第一部:椿ノ首②
花屋――清花家の家には、今や三人の落語家しか残っていない。
それも清花家一門の長たる、清花家春桜がそこなしのバカだったからだと思っている。
灯心自身も何度か煮え湯を飲まされたこともあれば、嫌な噂がひっきりなしに聞こえてきた。どこの女と浮気をしているだの。どこで金を借りているだの。灯心は、心底「春桜」を嫌い、できるだけ顔を合わせないように努めた。それでも隣人である男を、そう簡単に避けられたものではないが。
灯心は、怒りはしたが、行動はしてこなかった。
勇気がなかったから――それでも今は後悔している。
あの日の彼の暴走もそれからの転落も、本気で怒れば良かったのだ。
門弟たちを、追い出したあの日。
先代の頃には、数十人はいた門弟、春桜にとっては兄弟子や弟弟子であったが、それらを方向性が違うと言ってと追い出し、またさらには自分の弟子までも才能がないと破門し、二番弟子と四番弟子だけを残した。
ところが、落語の腕だけは確かだったが為に、誰も強くは言えなかった。
思えば、最悪の事態であったろう。
誰かがこの時点で彼を殺してさえいればと灯心も思わない日はない。そして、それを自分が行っていればとさえ思う。一人の死が、この後数十年に渡る人間の異常死を解決することができるのだから。
静けさの極致となった清花家の家には、四人の人間が暮らしている。
春桜とその妻。妻は、彼が遊びに遊び、ついぞ子どもができて結婚した女だ。
春桜の年は、灯心よりも三つ上の六〇。たいして妻は三八。
晩婚というのもあったが、その年の差は灯心には理解不能だった。
その子、梅之助はその年二〇になる。落語家としてはまだまだだったが、父親に似て顔は良く、落語界の貴公子と呼ばれている。だが、落語家としての才は、父親譲りとはいかず、あまり褒められたものではなかった。
運命とは、いつもこんなことをする。
一番弟子と三番弟子は、とうに止めてしまっていたが、最後まで残った者こそが、例の一連の事件の中心となる
椿太は、良い男だった。
落語家としての才に溢れていて、師の言うことをよく聞き、よく従った。
これでもっと良い師ならば、彼は人間国宝と言われるまでに成長し、大きな男になっただろうと灯心は今でも考える。
人望にも溢れ、梅之助からも慕われた。
灯心が彼と出逢ったのも、運命だったのかもしれない。
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