女神像の対価

 それはあまりにも自然に異質すぎてヤエの目に入っていなかった。


「え? これ日本の冷蔵庫? なんでこんなものがここに?」

 視線をテレジアに戻して問う。


「え? だってほら、異世界ジャンクションで、ヤエさんのチート要望を聞いた時に、ヤエさん美味しいもの食べるのが好きだから、それも欲しいって要望あったじゃないですか?」

「ああ! 言ったわね!」

 言った本人も完全に忘れてた。そもそも森になってからこっち、食欲的なものは消えていた。


「そう、それを叶えようと思ったんですけどね。どうにも転生先、この世界なんですが、ここには日本より美味しいものなんてなさそうだったんで、日本の食べ物をなんでも生成できる、異世界冷蔵庫ってチートをつけといたんですよう。ヤエさんは森に転生したいって言ったのに、美味しい物食べたいなんておかしいなあって思ってたんですけどねえ。つけといて良かったですね、異世界冷蔵庫」

「……うん。うれしいんだけどね。毎度のことながら、なにそのチートって思うわ」

「そりゃあ転生チートなんだから、チートでしょうよう」

 呆れるヤエに、テレジアはいつものように答える。


「うん。チートすぎるけど、すごく助かったわ。これでこの子にミルクをあげられるもの」

「ほらあ、チートは盛っておいて困ることはないでしょう?」

 狸テレジアは自慢げに鼻を鳴らす。


 実際その通りで。

 ヤエは自慢げな狸テレジアのかわいい仕草に微笑んだ。


「そうね。テレジアさんが一緒に来てくれて本当に助かってるわ」

「そうでしょうそうでしょう」

「じゃあ早速開けてみるわね……って、ああ、ちょい待った!」


 誰に待ったをかけたのかわからないが、そう言ってからヤエはカウンターの外に出て、赤子を抱いたまま、店内の少し空間があいた部分をジッと見つめる。


 すると、そこに一瞬で木と蔦で出来たバウンサーもどきが出現した。


 ヤエは腕の中にいた赤子をそこへ置く。

 乗せられた赤子は自分の動きにあわせて揺れるそれがうれしいのか、ご機嫌にキャッキャと笑った。


 それを横目で見ながらヤエは冷蔵庫の前に戻った。


 どうやら赤子を腕に抱いたままだと冷蔵庫の扉が開けられないという根本的なところで引っかかっていたらしい。


 赤子を置いて、手のあいたヤエは、冷蔵庫の観音扉に手をかける。

 粉ミルクが欲しいと願いながら、ガバッとその扉を開いた。


 <からっぽーん。


 そんな音がヤエの耳に聞こえるかと思うほど、冷蔵庫の中にはなにもない。


「ええ!?」

 拍子抜けしたヤエが頭を突っ込むように冷蔵庫の中を覗き込んでも、そこにあるのは空虚な白い光と、冷蔵庫独特のブーンと鳴る音だけだった。


「テレジアさん、なにもないわ」

 冷蔵庫から首を抜いてテレジアに向き直る。


「あ、言い忘れてました。さすがに異世界から食べ物を召喚するのに、対価なしに持って来れるチートはなかったんですよう。異世界冷蔵庫はこの世界の何かと日本の食事を等価で交換するチートなんです。だからまず異世界冷蔵庫の中にこの世界の品物を入れて。それから望む物を心に描いて冷蔵庫を開けてください。そしたら対価が釣り合った分だけ、願った物が出てきますよう」

 説明を端折ったのを反省したのか狸テレジアはヤエに向かってきちんと説明した。


 この理屈ならヤエも理解できる。

 むしろ対価なしに異世界から物を持って来れる方が怖い。


「なるほどね。入れるものは食事じゃなくて、なんでもいいの?」

「いいと思いますよう」

「じゃあ、これでいいか」

 そう言ったヤエの手の平には、さっきまで影も形もなかった木彫りの狸が乗っていた。


「あら、可愛いですねえ」

「ふふ、テレジアさんを形作ったのよ」

 ヤエは体の一部を分離させて、瞬時にそれをテレジアの形に変形させていた。

 願っただけで家を一瞬で建てられるのだから木の形を変えるくらいは朝飯前だ。


「なるほど納得の可愛さです」

「ある意味、女神像だもの。これならさすがに粉ミルクと交換はしてもらえるわよね?」

「当然ですよう」

「そうよね」

 ふふ、とヤエは笑いながら振り返り、掌中のテレジア像を冷蔵庫に鎮座させ、扉を閉じた。


 再びヤエは冷蔵庫の扉に手をかける。

 目を閉じて。前世の記憶の中にある缶に入った粉ミルクを願い。

 異世界冷蔵庫の扉を開いた。


 ゴロン。


 扉を開くと同時に、重い音をたてて粉ミルク一缶が冷蔵庫から転がり出てきた。


「おっと」

 ヤエは落ちる前にそれをキャッチする。


 その一缶を皮切りに次々と冷蔵庫から粉ミルクが転がり出してきた。

 ヤエはしばらくの間、缶を受け止めては横に置いてを繰り返していたが、いつ終わるかわからないキャッチアンドリリースにうんざりして、蔦のネットをその場に生成し、落ちてくるままに放置していると、缶の放出はそのうち止まった。


 出現した数を数えてみると、合計で八十缶あった。

 赤子が卒乳するには十分すぎる量があるだろう。

 数え終えてから、そのあまりの数に驚いたヤエはため息まじりにテレジアに問いかけた。


「テレジアさんのフィギュアってもしかして価値すごい?」

 手のひらサイズのフィギュア一個と粉ミルクが八十缶も交換されたのだ。

 前世の価格にしたらそこそこの金額になる。


「狸は可愛いですから当然といえますねえ」

 狸テレジアはフーンと自慢げに鼻を鳴らす。

 確かにその姿はとても愛らしい。その価値はあのミルクの量が証明している。


「テレジアさんありがとう。おかげであの赤ちゃんにミルクをあげられるわ」

 そう言ってヤエはお手製のバウンサーの中で相変わらずキャッキャと笑っている赤子の元へ駆けていって。


 そこからまた、哺乳瓶がない、お湯がない、と騒ぎ出した。


 この森の中で望んで叶わないことなどないはずの転生者の表情は。

 数年ぶりのあたふたを楽しむようにとても朗らかだった。


 テレジアもまた。

 そんな風に楽しそうにしているヤエを見て幸せそうに横目で眺めるのだった。

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