死ねない無限迷宮を超えてでも、異世界へ行きたい

@NEO23

1.1 地獄で目覚める

深い眠りから目覚めたような感覚と、フワフワとした浮遊感。


 重力もない。何かに触れている感覚もない。


 足が見当たらない。両手もない。


 ――いや、身体そのものが、ない。


 意識だけがここにあるようだ。夢だろうか?




「ふふふ。ようこそ、地獄へ!」




静寂に包まれた空間から一転した。




「……へぇ?」




 甲高い声でもない、低く落ち着いた声でもない、そんな中性的な雰囲気を醸し出していて、どこか風変わりな魅力を感じてしまう不思議な声色が響いた。




 しかし周囲には誰もいないようだ。




 眉を顰めたくなるような状況だが、そもそも表情を作ることができない。


 それが妙に新鮮に感じられた。




 でも、呆けた声は響いていた。




 どうやら話すことはできるみたいだ。少し安心――でも、声の主は誰だ……?




 辺りは静寂で真っ暗だった。たとえ灯りを灯しても、一瞬でこの闇に呑まれそうな、そんな威圧感がある。心の声で唸りながら、安心をすぐに撤回する。




「ふふふ。ふふふ。んふふっ」




 不気味な声がずんずん近づいてくる。いや、違う。僕のほうが声に吸い込まれている……そんな感覚だ。




 ……目の前の空間が、裂けた――唐突にだ。




 すらっとした長身に漆黒の執事服を纏った青年が、そこから現れた。




 好青年には、決して思えなかった。


 鎌のような鋭さで口角を上げた笑みを頬全体に貼り付け、露わになった完璧な歯列からの唸り声、けれどもその佇まいからは威厳を感じる。




「うわぁっ……!あれ?」




 大仰に驚いてしまった。目の前には依然と笑みを浮かべたままの男がいた。




「ふふふ。驚きましたかな?転んだと錯覚したでしょう。けれど、転ばなかった。今の貴方には精神と連動する肉体がありません……」




 その言葉と同時に、ここにいる前の出来事が走馬灯のようによみがえる。




「さっきまで交差点で信号を待っていたはず……。そうだ、気づいたら横にトラックが接近して真っ暗になった。んー、それ以降が思い出せないな……」




「その通りです。ふふふ。貴方は本当に残念なことに事故でお亡くなりになりましたよ!ここは死後の世界――地獄です」




 青年は目の前で、うんうんと同情しているかのように首肯しているが、全く残念に思っているように感じない。


 そしてニヤリと笑みを作り出して両手を大仰に広げると、蒼白の半面を思わず突き放したくなるほど近づけ、真紅の瞳を爛々と輝かせながら語勢を強くして告げた。




 うん、近い。




 ……いや、待てよ。そんな事より、もっと大事なことを聞いた。






 確かに、天国への受付嬢とも呼べる美人な女神の姿が見当たらないじゃあないか!






「なるほど死んだのか……。おい、今地獄と言ったか?それほど悪い事を僕はしていないぞ……?うんそうだそうだ……」




 ハードボイルドな表情を心の中で作って納得してみせる。




 現世の頃を少し思い出してみよう。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 社会人一年目でエンジニアとして働いていたんだ。


 インターンシップにも参加していたから経験としては既に数年積んでいて、その流れでお世話になること運びとなった。




 プライベートでは――彼女いない歴=23年。


 お察しの通り、生涯童貞。……まさか童貞だと地獄行きとか?よせよ、そんな理不尽があるか。




 でも、趣味には恵まれていて、読書やゲームそしてアニメとか、引きこもりではないにしてもインドアな生活を送っていたな。




 満足だったか?と聞かれると答えに困る。


 母は少し前に亡くなって、父とは会ったことすらない。大人になってまで、付き合いがある友人もいなかった。




 そんなこんなで、漠然とした将来の不安は正直多少あったと思う。


 飽き性でさらに優柔不断な自分にとって、普通に毎日過ごすことは非常に退屈だと感じていたのも事実。


 年甲斐もなく何か刺激的で非日常な体験を求めていたのは事実だったけど、現実の世界でできることなんて無いと思い込んでいたし、それを目指して努力もしなかった。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






 僕は、つまりこれと言って未練はない――前言撤回、あの大人気ファンタジー作品の最新刊は気になるな……。




 


 ともかく、話が少しずれたけど地獄に行くような人間では決してないだろう、そんな人間だった。




「そのドウテイ?おそらく生殖行為をされていない人間のことを言うのでしょう。それは地獄に行く道理にはなりませんよ。安心してください」




「おい、死んでも心は傷つくんだからなッ!」




 ついつい、痛いところ突かれて声を荒立ててしまう。




 そう言いながらも。


 流石、死後の世界。人の心を読むことができる存在に思わず感嘆する。




 でもなんだろう、改めて青年の顔を窺う。


 ……嘲笑うかのような表情だ――肉体があったら手を思いっきりグーにして目の前のこいつに一発食らわせてやりたい。




「おや、それは失礼。ちなみに私に物理攻撃は効きませんよ」




 すらっと伸びた背筋を腰のところで軽く曲げ、恭しく頭を下ろして、しれっとチート能力ぽいことを言う。




 ……肉体が無くてよかったかもしれない。すみませんでした!




