさはそれなりにある。てっきり撮影をするために作られた立派な建物だと思っていたが、そうではない。使われていない工場を無理くり使えるようにしたという感じだ。予算がそこまで割けなかったのだろう。
だが、中に入ると外観とは違い、立派なスタジオがあった。部屋を対角線上に切ったようなスタジオで、少し小さいが、きらきらとしている。白い壁にイルミネーションのような光が点々としていて、とても綺麗だ。
今日は下見だけなので、集まっている人たちは企画担当の社員たちだけだった。どうやらここで、番組の企画や方針を考えるようだ。
スタジオをじっくり見ていると、髭を生やしたダンディなおじさんが声をかけてきた。
「お、君若いね~この業界で若い人は貴重だからね。今まででこの仕事に関わったことはあるのかい?」
「いえ、そもそも仕事をしたことがありません。ちょっと前まで高校生だったもので……」
「ふーん、訳ありか。いいねぇ」
何がいいんだか――
「あ、申し遅れたね。今回のプロジェクトのリーダー的な存在の雨谷だ。よろしく。君のことは社長から聞いてるよ」
俺のことを知らない風に話していたのに、何だったんだ、今の時間は。
「どうだ、スタジオは……少しはイメージ出来てるか?」
「いえ、何も」
「そうかー、まあいいだろう。今から会議をするから、ついてこい」
雨谷さんについていくと、スタジオのすぐ横にある部屋があった。スタジオに夢中で部屋の存在に気が付かなかった。
部屋に入ると、まだ人はいなかった。他の人たちはまだ、スタジオ付近にいる。
雨谷さんはホワイトボードの前にある、他の席が見渡せる椅子に座った。
「とりあえず座れよ」
「はい」
俺は自分に一番近い椅子に座った。
「会議までまだ20分ある。少し話そうか」
雨谷さんは急に真剣な表情になった。妙な威圧感があり、少し怖い。
「お前の事情は粗方知ってる。だが、全部は知らない。だから何か俺に言いたいことはあるか?」
「いえ、特には……」
「じゃあ、お前の成り立ちを話せ」
「それに意味はあるんですか?」
「いいから、話せ。俺に逆らうと怖いぞ」
何なんだこの人は――俺は苦手だと思った。こんな人とやっていくのか――
俺は今まであったことをすべて話した。父さんが死んだことも、野球で活躍したことも、辞めたこともすべて――自分でもどうしてかはわからないけど、なぜかこの人には話してもいいと思ってしまう。俺が話している間、雨谷さんは真剣に聞いてくれた。
「んー、大変だったんだな。わはは、それにしてもお前本当に面白いな! いい感じにひねくれてて俺は好きだぞ」
まあ、上司に好かれるのは好都合か――さっさと活躍して立場を上げてやる。
「俺から話せることはもうありません。絶対にやり遂げてみせますよ」
「ふん、いいね、その調子だ。もうそろそろ会議が始まる。皆を呼んでくるとするか」
雨谷さんは部屋を出て、大きな声で他の社員に知らせていた。そして、約10名ほどが集まった。思っていたよりも少ないな。
「よし、集まったな。今集まってもらっているメンバーは株式会社ガーベラの新たなプロジェクトである、動画配信サイトの番組の企画兼裏方をやってもらう人たちだ。そうだな……まずは1人ずつ自己紹介をしようか。じゃあまずは、期待の新人からだな」
いきなり俺にやらせるのか、なんて人だ。無茶ぶりがすぎる。まあいい、こんなのまだ序章だ。
「初めまして、花田奏と申します。右も左もわからないですが、一生懸命頑張ります。よろしくお願いします。」
「なんだ、普通の挨拶だな。もっと面白い挨拶をしてくれると思ったのに……」
雨谷さんが小声でボソボソと言っている。きっと俺に聞こえるように言っているのだろう。なんて性格の悪い人だ。そのあとは、1人ずつの自己紹介を聞いたが、ほとんど頭には残らなかった。ただ、分かったこととしては、ほとんどの人が経験者だった。俺は今、一番下にいるということを思い知らされた。しかも、経験者と言っても、歴戦の猛者たちだらけだ。だが、むしろ好条件だ。この人たちから、学べることは多いだろう。
「現段階で決まっていることを話すぞー。まずは番組名だが、『インフルエンサーの卵』だ。」
本当にちゃんと考えたのだろうか――いかにもありふれた名前な気がしてしまう。
