第44話 第三の影が世界に触れた夜

海岸沿いの風が、夜になってようやく落ち着いてきた。

焚火の明かりが静かに揺れ、波の音が寄せては返す。


昼間の第三の影の痕跡。

あれは確かに“未成熟”の影だった。

まだ輪郭を持たず、ただ“存在の揺らぎ”だけを残して消えていった。


だが――ユウトには分かっていた。


(あれは終わりじゃない。始まりだ)


ピリィは焚火の横でぷるぷる震えながら、空を見ていた。


『ユウト……今日の空……ちょっと変ですぅ……』


「変?」


『星、なんか……“静かすぎる”ですぅ……』


そう。

今日は夜風の“ざわめき”がない。

草木のささやきも、遠くの魔物の気配も、やけに薄い。


風の勇者であるユウトにとって――これは異常だった。


(……世界が“息を潜めてる”みたいだ)


ゴルドが腕を組んで空を見上げる。


『筋肉センサーも、おかしな反応をしている……

 周囲の“気配”が……薄い。まるで大地が眠っているようだ』


「眠ってる……?」


風を読む――

が、読めない。


風の“流れ”はあるのに、“意志”や“感情”が欠けている。

まるで世界そのものが“無意識”になったように。


(……これ、影の前兆だ)


第三の影はユウトを求めている。

だがまだ力不足で、直接触れられない。

だから――


(“世界”を通して、俺に触れようとしてる……)


つまり世界の風や空気を媒介に“手探りで”ユウトを探している。


そのとき。


ひゅる……ひゅるるる。


焚火の炎が、上ではなく――

横に流れた。


「うわっ……!?」


『ぷるぅ!? 火が……横に行くですぅ!?』


風が吹いている。

だが方向がおかしい。


普通なら海風が陸へ向けて吹くはずなのに、

今は陸側から海に向けて“吸い込まれるように”吹いている。


(風が……逆流してる……)


ユウトはすぐに気づいた。


第三の影が、世界の“風の方向”を撫でている。

力を試している――!


「ピリィ、ゴルド! 下がれ!」


二人(?)がユウトの後ろに隠れる。


風は止まった。

いや――止まったように感じられた。


草木は揺れているのに、音がしない。


(……やられた……“音の皮”を剝がされてる)


沈語の影の残滓よりももっと深い。

音そのものではなく、音を鳴らす“性質”が奪われている。


風の勇者であるユウトさえ

音の喪失を“感じ取れない”ほど繊細な操作。


影はまだ形を持たないのに――

すでに世界を“触って”いる。


そのとき。


ひとつ、空から何かが落ちてきた。


ぽとり。


夜空から、白銀の粒がひとつ落ちた。


「……雪?」


違う。

それは雪ではなかった。


触ると――消えた。


『ぷる!? 今の……なんですぅ!?』


「……“影の欠片”だ。

 第三の影が、世界の空気を通して“外へにじみ出た”……」


本来ありえない。


影は形を持たない。

光の裏にしか存在できない。

世界の皮膚を破って外に出るには、明確な“器”が必要になる。


だが第三の影は――

器なしで“外側に触れた”。


(……やばい……!

 もしこのまま進化したら……)


影は“器”としてユウトを求めている。

だがまだ奪えないから、「世界の皮膚」を代わりに使っている。


(世界そのものが、影の“手”にされる……!?)


ゴルドが唸った。


『ユウト……! 今のは筋肉でも説明できない……!

 世界の境界が歪んでいるッ!!』


『ぷるぅ……ユウト……怖いですぅ……』


そのとき――

夜空が、ゆっくり“色を変えた”。


黒ではなく――

薄い銀色。


月光でも、雲でもない。


影が“空気の中に溶け込んでいる”のだ。


風がユウトの頬を撫でる。

しかしそこには感情がない。


(……まずい……このままじゃ……)


ユウトは拳を握る。


「第三の影……

 お前……“世界そのもの”を器にしようとしてるのか……?」


それはつまり、


世界を、ひとつの巨大な“影の身体”に変える

ということ。


そこまでされたら、勇者の風など通じない。


ユウトは立ち上がる。


「ピリィ、ゴルド……行くぞ」


『ど、どこにですぅ!?』


「影の中心を……探しに行く」


『筋肉、了解である!!』


月は銀に染まり、

風は世界の意思を失い、

音は皮を剝がされ、

夜の空気は影の胎動に震えていた。


第三の影は――

初めて世界に触れた。


そして世界は、その触れた場所から静かに歪み始めていた。


ユウトは風の勇者として、まだ風が残る“最後の道”へ向かって歩き出す。


第三の影の足音は、もう止まらない。

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