19 とあるフットマンの日常
スタンリー視点。
「ここに書いてある関連の本、書庫から私の部屋まで運んでおいて」
ぺらりと、一枚の紙をお嬢様に渡された。
受け取ってみればそこには、外国の歴史や文化史、文学史などが書かれた本などというざっくりとしたことが書かれている。ちょっとざっくり過ぎません? 俺、学がないんでどれがどの本とかわからないんですが。
ご機嫌で「よろしくね!」なんて去っていくお嬢様を見送って、渡されたメモに視線を落とす。……執事のハルトマンさんに頼むか。
なんと言うべきか、ここ最近のお嬢様は随分といきいきとしていらっしゃる。
日々楽しげで、溌剌としたお姿は、幼少期の好奇心旺盛だった頃のお嬢様を思い出すと古株の使用人たちには大変好評だ。ちょっと前までは「落ち着いていて立派な淑女になられて」とこぼしていた辺り、この屋敷の使用人はお嬢様ならなんでもいいんじゃなかろうか。
使用人は主人に似るともいうが、屋敷の人間は誰も彼も大らかで緩い。まぁ、働きやすくていいんだが。
とにかく、今まで特に何をするでもなく部屋で茶菓子をつまむだけだったお嬢様が、精力的に行動を起こしている。
きっかけは間違いなく、俺が薦めた舞台だ。エリック様が帰還なさって以来、部屋で一人唸っていらっしゃる機会が増えたので気分転換にと提案したのだが、ここまで夢中になるとは思ってもみなかった。
それも観劇だけにとどまらず、舞台の元になった小説だの、その小説が書かれた地域や時代などと、どうしてそうなったのだと言いたくなるくらいには手を広げている。おかげで俺は、毎日の様に書庫から本を運ばされている。まぁ、本を運ぶくらいどうとでもないので構わないのだが。
元々頭は悪くないので、一度やる気を出した後は早く、どんどん知識を吸収していっているようだ。お嬢様が楽しそうで何より、ということにしておこう。
しかし、お嬢様も大概難儀な人なんだよなぁ。甘えたな面はあるものの、誰に対しても我儘を言えるほどの度胸の無い小心者。小心者ゆえに屋敷の者以外に対してそういった一面を見せられない。
それでどうやって、エリック様と成婚して暮らしていくのやら。あの方は心底お嬢様に惚れ込んでいるのだから、さっさと素をさらけ出して甘やかしてもらえばいいのに。
エリック様の、お嬢様に対する溺愛ぶりは使用人の間でも有名だった。どれくらいかというと、業務上で知り合った他家の使用人に必ずお二人の様子を聞かれるくらいには。使用人同士でこれなのだから、貴族たちの間ではもっと噂されていたのではなかろうか。
しかしながらうちのお嬢様ときたら、エリック様の好意に全く気付きもせず。別に応援していたわけでもないが、さすがにエリック様が不憫だった。
渡された小さな指示書をポケットに仕舞い込んで、廊下を歩き進める。
期限は伝えられていないし、少しぐらい時間がかかることもお嬢様は想定済みだろう。ハルトマンさん、今、手が空いているだろうか。
ハルトマンさんは、俺にとって父親のような人だ。路地裏で蹲っていた俺を拾った旦那様が、ハルトマンさんに生活の面倒を見るように言いつけたのが始まりになる。飯も温かい寝床も与えられたおかげで、そりゃあもうすくすくと育ちましたよ。
ガキの頃はオリビエ様とロジェ様の遊び相手。でかくなってからはフットマン兼マリーお嬢様の御用聞き。ハルトマンさん的にはもう少し学を付けてほしかったようだが、生憎頭の出来が良くなかったので、専ら肉体労働が俺の仕事だ。
頑丈に生んでくれたことだけは、とっくに顔も忘れた母親に感謝している。その恩返しは、旦那様やお嬢様方に向けるが、文句は言ってくれるな。
「ハルトマンさん、今お手隙ですか?」
「おや、どうしました」
「お嬢様に頼まれた本を探すのを手伝ってほしくて」
運よく廊下で見つけたハルトマンさんに声をかける。朝礼の時点では、特に今日は来客なども無くいつも通りの就業予定だと聞いていたので、この時間は多分余裕があると思うのだが。
ポケットに入れていたメモを差し出せば、ふむと、ハルトマンさんが眉を片方あげる。
「お前にももう少し知識を付けて欲しかったのですがね」
「俺、本読めないんで」
「全く、お前は」
可笑しそうに笑うハルトマンさんが書庫へと足を向ける。それに追従するように歩調を合わせれば、数歩先で父と慕う人の肩が可笑しそうに揺れた。
何もおかしなことはないでしょう。昔からこうして、あなたの背中を追いかけてきたんですし。
「それで? お嬢様のご様子は?」
「ここ数日はびっくりするくらいいきいきしてます」
「それは結構」
いい傾向なんじゃないですか? 塞ぎ込んでいるよりはずっと。
恩のある方々の大事な末娘ですからね。俺だってお嬢様には幸せになってほしいんですよ。例え俺には我儘ばかりの仕方のない妹分だとしても。
幸い心の底からお嬢様のことを愛してくれる婚約者もいることですし。ま、なるようになるでしょう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます