オッサンとババア
孤児院に戻ると、外で子どもたちが騒いでいるのが目に入った。
森で珍しい動物でも見つけたのかと、少し不思議に思いながら、柵をよじ登ると、門の外に古びた木の荷台が無造作に置かれているのを見つけた。
「あ、オッサンが来たんだな」と、すぐに理解する。オッサンは月に何度か町からやってきて、孤児院に仕事を持ってきてくれる人物だ。
仲介人らしいが、実際にはその役割よりも、町の人たちとの何やら面倒な取り決めをしているようだった。
仕事の内容は、子どもでもできる単純作業がほとんどで、量は多いけれど、うちのような場所にはありがたい。
だけども、院長はオッサンを嫌っている。理由は、どうやらオッサンが取る仲介料が高すぎるからだ。毎回、二人は口を開けば言い争いが始まる。
それを見ていると、オッサンがいなくなる日が近いのかもな、なんて思うこともある。
オッサンは子どもたちを遠慮がちに引き剥がすと、無精髭にくるくるした赤毛が、風に揺れている。その姿を見て、ふと考える。もし、オッサンが髭を剃り、髪をちゃんと整えたら、きっとそれなりにいい雰囲気になるんじゃないだろうか。
でも、そんなことを考えた自分に、少し驚く。
床が軋む音に、心臓が一瞬で縮まる。
「どうかバレませんように…」そう願いながら、ようやく図書室の前にたどり着いた。
ゆっくりと、慎重にドアノブに手を伸ばす。
その時、ドアの向こうから、思いもよらない叫び声が響いてきた。
「馬鹿なこと言ってんじゃないよ!!」
反射的に、しゃがみ込む。息を呑んで耳を澄ます。
何かを考える前に、オッサンの声が続く。
「ガキを寄越せって言ってるわけじゃないんだ。こんな薄気味悪い孤児院に閉じ込めておくより、外に出せって言ってんだろ?せっかく珍しい仕事もらってきたんだぜ、ハイタツだってよ?いーじゃねぇか、文字読めれば誰だってできんだろ、こんなもん」
その言葉に、思わず息を呑む。
“ハイタツ”? 一体どんな仕事なんだ?
でも、今はそれよりも、こんなに声を荒げられていることの方が気になって仕方ない。もしかしたら、今みたいな花のトゲを抜くだけの作業とは違うのかもしれない。
「何を言おうと、あのガキどもを外に出すわけにはいかないよ!」
婆さんの声が、ますます高く、強く響いた。
「鼻垂れでも、大事な商品だからね!」
「商品!?」
オッサンが言葉を叩きつけるように叫ぶ。「満足に飯も与えず、針金みたいな体型してる子供に、買い手がつくわけねぇだろ!?あるとしたら、見世物小屋に引き取られて、枝人間なんて言われて、人前で骨でも折られるのか!?」
言い争いがどんどんヒートアップしていく。
その声に、僕の心臓も一緒に高鳴る。
目の前で繰り広げられる怒声の嵐が、まるで自分の身に降りかかってきそうで、息が詰まりそうだった。
「いい加減現実を見ろよ、婆さん。」
オッサンが冷徹な声で言い放った。「ガキを買うのは、商人か、別の大物だ。でも、それだって見込みのあるガキじゃないと意味ない。お前のとこにいるガキは、元々うまく育てられてない。こいつらじゃ商売にならないって気づいてるだろ。」
その言葉に、婆さんが少し黙った。
空気が一瞬で張り詰め、耳を澄ますと、あたりの静けさが恐ろしいほど強調される。
気がつけば、知らぬ間にゆらりと立ち上がっていた。
そのまま、無意識に院長室の扉に手をかける。
院長室には、女の子以外は入ってはいけないという決まりがある。
昔の婆さんが、そう言い聞かせていた光景が頭に浮かぶ。けれど、体はその言葉を無視していた。
扉をそっと開けると、またオッサンと婆さんが言い合いを始めそうになっている。
その声が耳に届き、つい、体が動いた。
「その仕事、全部俺にちょうだい!!」
言葉が、思わず口をついて出た。
勢いに任せたその一言が、場の空気を一気に変えた。
ふたりが明らかに「はぁ?」という顔をしたのが、こちらからでもわかった。
でも、ここで引いたら絶対にダメだということを、直感的に理解した。
「ちょ、ちょっと待って!」
慌てて言葉を続ける。「あのさ、俺、子供だからよくわかんないけど、ハイタツって文字が読めればできるんだろ?俺、何度も図書室に忍び込んで本読んでたから、読めるし!!あと、複雑なことだって、分かる!!」
それが、どれだけ勢いで口から出たのかはわからない。
けれど、言った瞬間、自分の中で何かが変わったような気がした。少なくとも、後戻りできないところまで来てしまったのだと、実感する。
オッサンは確かに「外に出せ」って言っていた。
