第14話 三つ巴の衝突、雷鳴に隠された脱出
路地裏の入り口、石畳にリセルの血液が滲む。肩を掠めた目に見えない風の刃の激痛に耐えながら、リセルは背中に昏睡したアークを抱え、目の前の状況を分析した。
「貴様、誰の許可を得て、この街で勝手な行動を!」
背後の塔の出口から、ゼノスの怒号が響く。彼の右腕には、街路の石畳を青白く染め上げるほどの雷魔力が集中していた。ゼノスは、リセルを傷つけ、古代の術式に干渉しようとするフードの男を、外部勢力の尖兵と誤認している。
フードの男は、リセルの存在から注意を外し、ゆっくりとゼノスに向き直った。その仕草には、わずかな焦りもなく、破壊的な雷撃を前にしてもなお、侮蔑の色が滲んでいた。
「また、愚かな破壊者が一人……。お前が、王を解放したか」
その言葉は、ゼノスにとって最大の侮辱だった。自分の行動が王の解放に繋がったという事実を認めたくないゼノスは、瞬間的に冷静さを失った。
「黙れ! 正義の鉄槌をくれてやる!」
ゼノスは咆哮と共に、最大出力の雷撃を解き放った。青白い電光は、崩壊した塔の残骸と瓦礫を瞬時に焼き払い、フードの男を呑み込まんとする。それは都市の区画を一つ消滅させるほどの破壊力だった。
リセルは、この破壊的な衝突こそが、自分たちの逃走に不可欠だと直感した。
(来るわ! この雷撃は、私たちを逃がすための『煙幕』になる!)
リセルは、痛む肩を無視し、アークの体を抱え直した。
雷撃がフードの男に到達する直前、男は静かに手に持った黒い傘を、水平に一瞬だけ展開(デプロイ)した。
**パアァン!**
乾いた金属音と共に、極微細な風の流れが一瞬だけゼノスの雷撃の前面で旋回する。ゼノスの破壊的な雷撃は、一瞬の展開で生まれたその小さな風の渦に捕捉され、まるで意志を失ったかのように、男の左右に大きく逸れていった。
「な……何だと!? 私の雷撃を逸らしたか!」
ゼノスは驚愕に目を見開いた。彼の力は、正面から叩き潰すことしか知らない。微細な操作で回避されるという事態は想定外だった。
フードの男は傘を閉じ、その動作は一連の動きの中で一瞬たりとも淀まなかった。彼は、ゼノスの雷撃を完全に無力化した上で、その膨大なエネルギーが塔の構造に与える二次的な衝撃波の方向までをも計算しているようだった。
男は、雷撃を避けた直後、再びリセルに視線を戻した。
「破壊に気を取られすぎた。私の獲物はそちらだ」
彼は、ゼノスの雷撃の爆発によって生じた砂塵と爆音を、リセルが脱出に使うと完全に予期していた。
「逃がさない!」
リセルは砂塵の中、足を止めることなく、路地裏の奥へと駆けた。彼女は、ゼノスが男との戦闘に集中している隙を突く必要があった。
ゼノスは、自分の攻撃が外れたにも関わらず、フードの男の能力の精密さに気づかない。彼は、相手が運よく回避したと判断し、再び強烈な雷撃を放つ準備に入っていた。
「虚飾の展開者よ。この風脈の中では、私から逃げ切ることはできん」
フードの男は、リセルが砂塵の向こうへ消えたことを確認すると、黒い傘の先端を、リセルたちが向かった路地裏の方向へ向けた。そして、傘を静かに閉じる。
**カチッ。**
その収束(クローズ)の動作と共に、路地裏の入口に吹き込んだゼノスの雷撃による熱エネルギーと、リセルが逃走で発生させた微かな風の流れが、男の傘の周囲に正確に引き寄せられ、情報として処理される。
(風脈を読む。彼女の速度とアークの重み。目標は北門)
男は一切の迷いなく、右手に持った傘を前方へ突き出し、リセルたちが逃げ込もうとしている北門へ続く路地裏の奥、地面めがけて、見えない風の刃を三つ連続で放った。
ザシュッ!ザシュッ!ザシュッ!
