春が来なければいいのに〈中〉

 一年だけ、春宮家から離れて過ごしていた期間がある。

 元気でいる日は数える程しかなく、体調をよく崩していたため、都会から離れた地で療養することになったのだ。


 ビルなど高い建物はほとんどなく、一番近いコンビニは車で三十分のところ。田んぼと田んぼの隙間に住宅が建っているような田舎だ。


 春宮家からこの地へと来た七歳の少女は、体調のいい日は学校に行く前に近くの神社にお参りに行っていた。

 目を閉じ、手を合わせる少女は心の中で神様にお願いをしていた。

 (すぐに熱を出したりしない元気な体になれますように)

 『さくら』は元気な子じゃないとダメなのだ。

 (早く元気な体になりたい……)

 そうじゃないと、父と母は「こんな子は『さくら』じゃない」と言って自分を捨てるかもしれない。

 なにせ、あの家にはもう一人の『さくら』がいるのだから。

 自分とよく似た姿の、でも、自分よりも健康な体を持っている子。

 そんなとき、境内を包む静寂を破るものが来た。

 「あ、さくらちゃん!」

 少女が振り返ると、元気いっぱいに少女に向けて手を振りつつ駆け寄る少年がいた。

 「おはよう。ふゆきくん」

 ふゆきはさくらと同い年の少年だ。この地に来たばかりのさくらに興味津々で、よく話しかけに来ていた。ちなみに、この神社の存在を教えてくれたのも、ふゆきだ。

 「今日は元気なんだね!ねぇねぇ、今日の学校の給食はカレーなんだよ!」

 「そうなんだ」

 ふゆきはニコニコ笑顔で今日の給食のメニューや授業のことを話す。さくらは学校を休みがちなので、学校のことを色々教えてくれてありがたかった。

 「図書室で、面白い本を見つけたんだー。休み時間、一緒に図書室に行かない?」

 「うん。行きたいな」

 さくらはふゆきのおかげで楽しい学校生活を送れていた。


 放課後、ふゆきはさくらの家に遊びに来て、二人は一緒に折り紙で遊んでいた。

 「すごーい!さくらちゃん、折り紙上手だね」

 ふゆきはさくらが折った鶴やうさぎ、カエルをキラキラした目で見た。

 さくらのは、どれもピシッとキレイに折られているのに対してふゆきのは、何度も折り直したりしたせいでへにゃへにゃとした出来栄えだ。

 「『さくら』は折り紙、上手じゃないといけないから……」

 さくらは小さくそう呟いた。

 「上手じゃないと、ダメなの?」

 ふゆきは少し怪訝そうな顔でさくらの顔を見た。

 さくらはすぐに「き、気にしないで」と言う。

家のことはあまり話してはいけないと、父が言っていたことを思い出す。

 「次はなに折る?」

 さくらがそう言えば、ふゆきは「じゃあ、次はお花!」と言って、折り紙ケースから何枚か折り紙を手に取る。

 「さくらちゃん、何色にする?」

 ふゆきが手に持っていたのは、赤色、水色、黄色の三色の折り紙だ。

 「えっと、わたしは……」

赤色の折り紙に手を伸ばし、だけど、ちらりと水色の折り紙も見てしまう。

 『さくら』の好きな色は赤色。でも、自分自身の好きな色は赤色ではなく水色だ。

 (でも……『さくら』は赤色が好きなんだから)

 迷った末、やはり赤色の折り紙を選んだ。

 ふゆきは水色の折り紙を手に取り、二人は花を作る。

 完成すると、ふゆきはズイッと水色の花をさくらに差し出した。

 「さくらちゃんにあげる。さくらちゃんみたいにキレイには折れてないけど……」

 何度か折り直したせいで、変なところに線が入って不格好な花だが、さくらは嬉しかった。

 「ありがとう。大切にするね」

 晴れた日の空の色をした花。それは、さくらの心を優しく照らしてくれた。


 何度目かの神社でのお参り。

 さくらは今日も神様に『明日も明後日も元気でいられますように』と祈る。

 でも今日は、それだけではなかった。

 (神様、欲張りでごめんなさい。でも、どうか……少しでも長くここにいられますように。わたし、ふゆきくんとまだ遊んでたい)

 この場所では、さくらは『さくら様』と比較されないし、『さくら様』として振る舞わなくても良かった。なにより、ふゆきはさくらのことを、普通の一人の女の子として見てくれる。

 お参りが終わったさくらは、一礼をして学校へ向かった。


 春、夏、秋、そして季節は冬を迎えていた。

 さくらはこの冬、まだ一度も体調を崩していない。それはとても喜ばしいことだった。

 だが、春になったら春宮家に帰ることが決まり、さくらの心はもやもやとしていた。

 (お父さんとお母さんに会えるのは嬉しいけど……ふゆきくんと会えなくなるのはイヤだな)

 さくらとふゆきはすっかり仲良くなっていた。毎日のように一緒に遊び、さくらが体調が悪くて休んだ日にはふゆきは必ず、学校のプリントと一緒にさくらを心配する手紙を届けに来てくれた。

 さくらは窓から外の景色を眺めていた。空からちらちらと雪が降り、辺りは銀世界となっていた。

 (このままずっと、雪が降り続けて春が来なければいいのにな)

 さくらがそんなことを思いながら外を見ていると、インターホンが鳴った。

 ハッとさくらが玄関の方を見ると、すぐに「さくらちゃーん!」とふゆきの声が聞こえてきた。

 さくらはマフラーに手袋、厚手のコートを着て、家を飛び出た。


 雪だるまに雪うさぎ、可愛い住人がさくらの家の庭に現れた。

 さくらとふゆきは一緒に雪遊びをしていた。楽しくて楽しくて、さくらはつい、「ふゆきくんとお別れしたくないな……」と口にしてしまった。

 「さくらちゃん、それどういうこと?」

 ふゆきにそう問われ、さくらは春になったら春宮家に帰ること、でも帰りたくないことを話した。

 「そっか……さくらちゃん、春になったら帰っちゃうんだ……」

 ふゆきとさくらの間にしんみりした空気が漂う。

 「さくらちゃんはどうして、家に帰りたくないの?」

 ふゆきにそう聞かれ、さくらは下唇を噛み、口籠る。あまり家のことは話してはいけないからだ。色々と考え、一番イヤだなと感じていることを口にした。

 「えっとね、その、わたし、『さくら』って名前がイヤなの。自分の名前って感じがしないから……」

 「そうなの?まぁ、たしかに『さくら』ってよくある名前だもんね」

 ふゆきが言っているのとは少し違う理由だが、さくらは「……うん。そんな感じ」と頷いた。

 しばしの沈黙のあと、ふゆきが突然、「じゃあ、新しい名前、作っちゃう?」と言ってきたのだ。

 「新しい、名前?」

さくらは驚いた表情でふゆきの顔を見た。

 「うん。その、ぼくと一緒にいるときに使う、ニックネームっていうか、特別な名前……どうかな?」

 「新しい名前、作ってみたい」

 さくらがそう言うと、ふゆきはパッと笑顔になった。

 「ちなみにさくらちゃんは、こんな名前がいいなっての、ある?」

 そう言われ、さくらは考えるが、なかなか思いつかない。

 「ふゆきくん、わたしに似合う名前ってなにかな……?」

 ふゆきは「そうだなぁ」と呟き、庭を見ると、ハッとした表情になり、急に駆け出したのだ。

 「ねぇ、『ひいらぎ』はどうかな?」

 ふゆきは庭に植えられていた柊を指さしてそう言った。

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