第10話 崩壊の塔と吸収の代償
「アーク!走って!王が物理的な侵入を開始したわ!」
リセルは、崩壊した地下二階の通路を走りながら、アークの腕を引っ張った。二人のすぐ背後では、貯蔵室の扉の残骸から黒い魔力の靄が滝のように溢れ出しており、その中心で冷たい光を放つ巨大な『眼』が、彼らの逃走経路を無言で追跡していた。
アークの手に握られた傘は、今や青い光を放つ古代の骨が組み込まれ、異様なほどの存在感を放っていた。
「くっ……重い!」
アークは叫んだ。それは物理的な重さではない。傘が周囲に充満する『霧の王』の膨大な魔力を無制限に『吸収』し始めたことで、彼の精神に圧し掛かる情報の重さだった。
「これが、吸収能力……リセルさん、この魔力、僕の体が保ちません!」
「耐えなさい、アーク!王の魔力はそのまま封印のエネルギー源になる。貴方の身体が一時的に増幅装置になっているのよ。覚悟しなさい!」
リセルは素早く走りながら、崩れかけた階段を指差した。
「上へ向かうの。再封印の術式は、この塔の最上部に古代の術式が残っているはずよ。王が塔を完全に呑み込む前に、術式を再起動させる!」
二人が階段を駆け上がり始めた直後、塔の外壁から凄まじい轟音が響いた。**ドゴオオォン!**
「ゼノスよ!王を破壊するために、無差別な雷撃を放っている!彼らが塔の外壁を崩せば、構造全体が崩壊する!」
リセルの顔に焦燥が走る。彼女の予想通り、王の侵入とゼノスの討伐隊による破壊は、同時に塔を内側と外側から攻め立てていた。
その瞬間、階段の踊り場に、黒い靄が凝縮し、二体の小型のミスト・エレメントが出現した。
「また魔物が!」アークが叫んだ。
「ダメよ、立ち止まらないで!吸収した魔力を無駄にしないで!」
リセルは短く指示を出すと、アークの進路を確保するため、エレメントの片方に向け、牽制の魔弾を放った。しかし、王の魔力に活性化されたエレメントは、リセルの牽制をものともしない。
アークは立ち止まった。このままではリセルが危険だ。彼は震える手で、新しい傘をエレメントの正面に向けた。
(呑み込ませ、その力を、貴方の器へと固定せよ……)
古代の術師の声が脳裏に響く。彼は、ただ傘を「開く」動作をした。
**パカッ!**
青い光を放つ傘の骨を触媒としたアークの【虚飾の展開者:吸収(アブソープション)】が発動。周囲の膨大な魔力の流れに乗って、二体のエレメントが構成している黒い魔力が、まるで滝のように傘の表面に吸い込まれていった。
「う、うわっ!」
アークは思わず声を上げた。エレメントは抵抗する間もなく、構成要素である魔力を奪われ、風船の空気が抜けるように霧散する。彼らが消滅したことで、アークの傘には、先ほどよりもさらに重く、濃密な王の魔力が『吸収』された。
「すごい!一瞬で!」リセルが驚きと安堵を込めて叫ぶ。「貴方の能力は、もはや魔物を解体する力に進化したわ!」
「でも、リセルさん、この魔力の量……僕の身体に、負荷がかかっています。頭が割れそうだ!」
アークは、傘が王の魔力を際限なく貯め込んでいる感覚に襲われ、膝をつきそうになった。
「それが『真なる器』の代償よ。貴方の身体を魔力貯蔵庫として一時的に利用している。古代の術師の警告を思い出しなさい。『さもなくば、器は……』。このまま吸収を続ければ、貴方自身が王の魔力に呑み込まれてしまうわ!」
リセルは素早くアークの状況を分析し、新たな戦略を立てた。
「アーク、次の階層へ急ぐわ!貯め込んだ王の魔力を、すぐに『誘導』に使わなければ、貴方は持たない!」
二人は再び走り始めた。貯蔵室の扉は完全に崩壊し、黒い靄が廊下を覆い始めた。王の侵入は間近に迫っている。
上階へ上がるにつれ、塔の構造的なダメージは深刻になっていった。外からの雷撃と内部からの王の魔力による浸食。
地下を抜けて一階へ出た瞬間、塔の窓ガラスが、ゼノスの放った遠方の雷撃の余波によって粉々に砕け散った。
