君と見る星空に、貴方はいない。
超論理的なチワワさん
君の目に僕は
朝、7時39分
目線の先に映るのは、万引きをして捕まったとされる長髪の男が、大柄な大人に連れられ車に乗せられる場面だ。
「馬鹿な事をするものねえ。」
中年女性の、少ししゃがれた声が背後から聞こえた。僕の母親だ。
こうした反応は、世間一般的に見てなんら不思議じゃない。
寧ろ、こうした反応が当たり前なのだ。テレビに映る彼の眼は、お世辞にも善人とは言いにくいから。
伸びきった黒い髪の合間から見える目はとても虚ろいでいて、今にも人を殺してしまいそうな、数秒目を合わせただけで気絶してしまいそうな目をしているんだもの。
でも、そんな風に見える彼だからこそ、僕は考えてしまう時がある。
そうしなくてはならなかった理由が、彼にはあったんじゃないかって。
例えば、養わなくてはいけなかった妹がいたけど、仕事が首になったとか。
それで、仕方なく犯行に及んでしまった、とか。
意図せずだが、そんな荒唐無稽で何ら根拠のない事が頭によぎってしまう。
雨の日の朝の様な気分になった最中、画面は変わりニュースキャスターは次のニュースを読み上げ始める。
こうして、僕の朝の日課、ニュースと新聞による事件・事故チェックは終わりを迎えた。
ふと窓の外を見てみると、雲一つない晴天だ。その晴天を見る限り、この世界は平和そのものであると感じてしまう。
先程のニュースとの温度差に、風を引いてしまいそうになった。
「って、あんた、学校間に合うの?」
「ヤバっ!!」
そう母に言い放つと、手元にあったマグカップの中身を飲み干し、教科書で重たい鞄を持ちあげる。
「重っ」
思わずそう口に出てしまうくらい重たい。
今日の授業は五教科揃ってる上に、国語の辞典を持っていかなくてはいけなかった。
国語の辞典は昨日のうちに鞄に入れたが、一冊増えただけで信じられない程の重量感だ。
鞄を勢いに任せて背中に背負い上げ、腹筋に力を入れて安定させようとする。
「いってきます…!」
よれよれと、鞄の重量に踊らされ歌舞伎役者の様になってしまう。
僕は思い切り足に力を入れて、その場にたたずんだ。すると、その恰好がさながら、歴史に出てくる侍みたいだったので、置いてある鏡を見て小さく微笑んだ。
「今度こそ!行ってきます!!」
母の返事を待たずに、僕は玄関を飛び出した。
---
僕の名前は菊崎優希、紅葉ヶ丘中学校に通う中学2年生だ。
成績、スポーツ、友人関係共に良好。
ある程度の事は卒なくこなすことが出来るし、もし分からない事があったとしても、先生や友人に聞いて納得して実践することが出来る。
中学校へ向かう登校の途中。
目と鼻の先に中学校がそびえ立っている正面の道路で、僕は自画自賛をしながら足を進めている。
道路の脇には緑が生い茂っていて、僕の心の中を読んでいるかの様に、さも羨ましそうに身を躍らしている。
赤茶色のレンガで出来た道の上を、白色の学校指定の靴で、軽くステップを踏みながら、僕は歩いている。
こうして登校している間にも数人の友人に声を掛けられる。今日の気分や宿題の分からなかった場所、昨日やってたアニメの話、多種多様な話題に対し僕は全て完璧にアンサーする。
それこそが、上手く学校生活を送り友人関係を良好に保つコツなのだと、僕は確信していた。
そんな自分に、僕は思わず口角が上がってしまう。しまいには、口角が上がりすぎて空にまで届いてしまいそうだ。
そんな自由奔放で素直な口角を一生懸命に抑え、中学の校門をくぐった。
真っ青な背景の中央に堂々と描かれるクリーム色の建物。
横に等間隔でくっついている窓が、3つ縦に列になっていて、窓からは身を乗り出し友人に手を振るものや、黒板消しの粉を振り落とすものがいる。
そんな個性あふれた顔触れの中、一際目立つ男子集団が僕に向かって手を振っている。
下から2列めの、左から幾つか窓枠を数えた位置、2年2組、僕のクラスだ。
そして、僕に向かって手を振っている彼らは僕のクラスメイトだ。
あまりこういった形で目立つのは好きじゃないが、手を振り返しておこう。
火のある所に煙は立たず、塵も積もれば山となる、こうした日々の対応が数ヶ月後の友人関係を形作っているのだ。
