第23話 汚い大人たち
「そう、わかったわ」
健吾さんはそう言うと、俺に数枚の資料を渡す。
「男性側のオーディションは一週間後。先方の事務所で行うそうよ」
バイトの面接であれば、履歴書と簡単な質疑応答を。
就職面接でも同じ内容だが、会社によっては筆記試験なんかもある。
だけどこの手のオーディションに質疑応答も筆記試験もない。
「演じるキャラの見た目や雰囲気に合っているかどうか。そこしか見られないと思っていいわ」
健吾さんの説明はシンプルだが、とても難しい内容だった。
演じるキャラは黒髪の執事だ。
切れ長な目で鋭そうなイメージだが、ヒロインに向ける表情は優しい。
それと日本人顔ではないので、寄せることはできても似せることは難しいと感じた。
そのキャラの見た目や雰囲気にどう合わせるかなんて、素人の俺にわかるわけがない。
「大丈夫、できるかぎりのサポートはするから」
「ありがとうございます。えっと、健吾さんもオーディションの時その場にいてくれるんですか?」
「一応ね。あたしも別の意味でオーディションを受けるみたいな感じだから」
別の意味?
「カメラマンとしてね。その場には向こうが雇った専用のカメラマンもいるけど、あたしも撮影許可はもらったの」
「もしかして、これが健吾さんに振られたっていう仕事ですか?」
「そういうこと。名目上は予備カメラマンみたいな立ち位置。まあ、撮影者の名前が作品に掲載される以上、あたしの撮った作品が採用されることはないでしょうけど。向こうも期待なんて一切していないと思うしね」
健吾さんは空気が重くならないように笑いながら話すが、あまりにも失礼な対応だと思ってしまった。
要するに優菜さんを出演させる為に仕方なく健吾さんを入れただけで、別のカメラマンがいるなら健吾さんの写真を選ぶことはないってことだろ。
「お互い、頑張りましょうね」
だけど健吾さんは目的の為に、この仕事を引き受けた。
それほどまでにこの仕事がチャンスだと思ったのだろう。
それからも説明を受けた。
演じるキャラの特徴や設定なんか。
ポージングなんかの練習もある程度はしておいた方がいいと言われたが時間も時間なので後日にすることに。
♦
『今、かなたちゃんが事務所を出たわ』
「そう」
一人、先に家に帰っていた優菜。
健吾からの電話を受け、ソファーに腰掛ける。
「それで、奏汰くんの勧誘は上手くいったの?」
『勧誘って、もう少しマシな言い方ないの?』
「じゃあ、汚い大人の汚いやり方に上手く巻き込めた?」
『もっと酷くなってる』
大きなため息が聞こえた。
『奏汰くん、受けてくれるって』
「そう、それじゃあ、私も受けないと駄目ね」
『……受けてくれるの?』
「彼が受けたのに私が受けないわけにはいかないでしょ」
鼻で笑いながら正論を言う。
彼が引き受けたのは優菜がヒロインをやるからなのを、優菜自身も理解しているから。
『怒ってる?』
「さあ、どうかな。怒ってる半分、嬉しい半分。……ねえ」
『ん?』
「奏汰くんがオーディションに合格する確率って、どれぐらい?」
優菜は気付いていながら健吾に質問した。
そして返ってきた答えは予想通りのものだった。
『5%も満たないってとこかしら。男性側はオーディション。オーディションって言えば公平性がありそうに聞こえるけど、実際はそんなことない。他にエントリーしてる面々なんて、素人のかなたちゃんと違ってみんな俳優や役者の経験者ばかり。それに企業や代理店と繋がりがある事務所所属の子もいるだろうから、エントリー前に圧倒的な差が付いてるもの』
「それがわかっていて、奏汰くんのことそそのかしたんだ」
『……ええ。だってそうでもしないとあなた、引き受けてくれないじゃない』
「それは自分の為? 自分が企業にコネを持つ為? あとは多くの人の目に自分の撮った写真を見てもらうチャンスだから?」
『……自分の為よ』
健吾は少し間を置いてから答えた。
「馬鹿だね、奏汰くんの為とか言った方が私が納得しやすいのに」
『……それを言ったところで、やっていることは同じだもの。それに事実だから、ゆうなちゃんの言ったこと全部』
「そっか」
奏汰を汚い大人たちの思惑に巻き込んだことを怒っている一方、変わろうと、少しでも優菜に相応しい男になろうと、そう思って一歩を踏んでくれた奏汰の気持ちが嬉しい。
「まあ、あの場で奏汰くんを残して帰った私も同罪か」
健吾が奏汰を口説くことは容易に想像できた。
それをわかっていながら、奏汰が自分で決断してくれるんじゃないかと期待して、優菜はあの場で奏汰を一人残した。
その時点で、自分が健吾を叱責できる立場ではなくなった。
『ゆうなちゃんは、どうするの?』
「なにが?」
『ヒロイン役であるゆうなちゃんが「奏汰くんが相手じゃないなら、やらない」って言えば、相手役はオーディションなんかせずかなたちゃんに決まると思うけど』
「かもね」
『そうしたら、二人で──』
「──それは奏汰くんに失礼じゃない?」
優菜は怒気を含ませた言葉を、スマホ越しの相手に向けて投げた。
「一歩を踏みさせる為に腕を引っ張ったくせに、何の達成感もなく天からの一声で合格できました。じゃあ、何の為にこうなるようにしたの、私たち?」
『そう、ね……。ごめんなさい』
「だから私は何もしない。彼の覚悟についても気付かないふりをする。──それに、奏汰くんなら何もしなくても受かると思うから」
『え?』
優菜は渡された『聖樹と呪術のリントネア』の資料に目を向ける。
微笑むヒロインに、片膝を突いて胸に手を置く執事。
どちらも愛おしそうに相手のことを見つめていた。
「私の相手は、奏汰くんしかいないから」
『……』
「それは演技だろうと現実でも同じ。ケンさんから見ても、お似合いだって思うでしょ?」
『え、ええ、そうね!』
「だから普通の目で見たら、合格するのは奏汰くんだもの。だから大丈夫。私は彼が手を取ってくれるのを待っているから」
どんなにイケメンでも。
どんなに大手の事務所所属でも。
自分が最も相手に相応しいと思っているのは奏汰だけ。
だから、汚い大人の思惑抜きにしたら彼が合格するに決まっている……。
その気持ちに一切の疑念は無かった。
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