第4話 均衡
営業が始まる十五分前。
照明が少し落とされ、
店内に独特の緊張が流れた。
鏡越しに見る自分の顔は今日も完璧だ。
髪の立ち上がり、
笑顔の角度。
全部“カイン”として整っている。
だが、今日はどこか違和感を感じた。
何かが起こる前触れ、そんな違和感。
「おはようございます!」
フロアの奥で、内勤スタッフが声を張る。
続けて、ナンバーワンの麗也が現れた。
黒いジャケットに、金色の時計。
派手な見た目に似合わず
声は低く落ち着いている。
それがまた、彼の“支配力”だった。
「カイン、今日は俺の席のヘルプに付け」
「…俺が?」
「そう。お前、顔がいいからな。
たまには俺の客にも見せてやってくれよ」
それは命令とも、皮肉とも取れる言い方だった。
本来、ヘルプは新人が着くことが多い。
ヘルプの仕事は麗也が他の卓に呼ばれてる間の
話し相手、あとは麗也のヨイショだ。
このワガママもナンバーワンの麗也だから
通される無茶振りだと言える。
しかし俺は波風を立てたくなかった。
「了解です」
俺は短く答えた。
(今日の来店予定の調整…し直しだな)
流れに逆らわないこと。
それが、この店で長く生きるルールだ。
営業が始まると、照明が一気に明るくなる。
ボトルの栓が抜ける音と、コールの声。
金が流れ、笑顔が踊る。
麗也の席に座ると、
三人の女がシャンパンを開けていた。
「失礼します、カインです」
「あー!キミが麗也くんの後輩?」
「はい、カインです。麗也さんには
弟みたいにかわいがっていただいてます」
「弟とか可愛いー!指名替えしちゃおうかな?」
「麗也さんに怒られますよー!」
女の一人が、からかうように笑う。
俺はそれに笑顔で返した。
それが仕事だ。
だが、横の麗也がわずかに
眉を動かしたのを見逃さなかった。
“俺の客の前で調子に乗りすぎるなよ”
そう言っているような目だった。
女たちが酔って席を離れたあと、
麗也がグラスを置いて俺を見た。
「なあカイン、お前さ、
最近なかなか調子良さそうじゃねえか?」
「どういう意味ですか?」
「いや、別に。お前随分俺の姫に
気に入られてたみたいだからよ?」
「…この店のナンバーワンは麗也さんでしょ?
俺なんかまだまだヒヨコですから」
「そりゃ安心だ」
麗也は笑った。
だがその笑いには、冷たさがあった。
彼が去ったあと、
グラスの底に残った泡を見つめながら、
俺はふと嫌な予感を感じた。
――“波の下で静かに泳ぐ”はずが、
誰かが水面を乱し始めている。
何かが、変わり始めていた。
店の空気も、そして自分自身も。
「…面倒な事になりそうだ」
呟いた声は、音楽と笑い声にかき消された。
けれどこの夜の小さな違和感が、
あとで“運命の綻び”になることを、
このときの俺はまだ知らなかった。
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