「そして、番組の大まかな内容だが……名前の通りインフルエンサーの卵、つまり人気が出そうなネットで活動している人たちを番組にだす。ただ、具体的な内容はまだ決まっていないという感じだ。それをこれから決めていこうと思う」
今から俺の第2の人生が始まるのか――そう思うと、次第に緊張が強まってきた。
「というわけで、今日はもう解散するので、各自で案を1つ考えてきてください。もちろん、それ以上でも構いません」
身構えていたが、今から話し合いをするわけではないのか。その後、他の社員たちはぞろぞろと帰っていった。俺もそれに合わせて帰ることにした。大きな会社で働くのだから、きっちりとしていると思ったが、そうではないようだ。
家に帰って、俺は考え込んでいた。よくよく考えてみれば、話があまりにも抽象的過ぎるというか、決まっていないことが多すぎて案を出すのが難しいのではないかと思う。それからずっと考えていたが、どれもありきたりなものばかりで、いまいちパッとしない。無から有を生み出すことがこれほど難しいとは思わなかった。期限はあと3日だ。それまでに考えないといけない。
考えるのが疲れたのでスマホを見ていると、美月から連絡があった。内容は、急で申し訳ないが、明日、クリスマスのイベントがあるから行かないか、という内容だった。そうか――明日はクリスマスだ。仕事のことばっかりで忘れていた。それに、美月がこんなにギリギリになって誘ってくるとは珍しい。きっと、俺のことを気遣って誘わないようにしていたが、考えが変わって誘ったという感じだろうか――いや、自意識過剰だな、それは。
まあいい、どうせ家にこもっていても案はでない。美月とは何日も会っていないし、俺も寂しく思っていたところだ。
そうか――もう、クリスマスか――野球をしてた頃はそんなものは無いに等しかったな。思い返すと、なんだかんだ言って悪くはない人生を送っていたのかもしれない。
いや、俺の人生はこれからだ。まだまだやり足りないことが沢山あるんだ。
いつもは、寝るとき、色々と考えるのでなかなか寝れないのだが、今日はすぐに寝れそうな気がした。
翌日、起きて時計を見ると9時だった。少し寝すぎただろうか――それに、何か夢を見たような気がする。だが、思い出せない。約束の時間まではまだだいぶあるな――そうだ、会社に行って、雨谷さんの意見を聞いてみるのもいいかもしれない。俺は試しに会社に行ってみることにした。会社までは電車で40分ほどで、近くも遠くもない距離だ。それでも、俺は行きたくなってしまった。何かアドバイスが貰えるかもしれない。
俺はすぐに自転車を漕ぎ、駅へと向かった――会社についた。改めて大きいと思った。この会社の一員だと思うと、誇らしく思える。
会社に来たのはいいものの、雨谷さんがどこにいるかわからない。受付聞いてみようか――
「あ、奏くん」
偶然にも社長が現れた。
「社長、お久しぶりです。今日は雨谷さんはいらっしゃいますか?」
「残念だが、今日はいないよ。雨谷は忙しいからあまり会社には顔を出さないんだ」
「そうですか……わかりました。ありがとうございます」
「雨谷になんの用があったんだい?」
「実はプロジェクトの案が出ずに困っていまして……」
「そうかそうか、まあ最初だからね。仕方ないよ。このプロジェクトはわからないことだらけの中、無理やりやっているようなもんだからさ。色々とやりづらいとは思うけど、きっと上手く行くよ」
「はい、絶対に上手く行かせます」
「はは、若いから元気があっていいね……そういえば、今日はクリスマスだね。どこかに行く予定はあるのかな?」
「はい。彼女がいるので、一緒に買い物にでも行こうかと……」
「おー、それはいいね。ちゃんとプレゼントはあげないとダメだよ。それと暖かい飲み物を用意しておくといいかもしれないね」
流石は社長だ。抜け目がない。
「はい、参考にさせて頂きます」
「ふふ、君は真面目だね。すまない、欲しいのはこういうアドバイスじゃなかったね」
「いえ……」
「俺から言えることはあまりないけど……強いて言うなら、実際にインフルエンサーの卵たちを見ることかな。SNSを見ればいくらでもいるし、実際に目で見てみるのもいいよね」
「確かに、実際に見ないとわからないこともありますよね」