ハイタツの仕事をすれば、俺も外に出られるのかもしれない。
沢山仕事があれば、忙しくて、しばらくは孤児院に帰らずに済むかもしれない。
その間に、婆さんも俺のことを忘れてくれるかもしれない。
そんな甘い期待が、無意識に心の中で膨らんでいた。
俺のそんな考えを見越してか、婆さんの皺くちゃな顔に、さらに深い皺が寄った。
「何を馬鹿なことを!! 盗み聞きするなんて、本当にお前は出来損ないの、死に損ないだな!?」
その言葉と一緒に、杖が空気を切る音とともに振り下ろされる。
驚く間もなく、ただただその衝撃が肩に走るのを感じた。
痛みが走る前に、体が反射的に縮こもうとしていた。でも、ここで縮こまったら、ただのガキだと思われる。
意地で体に力を入れ、必死に仁王立ちしてみせた。
瞬時に、肩を叩かれる感覚が走った。
「いってぇ!」と叫びたかったが、堪えた。
ただ痛みを無視して、オッサンの方を向き直る。
心の中で、言葉が渦巻いていた。ここで折れるわけにはいかない。
俺がどうしてもこの先に進みたければ、今がその時だと感じていた。
オッサンは、俺の言葉と婆さんの振る舞いに戸惑っているようで、内心引いた顔をしていた。だが、「何を黙ってるんだい!!この化物!!」と婆さんがまた杖を振り上げた瞬間、オッサンははっと我に返り、素早く動いた。俺と婆さんの間に割って入り、杖を押さえ奪い取ると、力任せに壁めがけて投げつけた。杖は跳ね返り、床に転がる。婆さんはよろよろと杖を拾いに行き、口からは相変わらずの暴言が洩れている。
その隙に、オッサンが目の前でしゃがみ込み、低い声で言った。「あのなぁ……婆さんのやり方はどうかと思うが、……お前一人を駆り出すほどの話じゃねぇ。外に出たいなら、ちゃんと大人になってから──」
俺はそれを遮るように前へ詰め寄った。「それじゃ駄目なんだ!遅すぎる!!俺は今すぐ町に出たいんだ!!」
つい、喉まで出かかったのは――そのためならこの建物ごと燃やしてやる、って台詞だった。刃のように鋭い衝動が口を裂こうとしたけれど、そこで急に口をつぐむ。もしもこんな啖呵を切ってしまえば、オッサンにも婆さんにも不気味がられ、、山の奥に埋められても文句は言えないだろう。必死に押し殺した。
その後、ここでふさわしいかどうかは分からないが、図書室で覚えた「懇願の言葉」を片っ端から口にした。声は震え、必死そのものだ。
「おねがいします!!」
「馬車馬みたいに働きます!!」
「お給料なんていりません!! お金のためじゃありません!!」
「連れてってくれないと……今世は安心して暮らせないようにするからぁっ!!」
言葉は途切れ途切れ、時に子どもらしい稚拙さを含みながらも、どれも本気だった。顔が紅潮していくのが分かる、胸は苦しくて、声が嗄れていくのが分かる。外で遊んでた子供達が、不思議そうに窓から覗いてきてるのを横目で見た。
それでも、必死に手を伸ばすように言葉だけでも相手の心を掴もうとしていた。
オッサンの表情が少しだけ揺らいだのを、かすかに感じた――だが、それが成功の印なのか、単なる困惑なのかはまだ分からない。
「…分かった、いいだろう。」
オッサンの言葉に、今まで見せたことのない表情で怯えていた婆さんが、すぐに怒鳴り返す。「何を勝手に決めてるんだ、飼い主は私だ!!」
オッサンは冷たく笑い、声を低くする。「本当にババアの頭は固いな。商売にするために育ててるんだろ?俺が何も言わずに済ませてやってると思ってるのか!?」
その凄みが、皮膚の奥まで冷たく染み渡るようで、俺は思わず身体を固くした。婆さんは唇を噛みしめ、しばらく黙っていたが、やがて低く言った。「書類を持ってくる。」
その言葉に、俺は思わず息を呑んだ。こんな孤児院に、きちんとした書類が揃っているだなんて。まぁ無かったら無かったでとんでもないが。
正直、どういう契約になるのかは全く分からなかった。オッサンが親代わりとして俺を引き取る形になるのだろうか?それとも、ただの仕事の契約としての関わりだけなのか…。ハイタツの仕事が一体どんなものなのかも、正直、全く見当がつかなかった。
オッサンは「明日引き取りに来る」と言って、荷台を引いて去っていった。その後、子ども達が俺を囲んで何があったのかと興味津々で群がってきた。いつもなら面倒に感じていたその光景も、今日はなんだか可愛く思えた。
宛名のない旅路 世界線の統一 @doresu
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