さくらの中からひいらぎを探して

天石蓮

春宮家の娘たち〈上〉

 それは、雪が舞っていた日のこと。

 『大人になったら、迎えに行くから。そしたら、結婚しようね』

 少年は優しい声でそう言った。

 そして、幼い少年と少女の二人は小指を絡めて約束したのだった。




 久々に、幼い頃の出来事を夢で見た。

 あの時と同じように、今日は雪が降っていた。

 (大人になったら……か)

 少女は今日で十八歳になった。つまり、成人。ということは、結婚も可能である。

 でも、きっと幼い頃に『大人になったら結婚しようね』と約束した少年は迎えに来ない。なにせ十年も前の約束だ。覚えていないだろう。いや、覚えていたとしても、たかが一年くらい仲良くしてた女の子と結婚したいと思うか?絶対にない。


 「体調でも悪いのか」

 ふいに対面に座る父にそう聞かれ、少女はハッとなる。

 今は朝食の時間。考えごとをしていた少女は食べる手が止まっていた。

 「いえ。少し考えごとをしていただけです」

 少女がそう答えれば、父は「そうか」といい食事を続けた。

 少女は食事を再開する。味噌汁を一口。次はご飯、焼き魚、お浸し、順々に食べていく。

 そして、少女の隣に座る少女も同じ順番で食べていた。

 二人の少女はそっくりな姿をしていた。艶のある黒い髪はマガレイトにし、着ているのは濃紺に南天柄の着物。

 同じ姿、同じ動作。まるで鏡写し。そして、終始無表情の二人。心を持たぬ人形のようで、気味悪さがどことなく漂っていた。


 朝食を食べ終えたら、二人の少女は居間から別の部屋に移動する。

 移動先の和室に着けば、二人は慣れた様子で琴を演奏する準備をする。

 そして、同じ曲を演奏する。幼い頃から習っているので、ミスはほとんどない。もう体が、指が覚えている。二人の少女は黙々と淡々と、弦を弾いていく。

 琴の練習が終わったら、次は習字の練習だ。

 半紙に冬の季語を書いていく。

 『凍る』『北風』『霜柱』『雪』『水仙』

 綺麗な、どこにも歪みのない美しい文字。その寸分の狂いなく整っている文字は寒々しさすら感じる。

 習字の次は花を生けて、その次はひたすら刺繍。二人の少女は淡々と機械的にそれらのことをしていく。こうして一日が終わる。

 琴も習字も好きでもなんでもない。だが、この家に産まれた女たちはやらねばならぬのだ。


 そっくりの姿をした二人の少女は姉妹であった。名前は姉が桜で妹が朔蘭。漢字が違うが読み方はどちらも『さくら』だ。

 この家、春宮家に産まれた娘は皆、名前は『さくら』にされ、和装を強要され、幼い頃から琴、習字、生け花、刺繍などを嫌でも習わされる。

今は令和だが、春宮家に産まれた女は明治・大正時代の娘のような生活を強いられていた。

 なぜ、春宮家の女たちはそんな生活をするのか。

 それは、明治時代に起きた水害がきっかけである。豪雨により川が氾濫し大規模な水害が発生した。溢れた川水で町は飲み込まれた。脆い作りの家は破壊され、残骸が泥水と共に流れる。人も流された。

 当時の春宮家にもあっという間に家の中に水が入り込み、春宮家の人々は身を寄せ合って震えていた。

 その時、春宮家当主の娘のさくらは、神仏に必死で祈った。『どうか私たちを救ってください』と。すると、さくらの祈りが届いたのか、雨が止み、水はそれ以上入ってこず、春宮家の人々は全員無事だった。

 それから、春宮家の人々はさくらを神聖視するようになった。そして、春宮家に産まれた娘には『さくら』という名前をつけ、さくらと同じような格好をさせ、好みの色も甘味も『さくら』の模倣をさせる。そうして『さくら』の加護を得ようとする考えが根付き出した。そしてそれが今に至る。


 「さくら様。今日も春宮家の者は平穏無事に過ごすことができました。どうぞ明日も見守っていてください」

 夜。仏壇の前で手を合わせるのは姉妹たちの父だ。父の後ろに姉妹たちも並んで座っていた。父にならい手を合わせているが、なにも考えていない。いや、今日十八歳になった少女の方は『さくら様』に恨みごと一つ、心の中で呟いた。

 (あなたのせいで、鳥籠の中の小鳥みたいな生活を強いられている春宮家の娘たちを救ってくださいよ)

 『さくら』という名前でありながら、姉妹たちの心は春の陽だまりのような暖かさを失っていた。


 自室に戻り、布団の中に潜り込んだ少女は、十八年間生きてきた中で、最も心穏やかに過ごしていた七歳から八歳までの一年間のことを思い出していた。

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