第二話 黒衣の教官

黒衣の教官 part1

 王都ノルドレーベンのほぼ中心、石畳の大街路が収束する円環に、磨き上げられた白亜の塔がそびえている。


 魔法庁。白光を返す外壁は、晴天の下では硬質な輝きを帯び、曇天の下では淡い乳色に沈む。

 いずれにせよ、この塔を前にすれば人はまず背筋を伸ばす――それが、この王国で魔導師として生きる者のさがだった。


 ネイト・エインズワースもまた、その一人だ。


 最上階の長官室は、王城の謁見の間のような広さこそない。

 だが、一歩足を踏み入れれば、そこが国家の中枢であると否応なく理解させられる空気が漂っていた。


 壁一面の書架は古今東西の魔法理論から魔境の監視報告、古語辞典、魔導具の目録カタログに至るまで、整理という名の秩序で縛り上げられていた。


 高窓から差し込む光は、決して華美ではないが、そこに立つ者の姿を浮かび上がらせる舞台照明のよう。


 過剰な豪奢さはない。だが、長年に渡って積み重ねられた権威と実務の重みが、部屋そのものを荘厳なものにしている。


 大窓からは街並みが箱庭のように見渡せ、風が高所特有の冷たさを運ぶ。


 古木の机上に、羽根ペンの影が細く揺れた。


 机の奥に座すのは、ゼアドリス・ゼノスヴェルト。

 “森羅しんらいただき”と字名あざなされる、カルディア王国魔導師界の頂点に立つ老人だ。


 白く豊かな眉の下に湛えられた双眸は、静かな湖面のように澄み、覗き込めばこちらの内奥を映すのではないか――そんな錯覚を抱かせる。


 実際のところ、彼の“眼”にそんな機能があるわけではない。

 だが、そんな想像を生むほどに静謐で、なおかつ巨大に鍛え上げられた魔力が全身に満ちていた。


 成熟した威厳はあっても、老いの気配は微塵もない。

 大樹を思わせる安定感は、部屋の空気そのものをゆるやかに従わせる。


 魔法庁長官。国家一級魔導師〈十三使徒〉筆頭。魔導師界の誰もが目を上げざるを得ぬ頂。


 その隣に、陽光を抱き込むような青年が立っている。


 クロイツェル・クロナハルト――ゼアドリスと同じく十三使徒に属する、六系統魔法全てを修めた“全色魔導師”だ。


 磨かれた靴先。ゆるやかに指で流す金の前髪。鏡があれば、一呼吸ごとに映り込みを確かめるのではないかと思わせる自信の光。

 立っているだけで己が舞台の中央にいると疑わない気配は、ある種の清々しさすら伴っている。


「よく来たのう」


 ゼアドリスの声は、低くよく通った。

 厚い扉を閉めた後の静けさに、声だけが澄んで落ちる。


「座るがよい」


 促され、ネイトは革張りの椅子に腰を下ろす。

 張りと温度のちょうどいい座面が、余計な緊張を吸い取っていく。


 机上の書類に視線が滑る。

 封蝋の紋、年号、署名。魔法庁が管理する研究資材の貸与台帳、閲覧申請書、許可・不許可の記録。そこに並ぶ印影の列は、妙に生々しい。


 ――あの列の中に、自分の申請がどれだけ弾かれたか。


 考えが、ふっと喉奥で渋みを帯びる。


 国家準一級魔導師。その肩書を得て、まだひと月。


 資格の重みが軽いはずはない。

 だが同時に、国家一級に付随する閲覧権限、予算、研究の自由度――その全てに“準”の一文字が冷や水を差す。


 机の上の紙束が急に厚みを増したように見えるのは、気のせいだろうか。


「おやおや、表情が固いじゃないか」


 軽い声が、景色に別の温度を持ち込む。クロイツェルが片手をひらひらと振った。


「緊張はいらない。ここには敵も審判もいない。いるのは、君の師である僕と、魔導師界の大樹だけだ。安心して、胸を張って、ほどよく僕の美貌に見惚れているといい」


 尊大で、しかしどこか茶目っ気のある声音。

 大仰とも言える身振りが、空気の重みをいくらか散らす。


「はあ……」


 何と返すのが正解か、度々分からなくなる。


 彼の能力や外見が優れていることは疑いの余地もないし、その自信に救われる場面も少なくない。弟子として恩義を覚えないわけでもない。


 けれど、全肯定するのも躊躇われる。調子づかせると鬱陶しいからだ。


「さて」


 ゼアドリスが、羽根ペンを置いた。わずかな音が、話の重心を示す。


「本題に入ろう。お主の国家一級認定について、じゃ」


 背もたれに預けた肩が、わずかに硬直する。

 音もなく、呼吸の深さを一段落とす。


「お主が筆記・面接・実技すべてにおいて規定の到達度を満たしたことは、ここにいる者はみな知るところ。陛下の御前での実演も見事であった……じゃが」


 ゼアドリスは、言葉を切るタイミングを心得ている。落ちる間合いが、不思議と心を静める。


「お主が扱う魔法が“禁術”に類する、という声が消えぬ。魔法庁の中ではもちろん、十三使徒の間でも、の」


 室内の空気が、ひやりと温度を下げたように感じた。

 想定外の話ではない。覚悟もしていた。

 だが、改めて言葉にされれば、胸中の小骨に触れられた気がする。


 混沌――その単語は、いつだって何かをざらつかせる。


「無論、わしはお主の学究の才を買っておる」


 ゼアドリスの声音は、断じる強さを含んだ。


「才は、伸ばしてこそ才じゃ。曲げてはならぬ素質というものが、人にはある……じゃが、職掌は職掌。王国における“国家一級”という札は、ただ術の巧拙だけでは決まらぬ。世の眼、役目、責任。それらを納得させるだけの物語が要る」