「まあ、君ならきっと大丈夫だよ。頑張ってね」
社長は少し微笑んで、その場を去った。俺も家に帰ることにした。雨谷さんには会えなかったけど、何だか気持ちは楽になった。帰るときに、すれ違う人をよく見て帰った。もしかしたらインフルエンサーの卵かもしれない。それらしい人はいなかったが、その人たちがどういう人なのか、観察して考えることができた。これが以外にも面白く、続けていこうと決めた。
そうこうしているうちに、約束の時間になりそうだ。俺は急いで自転車を走らせて、駅へ向かった――電車が出発するまであと10分だ。だが、辺りを見渡しても美月の姿はなかった。それから、5分ほど経った。まだ来ない。周りには、社会人の男性やカップル、老人など様々な人がいる。
少し不安になってきた。連絡もつかない――嫌な予感がする。
「ごめーん、遅れたー」
その予感は的中しなかった。美月は当たり前のようにやってきた。
「おい、遅いぞ。もう電車が出ちゃうよ」
「やばいやばい、わはは」
「何笑ってんだよ、急ぐぞ」
俺たちは階段を登り、ホームを走った。電車はもうついていたが、ドアが閉まる前に、何とか電車に乗ることができた。
「ふぅ、危なかったね」
「何で遅れたんだ?」
「いやぁ、寝てた……」
「なんだ、そんなことかよ。今回は許してやる。今日は行くところが沢山あるからな、のんびりする暇はないぞ」
「わかってるって。顔が怖いなぁ」
美月はいつも明るくて、優しい。この笑顔に何度救われただろうか――俺は美月に極力、弱音を吐かないようにしている。病気についても詳しくは言っていない。美月には心配をかけたくない。それに、いつも通り接して欲しいという思いもある。
30分ほどが経ち、目的の駅に着いた。電車は思っていたよりも空いていたのに、駅を出ると多くの人たちがいた。クリスマスだ、当然と言えばそうなのだが、人の多さに唖然とする。
「うわぁ、綺麗……」
美月はそんなことはお構いなしにイルミネーションを見ている。俺も木々や建物についたイルミネーションを見て、心が躍った。
「寒いなぁ」
「この景色を見た感想がそれなの? なんて寂しい心の持ち主なんでしょう」
「うるさい、目的地まで距離があるんだから早く行くぞ」
「はーい」
「あ、そういえばこれ……もう冷めてるけど」
「カフェオレ? 気が利くじゃん」
駅だけでなく、周りにはイルミネーションだらけだった。それに、クリスマスツリーや雪だるまなどクリスマスらしい飾りが所々にある。
「そうそう、ここだよ。ここに行きたかったのー!」
来たのはガラス細工店だ。クリスマスでなくとも来れるのだが、クリスマス限定商品が沢山あり、美月はそれが気になったようだ。
美月は入って早々、すぐにガラス細工に目を移し、夢中になっていた。子供のような目をしている美月を見て、俺はつい、口が緩んだ。久しぶりに幸せだと感じた気がする――
「奏……楽しいね!」
美月は俺を見上げて元気に言った。本当に愛おしいと、そう思う。
「うん、そうだな……で、買いたい物は決まったのか?」
「まだ、これとこれで悩むんだよー、どっちも綺麗でかわいいしさー」
「早く決めてなー、次もあるんだから」
「せかさないでよ。じゃあ奏が決めて」
俺は2つのガラス細工をじっくりと見ることはなく、さらっと見た。
「じゃあこれで。なんかかわいそうで好きだわ」
俺は溶けかけの雪だるまのガラス細工を選んだ。
「何その理由……まあ、可愛いしこれでいいか」
そうして会計を済ませ、次の目的地へと足を運んだ。俺はこの日のためにプランを練っていた。だから、今日のデートは順調そのものだ。
次の目的地に着いた。川だ。でも、ただの川ではない。この川は両端に桜の木が並んでいて、そこに無数のイルミネーションが飾られている。青を基調としたその空間は、まるで宇宙のようだった。
いつもは葉がなく、寂しい雰囲気の桜も今日はピカピカと輝いて、暗くて見えない川沿いの道も、今日は奥まできれいに見える。こんなに綺麗な空間は他にないのではないだろうか――
「こんなに光が多いと落ち着かないね。なんだか夢の世界みたい」
美月は光る木々を見ながら、何か考えているようだ。目には青い光が映り込んでいて綺麗だ。
