第5話 下手な嘘

営業時間が過ぎ、

客とのアフターが終わったのは

午前四時を過ぎた頃だった。

店を出ると、かすかに空が明るい。


「お疲れ、カイン」


Luxtの前で優斗が煙草を咥えていた。

彼もアフターだったんだろう。


「また明日な」


「おう、気をつけて帰れよ」


いつもと変わらない会話。

だが今日は、どこか身体が重かった。


麗也の顔が頭の奥に残っている。

何か言いたそうだったあの目。

俺を試すような、値踏みするような光。


煙草に火をつけ、

夜風の中で一口吸う。

冷たい煙が喉を刺した。


その時だった。


少し先の路地裏で、

女の叫び声がした。


「やめてっ!ちょっと…やだったら!」


反射的に顔を向けた。

黒服の男に腕を掴まれている女がいた。

服は乱れヒールが片方脱げている。


「ほら、ホテル行くだけだから。金は払うって」


「離して!嫌!」


俺は煙草を踏み消す間もなく

身体が勝手に動いていた。



「おい、やめとけよ」


「なんだお前…ホストか?」


「あんたも同業か。分からないか?

 そういうのは、自分の信用を一番落とすぞ」


男は一瞬ひるんだが、

舌打ちして女を突き放した。


「…面倒くせぇな」


そう吐き捨てて去っていく。


残された女は、

その場にしゃがみこんで泣いていた。


「大丈夫か」


近づいて声をかけると、

女は顔を上げた。

濡れた瞳が街灯の光を反射する。


「…あなたもホスト?」


「そう見えるか?」


「見える。でも今のは優しかった」


「優しさじゃない。面倒事が嫌いなだけ」


女は小さく笑った。

震える指で髪や服を整えながら、

「ありがとう」と言った。


その声がやけに静かに響いた。


「あなた、名前は?」


「カイン。あんたは?」


「美穂」


「仕事は…その感じだとキャバか」


「うん。よくわかったね」


「この街じゃあんたみたいな人がよく泣いてる。

 見慣れた人種だよ」


「あはは…ほんとこんな事ばっかだよね。

 さっきの人もね、お客さんだったの。

 いい人だと思って信じてたんだけどな」


「…同業を信じるとロクなことにならない」


「そうだね、これからは気をつける」


ぎこちない会話だった。

街の喧騒の中で、

二人の間だけが不自然に静かだった。

ふいに美穂がその静けさを破る。


「ねぇ、あなたは人をどこまで信じる?」


突然の問いに、俺は少しだけ眉を動かした。


「…信じるってのは、

 裏切られるリスクを抱えることだ」


「…そっか」


美穂は少し笑って立ち上がった。

ドレスの裾を整え、

夜の風に髪を揺らす。


「あなた、嘘が上手そうだね」


「それが仕事だから」


「そう。でも…今の嘘は、

 ちょっと下手だったよ」


そう言って、彼女はゆっくりと歩き出した。

ヒールの音が遠ざかっていく。


俺はその背中を、しばらく見送った。

何かが胸の奥で音を立てた気がした。


“今の嘘はちょっと下手だったよ”


あの言葉だけが、

夜明け前の街に残っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る