花、堕つ

亜夷舞モコ/えず

第一部:椿ノ首

第一部:椿ノ首①

“昔から、話――『お話』というのは口伝で伝えられてきたものでありました。

 親から子へ、子から孫へと伝わって広まって行ったわけです。海外の童話であるグリム兄弟の物語も、田舎で口伝として伝わってきた物語を本としてまとめ上げたことで、光聖へと伝わる偉人となったわけであります。ああ、この話を勝手にまとめられては困りますよ。こんな落語の〇〇をまとめた所で、大した偉業にもなりませんし、今日の落語はもうすでにどこかで文章になってしまっているでしょう。


 さて、落語というものは口伝で伝わる最たるものだと思っています。


 師匠と弟子が、差向いになって話をするわけです。師匠が先に言うんです。今から言うことを真似しろと。それに習って、私が師匠の言ったことを一から十まで繰り返すわけです。それが学ぶということだと教わりましたよ。学ぶとは、真似ぶだと言われながら。

 これで師匠がそこぬけのマヌケなら――いや、私の師匠は、この運が悪いことに頭が良くて――私もこんな話を覚えずにすんだわけですが……


『日本では神さまを八百万の神と申します。ところがおなし神さまでも人の喜ばないのがある――”


     ◇

 

  噺とは、口より出でて音となる。

  音となりて風となり、

  風となりて花を散らす


  花堕ちれば噺こそ、

  生きる者の終わりを紡ぐ

  悪鬼羅刹の魔物とならん。

 

     ◇

 

 その界隈で花屋と言えば、その家のことを指した。

 近くに住んでいた講談師・幽玄亭ゆうげんてい灯心とうしん自身、道行く人に「花屋はどこか」と尋ねられ、ここから更に数キロ向こうの花屋を説明すべきか、それとも落語家・清花家せいかや春桜しゅんおう邸を説明すべきか分からなかったことがある。

 まして近くにはお茶の先生や、華道の先生もいて、どこの御客かを推理しながら誰をどこに案内すべきかを真剣に考えねばならなかった。

 紛らわしいと思いつつ、それこそ清花家の先々代から続く推理ゲームのようなものだ。

 後にできた、あの生花店が悪いとしか言いようがない。


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