 物語――


 思わず、机の木目に視線が吸い寄せられる。

 世界を動かすのは、理屈だけではない。道理と名目。前者を愛し、後者を少しだけ厄介だと思う自分に、苦笑の気配が喉の奥で丸まった。


「いいかい?」


 クロイツェルが、横から身を折る。金の髪が肩で柔らかく弾む。


「君は充分に優秀だ。僕の弟子である以前に、一人の魔導師として、ね。だが、世界には“見え方”というものがある。君の研究は……まあ、世間の耳障りにとって、あまり可憐とは言えない。だから、納得させてあげればいいんだ。君は危険じゃないと。君は王国に益をもたらすと。君には実際、その力がある」


 それは分かっている。分かった上で、研究の扉を日々叩いている。

 扉の向こうにあるものを知りたい、その衝動が、渇きが、いつか誰かを救うかもしれないと信じているからだ。


「つまるところ、だ」


 クロイツェルが指を鳴らす仕草は、舞台人のそれに似ていた。


「世間が手を叩く舞台に、一度は立とう。正面から、ね」


 ゼアドリスが頷く。ゆるやかに。


「故に――お主には、一つ追加試験を課す」


「追加試験、ですか?」


 その言い回しが、室内の空気に静かな波紋を広げた。

 自分の耳の奥で、鼓動が一つ重たく打つ。


 ペン先で紙を押し破るような不快感ではない。けれど、乾いた喉に一滴の冷水を垂らされたような、予感めいた冷たさが走る。


「心配には及ばないよ」


 クロイツェルが、あっけらかんと言ってみせる。


「君なら軽い。僕が保証する。保証状に僕の名が載ることの価値は、分かるだろう?」


 そう言って胸を張る姿は、滑稽に見えなくもないのに、不思議と頼もしい。

 複雑な気分だ――その複雑さを、今は表情に上げないようにする。


「……内容を、うかがいます」


 声はできるだけ均して、余計な色を落とした。


 ゼアドリスは、机の引き出しから厚みのある封筒を取り出し、正面へと押しやった。

 封蝋には、魔法庁の紋章。熱が去ったばかりの蝋と、紙の匂いが微かに香る。


「エルファンド魔導女学院」


 長官の口からその名が落ちたとき、外窓の向こう、遠い尖塔が一瞬明るさを増した気がする。朝の光がわずかに角度を変えたのだろう。


「そこに、とある小隊がある。〈チーム・アスタロト〉……学年末目前じゃが、このままでは落第確実とのこと。お主には、彼女らの指導を任せる。進級させてみせよ。それがお主への試験となる」


 封筒の中身――書類の束が、わずかな重みを持って手の平に収まる。紙縁が指先に触れる微かなざらつきが、現実味を与えた。

 写真付きの表紙に記された三つの名。年齢、専攻、家名、評価。


 《魔力測定:A+》


 《白兵戦技能評価:A》


 《領域魔法の名門、ブリストル伯爵家の長女》


 目を滑らせるうち、眉間に自然と皺が寄っていく――どうしてこれほどの評価と血筋が並びながら、落第候補の欄に括られているのか。


 こちらの怪訝が伝わったのか、ゼアドリスは首をわずかに振り、「お主の目で確かめよ」とだけ告げた。


「学院側でも頭を悩ませておる。努力を重ねても進展せぬ。才はあれど噛み合わぬ。そういう者もいるものじゃ」


 噛み合わない。なるほど、そういうことか――


「……追加試験、承りました」


 言葉は短く、芯を持たせた。


 研究室の扉は、またしばらく遠のく。

 だが、これは回り道ではない。目的に至るための迂回であるなら、いくらでも歩ける。


 クロイツェルが、満足げに頷く。


「なあに、さっきも言った通り、君なら軽い任務だ。だから、ここで少し遊んでくるといい。研究ばかりでは目も曇る。学院で美しい花々を見れば、気持ちも晴れるだろう?」


 その物言いに、ゼアドリスが鋭く横目を寄越す。


「遊びで務まるものではないぞ、クロイツェル」


「分かっていますよ」


 と、彼は肩を竦める。


「けれど、この子が教鞭を執る姿を想像すると、つい――ね」


「……?」


 意味深長な口ぶりに首を傾げる。

 何か嫌な予感がする。どこか、仕掛けが用意されているような――


 クロイツェルの態度に溜め息をつきつつ、ゼアドリスは重ねた指をほどき、肘掛けに軽く触れた。

 そこに置かれた手の甲には、長年の鍛錬を物語る細い傷が流星のように刻まれている。

 老いではない。積み重ねだ。


「では次に、細目を伝える。ただしその前に――」


 言葉が、わずかに沈む。長官室の空気が、一段と静かになった。外の風が窓硝子を撫で、微かに鳴らす。


「任務にあたり、お主には一つ条件が課される」


 クロイツェルが、そこで改めて口角を大きく吊り上げた。

 悪戯を隠し切れない、少年めいた笑み。


 彼がこういう顔をする時、たいてい面倒なことが起きる。

 まだ一年程度の付き合いだが、経験則は外れが少ない。


 ゼアドリスは、少しだけ目を伏せ、言いにくそうに一度だけつばを飲み込んだ。


「…………」


 ネイトは机に置いた封筒の縁を、無意識に撫でた。紙のざらつきが、妙に鮮明に皮膚に伝わる。


「その条件というのが――」


 ゼアドリスが重く言葉を落とす。

 その内容を耳にした瞬間、反射的に声が裏返った。


「はああああああぁぁぁぁ!?」


 長官室の天井に、驚愕が高く響き渡った。

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