こうして、我流の友人関係必勝法で生活してきた僕には、最近悩みがある。
悩みと言っても、今日の鞄が物凄く重たい事だとか、朝トイレに行き忘れておっしこが漏れそうな事とかではない。
もっと、重要で、重大で真剣に考えるべき問題がそこにはあるのだ。
それは、貴方についてのことだ。赤渕凛さん。
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彼女の名前は、赤渕凛。
人形の様に綺麗な顔立ちに、ピンと伸びきったお手本の様な姿勢。
漆黒で他の色の侵入を拒むその黒髪に対し、髪の隙間から時折見える薄茶色の瞳からは、気高さと品の高さの他に、その奥底にある不気味さを感じさせる。
彼女は今年初めて同じクラスになった同級生で、僕が唯一友人関係を良好に気付けていない唯一の人だ。
今まで彼女との距離を縮め、良好な関係を築く為に様々なアプローチを仕掛けてきた。
彼女の係りの仕事を手伝ってあげたり、ペアを作る授業で余っていたら話しかけてあげたり、彼女が好きな本を読んで勉強したり。
しかし、それらのアプローチは漏れなく全て拒絶され、挙句の果てに彼女から受け取った言葉は
「嫌い」
の一言だけだった。
しかし、彼女に悩まされ続ける生活も今日で終わりを迎える自信があった。
何故なら、先日行われた席替えで私と彼女は席が隣同士になったのだから。
この距離の近さなら、彼女が分からない問題とか落とし物をした時とか、好感度を高める機会は充分にある。
そして、それらのチャンスを余すことなく、次の席替えの日まで狙い続けることが出来るのだ。
僕はクラスに入るなり、早々と自分の席に座り、さっそく、隣の席に座る彼女に話しかけてみることにした。
「おはよう、凛さん。今日も綺麗だね。」
「うん。おはよう」
僕の渾身の挨拶を、彼女はハエをはらうかのように一蹴した。
昨日の夜からなんて声をかけようか考えに考え抜いた上での挨拶だったんだ。
あまつさえ彼女は、僕にただの一瞬さえ目線を配ることさえせず、手元にある書物をただ眺めているだけだったのだ。
僕はチクりと胸に注射を刺された様な気分になった。
「ね、ねぇ、凛さん。せめて挨拶する時くらい本読むの辞めてさ、目合わせて挨拶してみない?」
「...どうして?」
「どうしてって。挨拶は目を合わせ合ってするものだろ?」
「それは貴方の価値観なんじゃない?それを私に押し付けるの辞めてくれないかしら。」
「...」
ぐうの音も出ないとはこのことだと思った。
確かに、彼女の言い分も筋は通っている。
挨拶は目を合わせてするものなんていう価値観を僕が押し付けるのなら、彼女の目を合わせずにする挨拶を押し付けられるのは仕方のないことだろう。
よく母親は僕にこう話していた。
男は女の歩幅に合わせて生きていくべきなのだと。
僕はそんな荒唐無稽なアドバイスに、一番身近にいる女性が言うのなら多少の信憑性はあるかもと、以来念頭に置いて生活してきた。
されど、僕は母のアドバイスを聞くまでもなくそんな常識は理解しているのだ。
そんな僕は、彼女に対し生れてはじめての感情を抱きかける。
僕は、彼女の歩幅に合わせて生きる事など出来ないかもしれない。
この日、僕は人生で初めて諦めるという選択肢を心に浮かべた。
---
それでも僕は諦めなかった。
1限目の数学では、前回の基礎的な内容の応用を扱う合同の証明問題。
僕がこんな好機を見逃す訳もなく、今日習う範囲すべてを昨日の内に予習してきているのだ。
僕は自信に満ち溢れた笑みと態度で呼び鈴を迎え、担当科目の教師を迎え入れた。
予想は的中、当日の謎アンラッキーイベントで昨日予習してきた範囲と全く違う範囲を進めるなんてお決まりの展開はない。
僕が読んだ教科書と全く同じ内容が黒板に書き写されていった。
これはいける。ここらで一言、『分からない所があったら僕に聞いてよ。』なんて声を掛けておこうと思い、隣に顔を向け身を寄せた。
すると声を掛ける一刻程前、彼女が開いていた教科書が僕の目に映る。
「え。」
堂々と机の上に広げられていた教科書らしきものは、授業の内容とはなんら関係のない参考書だったのだ。
