44.奴隷か、メイドか

地下水路で凛太郎が氷を溶かしている間に、

彼女は自分が仕えている屋敷に戻っていた。


「ふーん、ワギトがしくじったか。

珍しいこともあるもんだね。」


場所はテートンの北にある貴族屋敷。

窓の外に視線をやりながら

グラスを片手に報告を聞くと、

ラルイーゼは彼女に向き直る。


「けど、まさか殺すとは思わなかったよ。

しかも僕に命令される前にさ。

ミスを犯した者に罰を下すなんてことは

君は世界で二番目に嫌いなはずなのに。

ね?殺戮の氷メイド、ムーン。」


ラルイーゼが向き直った先にいたのは、

地下水路で凛太郎を負かした彼女だ。

ムーンと呼ばれたメイド姿の彼女は

ラルイーゼに視線を向けられると、

赤い絨毯に立ったまま少し目を逸らす。

殺戮の氷メイドだなんて大層な二つ名をつけて

意図的に流行らせたのは、

目の前にいるラルイーゼだった。

彼の貴族としての権力と影響力は

この街で最も大きいと言われているが、

それ故に逆らう者などいない。


「……必要だと思いましたので、

ご主人様を煩わせる前に

私の判断で処理致しました。」


ムーンはラルイーゼに逆らえない。

それは契約であり、呪いだ。

彼女の首に嵌められたチョーカーには

専用の魔法陣が組み込まれており、

彼からの命令や指示を

彼女が断ることはできない。

メイド服を着てはいるものの、

扱いはほとんど奴隷だった。

そして、彼女がワギトたちを殺したのは、

それが彼らとって最も楽に死ぬ方法だったからだ。

もしも仕事を失敗した分際で

生きていようものなら、

後でラルイーゼの手下に捕まって

酷い死に方をすることになっていた。


「ふーん、そうなんだ。

まぁ、ワギトのことはどうでもいいや。

そんなことより派手に戦ったみたいだけど、

一体どこの誰と戦ったの?

君の服に傷をつけるなんて、

どう考えても普通の人間じゃないよね。」


ラルイーゼに言われるまで、

ムーン自身も気づかなかった。

メイド服のスカートの端に

小さな切り込みが入っている。

普段から裏の仕事として

ラルイーゼが気に入らない者や

ラルイーゼの障害になる者を

処理しているムーンであるが、

今日彼女が戦ったのは木瀬凛太郎ただ一人だ。

ワギトたちを殺したのは

あくまでも片手間のこと。

自然と脳裏に彼のことが過ぎるが、

彼女は凛太郎の名前を聞いていなかった。

しかしまさか彼の刃が届いていたなんて、

服を少し切った程度とはいえ、

彼を甘く見過ぎていたかもしれない。


「名前は存じませんが、

冒険者をしている旅の者でした。

その場には偶然居合わせただけだと

言っておりましたが、

先に攻撃を仕掛けて来られましたので

氷漬けにして殺しておきました。」


ムーンの言葉に嘘はない。

実際名前は知らないし、

先に手を出してきたのは凛太郎だ。

確実に即死させることさえしていないものの、

氷漬けにされては普通の人間なら

次第に体温が下がって死に至る。

しかし、凛太郎のことを思い出すと

彼女の胸が少しだけ熱くなる。

結果的には勝利したとはいえ、

そう遠くないうちに彼の刃は彼女に届くだろう。

もしその時がやってきたら、

今度こそ彼女は自由になれるかもしれない。

だから彼女は氷漬けになった彼が

生きていることに期待していた。


「冒険者か…最近増えたね。

僕の商売の邪魔をしてくるし、

使い捨ての寄せ集めみたいな連中が

いつ裏切るとも限らない。

何か対策を考えておかないと、

そのうち僕のことを嗅ぎつけるかもしれない。

そうなったら何もかもご破算だ。」


ラルイーゼは再び窓の外を見る。

彼の瞳に何が映り、何を見据えているのか。

きっとろくでもないことだろうが、

ムーンは決してそれを口に出さない。


「ムーン、今日のオークションには

君が監視役として行きなさい。

もし侵入者がいたら抹殺して、

逃げ出す者は必ず捕らえなさい。」


ラルイーゼから出た命令は絶対だ。

意図的に無視することはできない。


「…承りました。」


彼女は深々と頭を下げて部屋を後にする。

そしてこの後、オークション会場の裏で

凛太郎と再び戦って敗れることになるのだが、

この時の彼女には想像もできなかった。


――――――――――――――――――――――


例えば台風の強い風が吹き荒れる中、

除夜の鐘を鳴らしたような音。

例えば荒れ狂う波の中、

海を嘆くクジラの鳴き声のような音。

実際にそれらのような音を

聞いたことはないが、

凛太郎の記憶の中からは

そのような表現しか出てこなかった。

つまりは今まで聞いたことのない

恐怖と絶望を感じさせる音ということだ。

彼女の放つトゲのついた氷球は

まさに恐怖心と絶望を呼び起こす。

うっかりしていると

本当に最期になってしまいそうだ。


「反撃の暇がないな……!」


ラルイーゼからムーンに出た命令は、

侵入者の抹殺と逃亡者の確保。

しかし、こちら側に戦える者が

凛太郎しかいないことが分かっているのか、

彼女が後ろを警戒する様子はない。

ただ純粋にひたすらに、

凛太郎を殺すことだけを考えているようだった。

氷の刃と地面から生える氷の柱だけでも

十分に脅威だったのだが、

こうして氷球だけの攻撃になると

より油断を許さない。

どうにか反撃の隙を見つけたいが、

神速と身体強化を同時に使うには

数瞬の猶予が必要だ。

しかし、彼女の猛攻の中で

そんな時間を見つけるのは困難だ。


「一度でも私を倒したのですから、

この程度で終わらないでください。

私を再び、あなた様の手で倒してください。」


勝負を楽しんでいるのか、

それとも他の何かを望んでいるのか、

ムーンの言葉には願望めいた何かがあった。

それは彼女の意志そのもので、

心からの願いだと感じた。

しかし、言葉と行動が釣り合っていない。

言葉では何かを望んでおきながら、

攻撃の手を一切緩めない。

少しでも凛太郎が油断すれば、

その瞬間に全身がバラバラにされる。

だがもう少し、もう少しだけ頑張れば、

凛太郎にも勝機はある。

いくら彼女の魔法が強くても、

魔力が尽きてしまえば意味がない。

彼女の魔力が尽きたその時、

凛太郎の刃は彼女に今度こそ届く。

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