「それにしても、よくこんな場所知ってるね。こんなにいい場所なのに、なんであんまり人がいないんだろう……」
「それは、駅の近くでイベントがあってるからだよ。ここは駅から少し離れてるし、周りに店もあまりないしね」
「わぁ、雪が降ってきたよ!」
美月が言う通り、辺りにパラパラと雪が降り始めた。青い光が川や雪に反射して、ギラギラと光っている。それと同時に急に冷え込んできた。
俺たちはこの景色を楽しみつつも、次の場所に向かうことにした――
次は大型ショッピングモールだ。ここで買い物や食事を済ませるつもりだ。だが、案の定かなりの人がいた。フードコートを見ると人だかりができていたので、俺たちは諦めて別の場所で食べることにした。 とりあえず買い物を済ませようと思う。とはいっても、買うものは決まっていないので、一通り見て買いたいものがあれば買うといった感じだ。
美月は宝石ショップに目をやっている。
「この宝石いいなぁ、ピンク色で綺麗。指輪とかにしたら最高だよね」
美月はこちらをチラッと見た。いかにも買ってくれという表情をしている。値段を見ると60万だった。
「無理」
「わかってるって、冗談だよ冗談」
「金持ちになったら買ってやるよ」
「うん、ありがとう……」
絶対に金を稼いで、将来美月に買ってやろうと誓った。ピンクでキラキラと光る特別な指輪を――
そのあとは結局見るだけで何も買わなかった。お腹がすいてきたので、ショッピングモールを出て、お店を探したが、どこも並んでいてすぐには食べれそうもない。スマホのマップアプリでお店を検索しても、駅の近くの飲食店ばかりで、きっと待ちが出ているだろう。
仕方なく、俺たちは駅から離れた飲食店を目指すことにした。かれこれ15分ほど歩いただろうか――
ポツポツと店はあったものの、どれも俺や美月の好みではなかった。
ふと、橋の向こう側に目をやると、暖かい光を発した建物があった。そこはクリスマスなのにもかかわらず、特に何の飾りもなくて、少し寂れたような場所だった。近づいて見てみると、そこはラーメン屋だった。人通りが少ない場所にも関わらず、店には何人かのお客さんが入っている。
「良さげなラーメン屋があるじゃん……ここにしようよ」
「結局ラーメン屋かよ……まあいいけどさ」
この地域では珍しく、味噌ラーメン屋だ。中に入ると、店主と思われるおじさんがいた。他に従業員はいないようだ。
美月が上に張り出されたメニューを見ている。
「えー、ここってメニューはラーメン1種しかないんだね。珍しい」
「ラーメン一筋の店なんだろうな。それか他のメニューを作るのがめんどくさいか」
「まあ、食べてみないとわからないね。ほら来たよ」
来たのはシンプルな味噌ラーメンだ。店主は無口でほとんど話さない。美味しいラーメンなのか少し心配になってきた。だが、一口食べるとその不安はすぐに消え失せた。
「おいしー! なにこのラーメン……あっさりしてるようで、濃厚だし、なんか奥深いよね」
「適当だな~。まあ確かにこのラーメンはうまい。今まで食べてきた中でもトップ5に入るなぁ」
店主の口元が少し緩んだような気もするが気のせいだろうか――
「ほんとに美味しいね。これで800円ってまじ! また来ようよ」
「うん……また来ような」
俺たちは食事を済ませ、店を出た。時刻は8時、時間的に行ける場所はあと1か所か。
「美月はどこに行きたい? もう事前に決めていたプランは無くなったぞー」
「うーん、そうだなぁ。1つだけ、行きたいところがあったんだよね。ついてきてよ!」
美月は足早に歩いていく。
「おい、どこに行くんだよ。教えてくれよ。そっちは駅とは逆方向だぞ」
「いいから、ついてきてよ」
美月は黙々と歩いていく。いったいどこに行くというのだろうか――
20分ほど歩いただろうか。上り坂ばかりで足が痛い。体力の衰えを感じる。俺は少し落ち込んでいた。全盛期の頃と比べて、今は体も弱く、心までもが弱くなったのではないかと感じる。
かなり上っただろうか。住宅街を抜け、道路を横切ると、そこは――遠くに海が見え、町の明かりが一望できる崖際の道だった。空にも星が沢山で――とにかく綺麗だった。
「なんだよここ。ただの崖際の歩道じゃん……さんざん歩いて行きたかった場所ってここかよ」