しかもよく見ると、恐らくまだ僕たちが授業で習っていない範囲の単元。中学3年生が習うであろう問題を解いていた。
まさか彼女が授業中に内職をするタイプだとは考えてもいなかった。受験前ぎりぎりの授業ならまだしも、中学2年の一学期に内職をするだなんて。
「ねぇ凛さん。教科書は開かないの?」
「えぇ。もう完全に理解しているし開く必要がないわ。何か用?」
「ううん。なんでもないよ、ごめんね」
「あらそう。」
弱者を見下ろすサバンナの獣の様な目で睨みつけてきた彼女に対し、とてもじゃないけどそれ以上声をかけれなかった。
僕は心の中で、肺の中にある空気が全て出てしまいそうなくらい大きなため息を吐いた。
まさか、こんな形で失敗するだなんて。
昨晩の努力が泡になって漏れ出してしまうんじゃないかと、まだ一限目なのに考えてしまった。
しかしまだ一限目だ。落胆するのは早いだろう。次に生かそうじゃないか。
---
昨晩先に勉強していたせいか、授業が簡単でとても退屈な50分を過ごした後、10分の休憩をはさみ次の授業が始まろうとしている。
該当科目の教科書、ノート、単語帳を机の上に並べ、教室のドアから入ってきたのは背の高い外国人の先生。
二限目は英語の時間だ。
英語に関しては予習という概念があまり通用しないんじゃないかと、僕は考えていた。
何故なら、英語の時間は基本的に教科書本文を、単語帳を使って和訳したり、簡単な文法問題を解くだけだからだ。
まだ中学二年生という事もあって、扱う文法も非常に簡単なものだし、この時間にチャンスは訪れないかと思っていた。
しかし、僕は忘れていた。英語の時間に偶にある、隣の席の人とのスピーチの時間を。
今日の1対1のディスカッションの議題は、趣味についてだ。
僕は、ここぞとばかりの時に取っておいた秘密の武器を、そこで披露することにした。
簡単な文法問題の解説が終わり、授業の残り時間は後20分。
趣味についてのディスカッションの時間が始まり、教室内が徐々に騒がしくなっていった。
「じゃあ僕らもはじめよっか。」
「ええ。早く終わらせましょう」
「う、うん。じゃあ、どっちから発表しようか。」
「貴方からでお願い。」
という感じで僕から自分の趣味を発表する事になった。
「分かった。」
「My hobby is reading books.(私の趣味は本を読むことです)」
「I read a variety of genres, but my favorite is modern fantasy.(色々なジャンルの本を読みますが、現代ファンタジーが一番好きです。)」
「My favorite book is "I Had the Same Dream Again" by Yoru Sumino.(一番好きな本は、住野よる著の「また、同じ夢を見ていた」です。)」
そう。住野よる著の「また、同じ夢を見ていた」という小説は以前彼女が学校で読んでいた本だ。
人間友達になる時には共通の話題というモノが必要だと、僕は理解している。
これは、学校生活が始まって8年弱、僕が友人を作る際に行う重要事項なのだ。
おもえば彼女と僕の間にはこれまで、共通の話題というモノが存在しなかった。
だから、彼女がこの本を読んでいるのを目にした時、僕も同じ本を買って勉強していたんだ。
さぁ、どう食いついてくるか。
「そう、あの本が好きなのね。私もあれ読んだわよ。」
「え!そうなんだ~!じゃあ一緒だね!!」
「いいえ。私はあの本あまり好きじゃないのよね。」
「あ、そうなの?」
「えぇ。特にラストのアバズレさんと小柳さんが喧嘩してそのまま会えなくなってしまう展開とか。」
「へ~、そうなんだ。僕は、そういう儚ない人間関係の描写がすきだったけ...」
そう、言葉を言い切ろうとしたとき、頭に一つの違和感を覚えた。
アバズレさんと小柳さんが喧嘩するシーンなど、あの小説にあっただろうか。まさか。
「やっぱりね。貴方その本ちゃんと読んでいないでしょ。」
「え、え?」
しまった。
彼女は僕がこのためだけに普段読まない小説を買って、軽く読んで満足していた事を見越していたのだ。