風の刃は、リセルの逃走経路の地面をピンポイントで抉り、石畳に三つの小さな亀裂を刻んだ。それは、リセルの足元を狙った、警告射撃だった。
リセルは、背中のアークが重くのしかかる中、地面に刻まれた亀裂を見て、全身の毛穴が開くのを感じた。
(今、避けられたのは、本当に偶然よ! この男は、私たちがどこへ、どのくらいの速度で向かっているか、全て把握している……!)
リセルは、アークの能力の『成長した未来の姿』を、敵として見せつけられているようだった。
「リセル・フローレンス。その少年を連れて逃げたところで、この街の外にも居場所はないぞ」
男の声が、砂塵の中から冷たく響く。彼の言葉は、彼らが外部勢力から狙われていること、そして、彼自身が街の外でも追跡を続ける意思を示していた。
リセルは、北門へ向かう角を曲がりながら、ゼノスの雷撃が再び響き渡るのを聞いた。ゼノスは、男の精度の高い能力には気づかず、ただ自分の雷撃が外れたことに苛立ち、破壊的な攻撃を繰り返している。
(ゼノスの攻撃は、あの男を足止めするのに役立っている。だが、あの男の精密な追跡は、私たちの体力が尽きるのを待っている)
リセルは、昏睡しているアークの顔を一瞬見た。アークは、能力の限界を超えた反動で、青い骨を組み込んだ傘を強く握りしめている。
リセルは、自分がもう一度傘を使うしかないと判断した。ただし、今度は、戦闘のためではない。
彼女は、次の路地の曲がり角で急停止し、アークから傘を強引に引き抜いた。そして、傘をゆっくりと、しかし確実に閉じる動作(収束)を行った。
「アークの能力よ……この路地裏の熱気と風の流れ、全てを収束し、情報として読み取る!」
リセルは、アークほどの集中力や微細な操作技術はない。しかし、彼女の魔力と古代の骨の増幅力を利用し、強引に周囲の環境エネルギーを一時的に「凍結」させた。
周囲の空気の流れが止まり、音と光の伝達がわずかに鈍る。
「……五秒。この五秒で、男の観測を遮断し、逃げ切る!」
リセルは、その五秒の間に、周囲の瓦礫の中に隠されていた崩れた木材の山へ飛び込み、体勢を隠した。
彼女は、自分たちが北門へ向かうという『風脈の予測』を、別の情報で乱さなければならない。
リセルは、木材を強く蹴り上げ、瓦礫と木片を北門とは逆方向へ、力いっぱい投げつけた。
**ガシャン!**
木片と瓦礫は勢いよく都市の中心部へと飛び散る。これは、リセルが都市中心部へ逃げていると誤認させるための、偽のノイズだった。
リセルは、息を潜めたまま、再び北門へ向かう道へと飛び出した。
数秒後、監視者(フードの男)が、収束能力による静寂が破られた路地裏の角に現れた。彼は静かに、傘を開き、周囲のエネルギー流を観測する。
「……情報ノイズを発生させたか。古代の管理者が、自身の知識と少年の能力の連携。悪くない」
男は、リセルの仕掛けた偽の痕跡(都市中心部へ向かう瓦礫)を瞬時に無視した。
「しかし、私には分かる。逃げ道は、都市の外しかない。北門だ」
彼は、自身の能力の熟練度に対する絶対的な自信を持っていた。
しかし、男は追跡を一時的に止める。上空で、ゼノスの破壊的な雷撃が、船影から放たれる破滅的な光の凝縮点と激しく衝突し始めていた。
**ゴオオオオォン!**
都市全体を揺るがすほどの、巨大な魔力とエネルギーの衝突。街路の瓦礫が跳ね上がり、崩壊寸前の塔からさらなる破片が降り注ぐ。
男は静かに空を見上げた。
「破壊者が、自滅を加速させている。あの船影の兵器は、破壊的な力で迎撃すれば迎撃するほど、出力が高まる」
彼は、リセルとアークが都市の北門から脱出するのを一時的に容認することにした。
「いいだろう。一時的に猶予を与える。だが、虚飾の展開者よ。その力は、街の外こそが真の試練の場となる。そこで、貴様の真の価値を、この私が観測する」
男は、アークの傘(青い骨を組み込んだもの)に視線を移した。そして、自分の黒い傘に触れ、静かに呟いた。
「『真なる器』を追いかける『偽なる観測者』……。いや、数千年の『監視者』か。どちらにせよ、私たちの旅は、ここから始まる」
男は、再びフードを深く被り直し、ゼノスと船影の衝突が続く中、路地裏の影へと消えていった。
リセルは、北門まで残り数十メートルという場所で、立ち止まった。ゼノスと船影の衝突による轟音で、耳が全く聞こえなくなっている。
(追跡者が、一時的に諦めた……?)