「そんなこと言って。顔に出てるよー……ここは私が昔、お父さんと来た場所なの……たまたま通りかかっただけだけど、とても綺麗だったのを今でも覚えてる」
俺は今までこんなにも美しいと思える場所に来たことがあるだろうか――
今までの苦労や辛さ、不安がすべて体の中から抜けていくような――そんな感覚に陥った。冷たい風が吹いているのにも関わらず、それが心地よいとまで感じてしまう。
「なんだか、奏と出会った頃を思い出すなぁ」
「あぁ、生徒会だね。懐かしいね」
「違うよ」
「え?」
「ほんとはねぇ、もっと前にも会ってるんだよ。まあ、会ってるというよりは私が一方的に見ていたというか……」
「え、美月との関わりなんて、生徒会以前からあったのか?」
美月は嬉しそうに話し始めた。
「入学式の時なんだけどね……あの時は代表のスピーチでとっても緊張してたの。それはもう吐きそうなくらい緊張しててね……何度も練習したんだけどそれでも怖かったの。大勢の前で話すことが……でも、その時に、あれは……倉庫の裏だったかな。男の子が一人、座ってたの」
「それは……」
「奏だよ。あの時の奏はプルプル震えてたさぁ。見てて笑っちゃったよ。」
「おい、笑うなよ! あの時はとにかく何をするのも怖かったんだ」
「はは、わかってるって、だから私は救われたの。私よりも緊張してる人がいるとは思わなかったから。なんか安心しちゃって」
「あれが美月に見られてたなんて……」
「うわ、何その顔、ウケる。はは」
「うるさいなぁ、恥ずかしいに決まってんだろ……でも、そうか……何か嬉しいな。そんな最初から接点があったなんて……」
その時、強く風が吹き、美月の髪がなびいた。サラサラな黒髪が波打つ――そこに雪と、月明かりが加わり、神秘的に見えた。美月は以前よりも数段可愛くなった。前まではいかにも部活生という感じで、肌が焼け、短髪、私服も運動着で来ていたのに。今は髪も長く、肌も綺麗で、なんだか大人びたように感じる。
「そういえばこれ……クリスマスプレゼント」
俺はバックからプレゼントを取り出した。赤い包みに覆われた長方形の小さな箱だ。
「流石奏だねー、開けるよ?」
「なんだよ。もっと喜べよな」
「喜んでるよ!……わぁ、ネックレス! プレゼント言えばだよね」
「だからさぁ……まあいいよ。美月らしくて」
美月はそれを手に取り、目の前に吊り下げ、じっと見ている。ネックネスはチェーンが銀色、本物の宝石が付いたものは高いので、ジルコニア製の安いものではある。それでも1万以上はしたのだが――
「綺麗……真っ赤でカッコイイね!」
赤やピンクが好きっていうのは知っていた。それにあんまり女性っぽいものだと美月には合わないと思い、少しカッコ良さのあるものにした。
「色々悩んだんだけど、これがいいなと思ったんだ……」
「うん、ばっちりだよ。良くわかってんじゃん……着けてよ」
美月はネックネスを渡してきた。俺はそれを受け取り、美月の首に手をまわした。かすかに甘い、いい匂いがする。美月は下を見て、目が合わないようにしている。ネックネスを付け、手を下すと、何とも言えない空気感が辺りを覆った。
「ありがとう……」
「うん……」
数秒、沈黙が流れた――
「これ、私からも……」
美月は小さな青い袋を取り出した。
「クリスマスプレゼント?」
「うん……そう」
「え、ありがとう!」
「待って、帰ってから見てよ!」
俺はそれを無視して、袋の中身を見た――ハンカチだ。灰色で質感のいい、それにおしゃれな柄が付いている。いかにもサラリーマンが持っていそうなハンカチ。
「ちょ、見ないでって言ったのに……ごめん。こんなので」
美月は申し訳なさそうにうつむいてる。
「奏はこんな立派なものをくれたのに……私は」
「いや、いいってそんなの……俺は渡したくて渡しただけだし、何んの見返りも求めてないから。それにこのハンカチめっちゃよさげじゃん」
「でも……」
「ふふ、美月がそんなに落ち込んでるの珍しいな。」
俺は思わず笑ってしまった。今日で一番笑ったかもしれない。
「俺さ、家族以外からプレゼント貰ったの初めてなんだよ。だから本当にうれしい。ありがとう。大事に使うよ」
「そう? それならいいんだけど……」
「俺たちの仲だろ、そんなこと気にする方がおかしいよ。ほら、駅に戻るぞ」
