第9話 真なる器と王の圧力
前哨監視塔の地下二階、崩壊を免れた貯蔵室は、アーク・レインハートが触れた青い光を放つ『傘の骨』によって、清浄な魔力で満たされていた。しかし、その清浄さとは裏腹に、アークの頭に響いた古代のメッセージは、さらなる絶望を突きつけるものだった。
「リセルさん、王は僕の魔力を呑み込むって……。そして、あのゼノスさんの音……もう、始まっています!」
アークは震える手で『傘の骨』を握りしめた。遠方から響く連続した雷鳴と爆発音は、ゼノス率いる討伐隊が、覚醒した『霧の王』に対して破壊的な攻撃を開始したことを示している。
リセル・フローレンスは古代の術式石板から顔を上げ、冷静さを保ったままアークに視線を向けた。
「落ちつきなさい、アーク。古代の術師は、術が破れた後のことも予測していたわ。メッセージが途中で途切れたのは、王の魔力が塔全体に浸透し、通信を干渉したからよ。そして、貴方の能力が『王の魔力を呑み込む』。その警告は正しい」
「呑み込む……」アークは自分の身体に魔力がほとんど残っていないことを感じていた。「僕の魔力じゃ、王の力に対抗なんてできません。呑み込まれたら、僕自身が霧に溶けてしまいますよ」
リセルは、アークの手に握られた青い光を放つ傘の骨を指差した。
「だからこそ、これが必要なのよ。これは、貴方の能力【虚飾の展開者】の『真なる器(ツール)』。数千年前、王を封印した術師が使っていた、魔力操作のための増幅装置よ」
アークは驚きで目を見開いた。彼がいつも馬鹿にされてきた、ボロボロの傘。その能力の起源となる装置が、目の前にある古代の遺物だというのか。
「虚飾の傘が……真なる器?」
「ええ。貴方は今、外部魔力を『誘引』する能力を開花させた。だが、封印を修復するには、誘引した膨大な王の魔力を、一時的に『吸収』し、正確な術式へと『誘導』する精密操作が必要になる。この骨を貴方の傘の骨組みに組み込めば、その吸収と誘導の精度が劇的に向上するわ」
リセルは石板の古代文字を指でなぞった。
「メッセージの続きはこうよ。『王を再び封印するには、力を呑み込ませ、その力を——精密な術式へと誘導せよ』。貴方が呑み込むのは、自分の魔力ではない。王の魔力そのものよ」
王の魔力を吸収する。それは、常人には考えられないほどの、危険で途方もない行為だった。しかし、ゼノスが外で破壊活動を続けている以上、アークにはもう逃げ道がない。自分の能力が街を救うための唯一の鍵だという、初めての事実に、アークの内心には恐怖と同時に、熱い使命感が湧き上がっていた。
「どうすれば、これを僕の傘に……」
その時、貯蔵室全体が激しく震動した。**ゴオオオオォン!**という重い衝撃が、隠し扉の向こう、地下二階の通路から直接伝わってくる。
「王の侵入よ!地下三階の封鎖を破り、塔の深部に物理的に入り込もうとしている!」リセルが焦りの色を初めて滲ませた。
岩盤でできた貯蔵室の扉に、黒ずんだ重い魔力の靄が滲み出し始める。王が放つ、存在そのものが持つ圧力だ。この扉が破られるまで、もはや数分もないだろう。
「急いで、アーク!骨を組み込むには時間がかかるわ。貴方のボロボロの傘に、この骨を『触媒』として直接押し当てて!一時的な増幅装置にするのよ!」リセルが叫んだ。
アークは一瞬の迷いを捨てた。崩壊寸前の塔、外で暴走するゼノス、そして目の前に迫る『霧の王』の重圧。
「わ、わかりました!」
アークは、手に持っていたボロボロの傘の柄のヒビの入った部分に、古代の『傘の骨』を渾身の力で押し付けた。
**ズン!**
冷たい青い光と、アークの傘の古びた材質が、凄まじい勢いで共鳴し合う。アークの身体から魔力が完全に枯渇していたにもかかわらず、貯蔵室を満たしていた清浄な魔力が、古代の傘の骨を経由して、アークの身体へ急激に流れ込み始めた。
「これは……魔力が、戻ってくる!」
それは枯渇していた魔力の回復ではなかった。彼の身体が、周囲の魔力を『吸収』し、一時的に外部魔力に対する増幅と耐性を獲得した感覚だ。
リセルは安堵の息を漏らした。「成功よ!古代の術師が残した増幅装置が、貴方の『誘引』能力を『吸収』へと進化させた!」
しかし、喜びは一瞬で終わった。貯蔵室の扉を覆っていた黒ずんだ魔力の靄が、突然、巨大な『手』の形を形成し、扉を内側から叩き破ろうとしたのだ。
**ドゴオオオオォォン!**
扉が半分崩壊し、霧の王の膨大な魔力と圧力が、貯蔵室へ直接流れ込んできた。
リセルは即座に臨戦態勢に入り、崩壊した扉の隙間から侵入してきた黒い魔力の触手に、牽制の魔弾を放つ。
「アーク!すぐにここを出るわ!この塔の頂上へ向かうの!王が全身で侵入する前に、貴方の新しい力で、封印術式を再構築しなければならない!」
アークは、青い光を放つ傘の骨が組み込まれた自分の傘を、初めて自信を持って握りしめた。しかし、王の魔力が流れ込む中、彼の頭に、再び古代の術師の声が響く。
**『——呑み込ませ、その力を、貴方の器へと固定せよ。さもなくば、器は……』**
メッセージは再び途切れた。アークは、新しい力と引き換えに、何か決定的な危険を負ったことを直感的に理解したが、立ち止まっている暇はない。
「リセルさん!行きます!」
アークとリセルが貯蔵室を飛び出した瞬間、彼らの背後で、完全に崩壊した扉の奥から、冷たい光を放つ巨大な『眼』が、再び彼らの小さな背中に向かって、敵意を固定した。
そして、塔の外からは、怒号とともに、数十に及ぶ強大な雷撃の轟音が、王を破壊せんと襲いかかってきた。二つの巨大な力が、塔の内部と外部から、アークたちを押し潰そうとしている。
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