「おっと話しが逸れてしまいましたね。もちろん貴方のことは存じ上げております。本来であればここに居るべきではない。ふふふ」




 不気味な笑みを浮かべながら淡々と呟く。




 語尾のふふふ、が気になるのは僕だけだろうか。




「私の個人的な戯れ……ゴホンッ!噛みました。ふふふ。なので私から刺激的な生活を送りたい貴方に朗報です!別の世界に転移してあげましょう」




 事実を誤魔化すように両手を大仰に広げて続けるが、




「……戯れ?何もなかったかのように続けていますが……」




 すかさず反応はしておく。ツッコミ本当に大切。超重要。




「私の意図はこの際関係ないのです。前例のない――転移する機会を貴方は得ることができるかもしれない。これが大切なのです!」




 なるほど。




 ……待てよ、かもしれない?無条件で異世界に行けないのか?




「……1つ聞いてもいいですか?」




 目の前の男は満面の笑みを浮かべたまま、満足げに息を荒げ両手を開いたまま、天を仰いでいた。




 ……頷いたと捉えよう。




「無条件で異世界に行けないのですか?」




「ふふふ。もちろんです!」




 その時の笑みは、これまで以上にひどく不気味なものだった。


 続けて、




「貴方には、まず無限の可能性を与えましょう。つまり、自分次第で何にだってなれるのです。そして、試練を達成されれば異世界へ転移できます」




「えっと、無限の可能性……?」




 そうして、目の前の青年は無限の可能性について不規則に不気味な笑いを交えて淡々と説明をしてくれた。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 結論から言うと、RPGと同じ考え方だ。




 最初に、レベル。




 成長の代表値。経験値で上がる。


 敵を倒すと貰える経験値が一定になるとレベルアップ――それだけではないらしい。


 もちろん大小はあるが、驚いたことに経験値は様々なことを通じて得ることができるらしい。




 歩く、走る、避ける。


 剣を振るう。魔法を詠唱する。


 読書をする。食事をする。


 ――など、相手の存在に関係なく色々な経験を積むことで入手できるようだ。




 次に、僕の能力を可視化する云々――つまり、ステータスだ。




 基本的にはレベルアップを通じて上昇するらしい。別の方法で上げる方法もあるようだ。




 体力/魔力/腕力/知力/物防/魔防/幸運




 これら7つが基本ステータスらしい。


 元の世界の概念と大きく変わりがない。




 さらにスキルもある。




 スキルはレベルアップした時に獲得する。別に方法で、取得や習得をするものもあるようだ。


 さらに、習熟度――つまりスキルそのもののレベルアップという概念もある。






 説明はとても親切で丁寧だった。




 ”無限の可能性”――つまるところステータスやスキルの組み合わせだろう――の全てを説明することはできないので、使いながら発見したり学んだりしてくれとのことだ。




 試行錯誤は大好きなので任せてくれ。




 これからどんな冒険が待ち受けているのだろうか――。




 常識を超えた新たな能力に胸が躍る。




 ――さっきはグーで殴りそうになって申し訳ありませんでした!


 態度を改めないといけない。




「……スキルを確認されるには、《オープン・スキル》と頭の中で詠唱してください」




 了解です!




 《オープン・スキル》




 目の前にパネルが浮かび上がった。




 上下左右を向いてもパネルは追従してくるのだが――




「んー、文字が読めないし、なんだか歪んで見えます……」




 未知の記号が羅列されている。唸りながら頭をひねっても分からない。


 しかも文字が歪んだり焦点が合わなかったりする。酔いそうだ。




 ……パチンッ!




 指を鳴らす音が高らかに響く。




 《オート・トランスレーション》を獲得しました……。




 脳裏に、無機質な声音が再生され――その次の瞬間、目の前のパネルが微かに輝く。




 すべての記号が、ぐにゃっと変形すると見慣れた文字へと変換されていく。




 これは、日本語だ!




 ピコッという音の後に、スキル《オート・トランスレーション》がパネルの下部に追加された。


 


 他にもどんなスキルがあるのかな?気になってみたり。




「あらゆる言語をあなたの馴染みの言語に自動的に翻訳するスキルを授けました。これで貴方は読み・書き・話すに困ることはないでしょう」




 腕を組みながら、自信満々に言う。




 確かに便利だ、説明までついている。――どんな文化や価値観が、異世界にあるのだろうか?




 使ってみるのが楽しみだ。




 僕はもっと淡い蒼色の枠に白文字で情報が浮かぶパネルを見てみる。






 職業:人間の魂


 レベル:1


 体力:4 魔力:2 腕力:1 知力:3 物防:1 魔防:1 幸運:5


 魔法:なし


 スキル:《オート・トランスレーション》




 ”人間の魂”……まあ確かにそうだけど。




 基本的ステータスは、最初からチートではないようだ。




 つまり、”無限の可能性”――いずれにしても自分次第ということだ。授かるのではなく、自分で努力しろということなんだろう。




 上等。やりがいがあるってもんだ。








 「ふふふ。これは大変失礼しておりました。まだ私の名前を申し上げておりませんでした」




 夢中になって思案していると、突然、場の空気が変わった。




 凍えるような息が詰まるほどの冷たさ、時が止まったかのように空間そのものが固まる。




 目の前に佇む青年が、胸元に右手をそっと乗せてみせる。


 端正な顔に宿る真紅の瞳。その奥に、煌々と輝く球体――今の私の姿――を映しながら、彼は告げた。




「魔神ゲネシスと申します。――もう追放されましたが、別次元では“創生”を司る神でした。以後、お見知りおきを」




 今更だけど、神様だったのか。どう見ても悪魔なんだが。


 


 そして、改めてと言わんばかりに、




「ふふふ。ようこそ。地獄へ!」




 腕を前に突き出してピースとかし始めた。




「こうかな? いや、こっちの方が美しい」とか言いながら、愕然とする僕の目の前で延々とピースを繰り出してるし。




 うんうん。


 その試練=地獄なのか。ちょっと吐きそうな気分だ。




 僕は――剣と魔法の異世界で別の人生を謳歌したい。ただそれだけなんだ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る