美月の笑顔が戻った。なんで、そんなに気にするんだろうか。俺はとびきり嬉しいのに――
そこからは他愛のない話をしながら帰った。
駅に到着した。俺たちは途中まで同じ電車で、乗り換えの駅で別れる。ちょうど電車が来る時間に着いたので、そのまま2人で電車に乗った。電車の中で俺たちが話すことはなく、乗り換えの駅まで着いた。電車の中で、美月は俺の顔を見ることはなく、窓から見える雪景色をずっと眺めていた。本当に雪を眺めていただけなのか俺にはわからなかった。普段の美月なら裏表なく明るく接してくれるのに、今日は少し暗いような、意識がここにはないような――そんな様子だった。
「ちょっと、トイレに行ってくるね」
美月は着いて早々にトイレに行った。美月が乗る電車が10分後、俺が乗る電車は20分後に来る。
俺は美月を待っている間、今後のことについて考えていた。仕事で案を出さないといけない。それなのに、何一つ出てこない。俺はベンチに座り、自分の手のひらと、白い息を見ていた。
すると、若い女の子たちがスマホを置いて、何かを撮影している。音楽に合わせて踊っている? のだろうか――
何度も何度もやり直している。やけに楽しそうだ。それこそインフルエンサーかもしれないな――真ん中に立っている女の子が一番目立っている。
そうか、インフルエンサーはいつもキラキラしていると思っていたが、それは表向きの顔か。裏ではこうやって坦々と撮影をしているのだろう。インフルエンサー同士が友達というのはよく聞くが、裏でも友達とこうやって楽しんでいるのかもしれないな。そう思うと、なんだか親近感が湧いてきた。まったく関係のない、遠い存在だと思っていたインフルエンサーは、思っていたよりも身近な存在なのかもしれない。
裏――裏か、インフルエンサーの裏側。日常、友達、過去。そういったものを題材にしてもいいのかもしれないな。
「戻ったよ」
「おう」
「ずっとあの子たち見てたけど……」
「いや、違うって、会社のプロジェクトの案を考えてて、それで」
「わかってるって、冗談冗談」
そうこうしていると、電車の音が聞こえてきた。
「電車来ちゃったね。もう1日が終わるのかぁ」
「ほんとになぁ……あっという間だよ」
電車が到着し、ドアが開いた。
「じゃあな。また、時間が合えば遊びに行こうな」
「うん……じゃあね」
美月は電車に乗り込もうとドアの前まで行く。俺は見送ろうと電車から少し離れた。その時、美月は急に後ろを振り返り、俺の方に走り、抱き着いてきた。その目はかすかに充血し、涙が出ていた。
「どうした美月。電車行っちゃうぞ?」
美月は震えた声で話し始めた。
「いつまた会えるかもわからないのに、奏と離れたくないよ……あと何回会えるの……今日で最後かもしれない……それなのに、どうして奏は平気なの……」
驚いた。美月がそんなことを思っていたなんて。いつもは前向きで楽観的な性格の彼女がこんなにも悲しんでいるところを見たことがない。
「ごめん。美月……美月がそんなに思い詰めてるとは思わなかった」
「当たり前でしょ! 大切な人が明日いなくなるかもしれないのに……」
そうか――俺は、自分の状況を理解していなかった。自分は死なないと思っていた。なんだかんだあっても生きるだろうと。うまくいくだろうと。自分の事なのにどうして考えもしなかったんだろう――自分が死ぬときのことを――
「ほんとにごめん……全然美月のこと考えてあげれなかった」
「いや、私が悪いの……ごめん、楽しい雰囲気壊しちゃって……」
美月は震えていた。俺はそっと美月の肩に手を置いた。
「ありがとう美月、俺のこと色々と考えてくれてたんだな」
「何それ、自意識過剰……」
美月はふふっと笑った。
「美月がそんなこと言うから!」
「うん、ありがとう……取り乱したね。今日は……楽しかった」
美月はすぐに俺から離れ、電車に乗った。美月が乗ると同時にドアが閉まった。
電車はそのまま動き出し、美月はお互いの姿が見えなくなるまでずっと手を振ってくれた――
俺はその場を動かず、振る雪とちらほらと見える星を眺めていた――
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