第4話 一撃必殺

 エルム村を出てから一時間。東方の古道は、アルトが想像していた以上に過酷だった。整備されていない獣道は木の根が隆起し、工房での座り仕事に慣れきったアルトの足を容赦なく痛めつける。背中のリュックには古文書と旅道具が詰まっており、その重さが肩に食い込んでいた。


「はぁ……はぁ……このペースじゃ、今日中に野宿場所までたどり着けないぞ……。」


 アルトが額の汗を拭い、木に手を突いて息を整えていた時だった。背後の茂みがガサリと揺れた。


「ッ、誰だっ!」  


アルトは身構えた。ギルドの追っ手か、それとも魔物か。


「大きな声を出すなよ。魔物が寄ってくるじゃないか。」


 茂みを割って現れたのは、呆れた顔をしたリタだった。先ほどの商人の服装とは違い、動きやすい革鎧とブーツ、背中には機能的なバックパックを背負っている。腰には二振りの短剣が差されていた。


「リ、リタさん?! 帰ったんじゃ……?」


「勘違いするな。自分の旅支度を取りに行ってただけだ。」


 リタは水筒を投げ渡しながら、冷ややかに言った。  


「私の『投資した金』が、最初の角を曲がったところで野垂れ死んだら大損だからね。案内料も込みの契約だ。ついてきな。」


 リタは迷いのない足取りで先頭を歩き出した。アルトは苦笑し、水筒の水を一口飲んでから、その頼もしい背中を追った。


 リタの先導のおかげで、進行速度は上がった。森を抜けると、風景は徐々に荒涼とした岩場へと変わっていった。植生が薄れ、乾いた風が吹き抜ける。道中、アルトは道端に放置された残骸を目にした。車輪の壊れた馬車、錆びついて原形をとどめていない剣や鎧。


「これは……。」  


「夢破れた先人たちの墓標さ。」


 リタは足を止めずに言った。  


「準備不足のまま東方を目指した職人や冒険者の成れの果てだ。ここから先は補給が効かないよ。エンチャントが切れて道具がただの鉄屑に戻った時、それは死を意味するからね。」


 アルトはゴクリと唾を飲み込んだ。朽ち果てた剣は、持ち主を守れなかったのだ。自分も失敗すれば、この残骸の一つになる。現実の重みが、リュックの重さ以上にのしかかった。


 岩場を抜けかけた頃、地面が激しく隆起した。


「下がりな! 鉄鎧蟻アイアン・アントだ!」


 リタの警告と同時に、土煙の中から巨大な蟻のような魔物が現れた。その体長は狼ほどもあり、全身が鋼鉄のように硬い甲殻で覆われている。リタは瞬時に両手の短剣を抜き放った。刃には「切れ味強化」のエンチャントが施され、青白く光っている。


 ガガガガッ!


 リタは目にも止まらぬ速さで連撃を叩き込んだ。火花が散る。だが、硬すぎる。斬撃ごときでは、この分厚い装甲板に傷一つ付けられない。


「硬いっ……! 鈍器を持ってくるべきだったか!」  


 リタが顔をしかめる。彼女の装備は対人・対軟体魔物用だ。相性が最悪だった。  さらに悪いことに、連撃による過度な摩耗で、短剣の光がフツリと消えた。


「チッ、安物買いの銭失いだ!」  


 魔力が尽き、ただの鉄に戻った短剣など、爪楊枝も同然だ。魔物が大顎を開き、リタに迫る。


「リタさん離れて!」


 アルトが叫んだ。彼は足元に転がっていた、砂岩の塊を拾い上げていた。  リタがバックステップで魔物の顎を躱した瞬間、アルトは懐の彫刻刀を砂岩に突き立てた。


「なにをしている!? まさか今ルーンを掘ってるのか?!」  


「十秒だけ時間を! ……くそっ、触媒なしじゃ定着しない……!」


 アルトは焦りながら砂岩の表面を削った。その間にも、リタの短い悲鳴と、風を切る音が聞こえる。彼女は武器のない状態で、紙一重の回避を続けているのだ。失敗すれば彼女が死ぬ。そのプレッシャーが、逆にアルトの集中力を極限まで研ぎ澄ませた。


 魔石、つまり触媒がない状態でルーンを起動させるには、術式を簡略化し、空気中の魔力を瞬間的に取り込むしかない。だが、それは持続しない。効果はほんの一瞬だ。


 アルトは一気にルーンを刻み込んだ。  【硬化ソリッド


 溝が刻まれた瞬間、砂岩が微かに震え、内側から張り詰めるような圧力を帯びた。


「リタさん!! 今すぐに使ってください! 数秒しか持ちません!」


 アルトはその砂岩を地面に転がした。

 リタは魔物の顎を紙一重でかわし、転がってきた砂岩を拾い上げた。  


「ッ……!」


 手にした瞬間、分かった。砂岩の軽さと脆さが消え、掌に食い込むような、冷たく硬質な鉄塊へと変わっている。だが、その表面には既に亀裂が走り始めていた。


「一発勝負か……上等だよ!」


 彼女は全身の力を使い、その硬化した石を、魔物の頭上へ叩きつけた。


 ゴォンッ!


 鈍い衝撃音が響き、鋼鉄の甲殻が粉々に砕け散った。  

 そして次の瞬間、甲殻を砕いた反動とルーンの崩壊が重なり、石は役目を終えたように、音もなくサラサラと砂粒になって霧散した。


 魔物は動かなくなった。リタは肩で息をしながら、魔物の死骸と、手のひらに残ったただの砂埃を見た。


「……威力は凄まじいが、一発でゴミに戻ったね。」  


「しょうがないですよ。触媒なしで無理やり周囲の魔力を集めたので……形状を維持できませんでした。」


 アルトが息を切らしながら答える。  


「逆に言えば、良い素材と触媒があれば恒久的に強度が続きます。でも今の僕にはこれが限界です。」


 リタは砂埃を払い落とし、ニヤリと笑った。  


「十分さ。魔石の消費はゼロ。拾った石っころが、一撃必殺の鈍器に化けたってわけだ……。」


 リタの頭の中で、商人のそろばんが弾かれた。完全ではないが、原価ゼロでこの威力。緊急時の切り札としては破格の価値がある。


「呆れたね。どうやら私の投資は無駄じゃなかったらしい。」


 それは、リタなりの最大級の賛辞だった。  二人の視線の先には、植生が完全に途絶え、一面の赤茶けた砂が広がる荒野が見えていた。


「さ、ここからが本番だよ。東方の砂の国境へようこそ。」


 リタの言葉と共に、乾燥した熱風が二人の頬を撫でた。  

 アルトは無意識に、胸ポケットの上から、お守り代わりの父の琥珀をギュッと押さえた。


(……ここからは、父さんも知らない領域か)


 石は冷たく、静かなままだ。

 何の道標もない荒野へ、アルトはリタと共に足を踏み入れた。

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