リセルは、息を整え、北門を警戒した。この門も、王の魔力消失による結界の消滅で、防衛機能が停止している可能性が高い。
リセルは、門に到達する直前、身体を硬直させた。
門のすぐ手前、石造りの塀の影に、誰かがうずくまっている。その人物は、薄汚れた布を被り、ゼノスの雷撃の余波による振動に怯えているようだった。
「誰かいるわね。私たちを見ていないことを祈るけれど……」
リセルが警戒しながら近づくと、うずくまっていた人物は、震える手で地面を這っていた。そして、その人物が持ち上げようとしていたものを見て、リセルは凍りついた。
それは、金属的な光沢を持つ、銀色の小さな円筒。そして、その円筒の側面には、上空の巨大な船影に刻まれていたものと同じ、『紋章』が薄く刻印されていた。
その人物は、外部勢力の兵器が放った光の攻撃の着弾点から、何かを回収しようとしているようだった。そして、彼らがリセルたちに気づいた瞬間、その顔に、狂気と恐怖が入り混じった表情を浮かべた。
「……見られた」
リセルは、その人物が口にした言語が、この霧都で使われている共通語ではないことに気づいた。外部勢力の「偵察兵」あるいは「工作員」だ。
リセルは、昏睡しているアークを背負いながら、戦闘体勢に入ろうとした。しかし、その偵察兵は戦闘を意図しなかった。彼は、拾い上げた銀の円筒を強く握りしめると、怯えながらも、その円筒を自分の頭に押し当てた。
**バチッ**
小さく、乾いた放電音が鳴り、偵察兵の身体が痙攣する。そして、彼の口から、上空の船影が放った攻撃よりも遥かに冷たい、電子的な音声が響き渡った。
「対象確保。データ転送完了。目標:**虚飾の展開者**の捕捉。次なるフェーズへ移行」
その声が途切れると同時に、偵察兵の身体は、まるで砂のように崩れ落ち、跡形もなく霧散した。
リセルは、背後のアーク、そして目の前の消滅した残骸を見て、新たな種類の恐怖に襲われた。
(彼らは、アークの能力の『真名』を知っているだけでなく、既にこの街に『人間を装った装置』を送り込んでいた……! そして、今、アークの存在は、完全に彼らのシステムに捕捉された!)
リセルは、絶望的な状況を前に、崩れ落ちるように膝をついた。彼女は、もはや逃げ場がないことを悟った。アークの能力の真価の証明は、彼を世界中の勢力の最優先標的に変えてしまったのだ。
北門の向こう側は、未知の荒野。そして、その荒野は、外部勢力が放った破滅的な光の着弾点でもある。リセルは、アークを抱きかかえ、決死の覚悟で門を潜り抜けた。
「私たちは……もう、逃亡者よ」
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