小説好きにとって、物語を蔑ろに扱い適当に読書し、挙句の果てにそんな人物に自分と同じ小説好きを語られるなど、臓物が煮えくり返る気分だろう。
完全に、鎌にかけられてしまった。僕は焦って考え付く限りの言い訳を並べるが、彼女は納得する気配を見せなかった。
まして、僕は口を開く度に、僕を見る目が鋭く嫌悪感が増して行っている様な物に近づいていっている気がした。
「なにを考えているのか分からないけど、これ以上付け回すのは辞めてくれる?気分が悪いわ。」
「ごめん…」
「やっぱり貴方の事、苦手だわ。」
そう言い放つと彼女は体を教室の正面に向けてしまった。
気付かなかったが、いつの間にか15分程経過しており、ちょうど、クラスのみんなもディスカッションが終わった頃だった。
---
それから、三限の体育と四限の社会でも、彼女が困っていたり、理解出来ていなさそうにするタイミングをひたすらに待ち望んでいた。
でも、彼女は午前の3教科に加えて体育の実技まで完璧にこなしてしまった。
僕の付け入る隙がない程に。
大抵の人間には弱点が存在するものだと、そう思って生きてきた。
どれだけ勉強が出来る奴も、どれだけスポーツが出来る奴も、どれか一つを極めるにはその他の何かを犠牲にしなくてはならないと。
しかし彼女はどうだろう。少なくとも今見た限り勉強・スポーツに抜け目はなく、一切の綻びを見せないじゃないか。
僕の人生観を変えなくてはならない程の人物に、僕の心に靄がかかる。
不可能かもしれないと、僕の心にはもうヒビが入って、今にも何かがこぼれだしてしまいそうになっていた。
そんな僕の心を置いていくように、時間は過ぎていく。
昼食と休み時間を挟んで五限目。
次の時間は、国語だ。
しかし、次の授業でもチャンスは訪れそうにない。なにせ国語はきっと彼女の得意科目だからだ。
彼女が普段をどう過ごしているのかを見ていれば、それを予想するのは簡単だ。
彼女は少なくても学校に来ている間、殆どの時間は本を読んで過ごしている。
それこそ、人の挨拶を横目で流す程度には。
そんな彼女に、僕が挑める筈もないんだ。
それにどちらかと言うと国語は僕の苦手科目だし。
この授業でも出来そうにない。そう肩を落としていると、ふと目に映るものがあった。
綺麗に整えられた机上、品があり真っ直ぐに伸びた背筋に、目が悪くならないよう適切な距離で本を見る少女。
「ね、ねぇ。凛さん。今日国語辞典って持ってきた?」
すると、彼女は体を僕の方に向ける。
そして、彼女はその宝石の様に光る薄茶色の瞳で僕を眺めた。
「ううん。忘れたの。」
この機会を逃す手はないと思った。
「そうなんだ。でも僕が持ってるから貸してあげるよ」
「ううん。だいじょうぶ。借りてくるから。」
「え、いやいや。だいじょうぶだって。貸すからさ。一緒に見ようよ」
「ほんとにだいじょうぶだから。」
彼女はそう言うと、席からゆっくりと立ち上がり教室から出て行った。
きっと、図書館に辞書を借りに行く気なんだ。
僕はその意図に気付くと、椅子から力強く立ち上がり、彼女の後を追って行く。
「ね、ねぇ。ホントに貸すからさ、だいじょうぶだよ。」
「あなたさっきからしつこいわよ。要らないって言ってるの。」
「なんでだよ。せっかく貸してあげるって言ってるのに。僕の事そんなに苦手かい?」
「えぇだいっきらいよ。初めて見た時から吐き気を催したわ。」
彼女は、僕の目を見てそう言った。
産まれて初めて言われた言葉だった。僕はその言葉を頭の中で何度も何度も再生するが、一向に意図が伝わらない。
人間は、知っている部分のみで人を評価し嫌悪する生き物だ。
大丈夫。
彼女は本が好きだから。定番だ。最後に来るどんでん返しに慣れているはずだ。理解できる。
「いいから貸してあげるって!」
「近寄らないで!」
彼女の眼は、毛虫を見るような眼をしていた。
僕とは、目が合わなかった。
分かり合えない人間は存在しないと思っていた。
でもそれが、とんだ見当違いだったのではないかと、目の前の少女は私に気付かせた。
僕は何も言わずに教室へと帰った。
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