「くそっ、本当に無茶苦茶ね!ゼノスはただ王を刺激しているだけだというのに!」リセルが舌打ちした。
「リセルさん、街の音が……どんどん激しくなっています」
アークの耳には、遠方の都市で討伐隊と王の魔力体が衝突している怒号と爆発音が、はっきりと響いていた。ゼノスが街の戦力を結集させ、王を破壊する計画を実行しているのだ。
リセルは窓の外を一瞥し、冷静に判断した。
「王の魔力体は地下深くから塔を浸食している。討伐隊は、塔の外壁に集中攻撃を仕掛けているはずよ。このままでは、塔の最上部が、王の侵食と外部からの攻撃で、一瞬で崩壊するわ!」
彼らは、最後の階段を駆け上がり、塔の頂上階へと到達した。そこは、かつて監視員が常駐していた円形の広い空間だが、天井の一部はすでに剥がれ落ち、そこから黒ずんだ霧が、まるで塔を飲み込む蛇のように侵入してきていた。
塔の頂上に、古代の再封印術式が刻まれた、巨大な青銅の円盤が設置されていた。術式は数千年を経て、その光を失っている。
「これよ!アーク、この術式に、貴方の傘で吸収した王の魔力を『誘導』するの!」リセルが叫んだ。
アークは、限界まで王の魔力を吸収し続けた傘を、震えながら青銅の円盤の中央に向けた。青い骨が組み込まれた傘の先端が、微かに光を放っている。
「これを、どうやって……」
「開閉でタイミングを取るのよ!王の魔力の流れが、術式にシンクロするタイミングを見極めて、一気に『展開(デプロイ)』させる!」
アークは精神を集中させた。傘の中に渦巻く膨大な魔力。それが自分の存在を霧散させかねない重圧になっている。
しかし、その時、塔の頂上階の天井を突き破り、数本の強大な青い稲妻が、彼らの頭上めがけて垂直に降り注いだ!
「なっ……ゼノス、まさか!」リセルが絶叫した。
それは、塔の外壁を狙っていたゼノスの雷撃が、王の魔力体の浸食によって、誤って塔の頂上を貫通したのだ。
雷撃は、アークとリセル、そして再封印術式の青銅の円盤の、わずか数メートル横に着弾。轟音とともに、塔の頂上階の床板が吹き飛び、アークは身体のバランスを失った。
「くっ!」
アークは崩れ落ちる床から滑り落ちまいと、術式の円盤の縁にしがみつく。その頭上では、天井を貫通した雷撃の穴から、討伐隊の怒号と、雷鳴を伴うゼノスの声が、鮮明に聞こえてきた。
「霧の王を破壊しろ!古代の術など、すべて虚飾にすぎない!確実な力で、塵に変えるのだ!」
彼の声が、アークの「虚飾の傘」を再び否定した。そして、崩れ落ちた床の穴から、黒い魔力の靄が渦を巻き、地下から王の魔力の奔流が、一気に頂上を目指して吹き上がってきた。
内側からは王の魔力、外側からはゼノスの破壊的な攻撃。アークとリセルは、絶望的な挟撃に遭っていた。
「アーク!今よ!迷わないで!王の魔力とゼノスの雷撃、この二つのエネルギーが衝突する一瞬の『歪み』を利用して、吸収した魔力を術式に『誘導』するの!」
リセルの絶叫が、アークの耳に響く。彼に残された時間は、もはやゼロだった。青銅の円盤は、黒い魔力と雷撃の余波によって、今にも砕け散ろうとしている。
アークは、渾身の力を込めて傘を握りしめ、青銅の術式へ向けた。彼の身体は、吸収した王の魔力で、限界まで膨張していた。
「虚飾の展開者……誘導(インダクション)!」
彼は、崩壊の轟音の中で、能力の進化を賭けた、最後の開傘動作を試みた。その一瞬、傘の先端から青い光が放たれると同時に、塔全体が、底から凄まじい振動に襲われた。
それは、王の魔力が、再封印術式への『誘導』を拒否した、強烈な反発だった。王は、自分を呑み込もうとするアークの傘に対し、完全に敵意を固定し、塔そのものを押し潰そうと、最後の力を振り絞ったのだ。
塔は、二つの巨大な力の衝突により、今、まさに上下から圧殺されようとしていた。
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