異世界セラピー~車椅子の僕、妹を二度と死なせはしない~

大夜龍

第1話 夢の中の一歩(ゆめのなかのいっぽ)

「異世界ものは、いつも華々しい死から始まる。


俺のは、枕に向かっての一息だった。」


携帯の明かりが消えた。窓から差し込む淡い月の光だけが残った。蓮は携帯を横に置き、息を吐いた。ベッドに沈み込むように体を預けた。


また一つのエピソード、また一つの物語、また一つ、ただ観客として見るだけの世界。


「ファンタジー……」


彼は指で空中に見えない線を描きながら、つぶやいた。


そのジャンルが好きだった。夢中で読んだ。


魔法のある世界、伝説の剣、全てを救う運命の英雄……


しかし最近は、エンディングが流れると、胸の中の何かも消えていくようだった。


「みんな同じだ。死んで、チート能力で転生する。想像力はこんなものか?」


彼は乾いた笑いを漏らした。死んで逃げたいわけではない。


ただ、そこにいたかった。たとえ一瞬でも。


「もし神様が俺を転生させてくれるなら……」


半分冗談で言った。


「ただ、もう一度歩きたい。」


風が吹き、カーテンが揺れた。蓮は目を開けた。


もう、自分の部屋にはいなかった。


目の前には深い青の空が広がり、綿のような雲と新鮮な草の香りのする丘があった。


空気が少し……違った。澄んで、生きているようだった。


「これは……夢?」


しかし、一歩踏み出そうとした瞬間、景色は煙のように溶けた。


エアコンがブーンと鳴っていた。再び、自分のアパート、いつもの天井の染みが見えた。


蓮はため息をついた。


ベッドのそばには車椅子が待っていた。角の一部が剥がれた「進撃の巨人」の古いステッカーが貼られている。


少しの力で体を滑らせ、座った。


車輪のきしむ音が日常のBGMだった。


ルーティンは続いた。


温め直した弁当。


テレビは消した。


静寂。


電子レンジの反射に映る腫れた自分の目は、希望がどう見えるか忘れてしまった人のようだった。


「また、あの場所の夢を見られるだろうか……」


携帯が振動した。


[大樹]:起きて待たなくていい。遅れる。


[理学療法士光]:セッション中止(三回連続)。


蓮は画面をロックした。


壁紙のルーデウス・グレイラットが、彼の手の届かない地平に向かって歩いていた。


ライトを消した。


寝る前に、自分の太ももをつねった。


何も起こらなかった。火花ひとつも。


「願わくば、あの夢がまだそこにありますように……」とつぶやいた。


足が地面に触れた。


裸足で。


生きていた。


青い空が再び迎えてくれ、風のざわめきが髪を撫でた。


立っていた。本当に。立って。


目の前には村が広がっていた。藁葺きの屋根、土の道、人々の笑い声。


籠を持った女性が通り過ぎ、知っているかのように微笑んだ。


「これは……現実?」


叫び声が空気を引き裂いた。


空は暗くなり、炎が家々を飲み込んだ。


グロテスクな生き物――赤い目でねじれた皮膚の狼――が通りに現れた。


継ぎ接ぎの服を着た女性が、少女を樽の方へ押しやった。


「走って!外に出ちゃダメ!」


叫んだが、その前に獣に倒されてしまった。


蓮は立ちすくんだ。


怪物の咆哮、血の匂い……すべてがあまりにも現実的だった。


自分の足を見る。


動いている。動いている。


「これ、本当に起きている……」


少女は樽の間で泣いていた。


狼が匂いを嗅ぎながら近づく。


蓮は走ろうとしたが、膝をついてしまった。


痛みは肉体的なものではなかった。


動けなかった年月の重さだった。


四つん這いで進む。


一、二、三メートル。


木の棒が近くに落ちた。拾い、杖として使った。


「行け……動け……動け!」


一歩ごとに、脚は長い眠りから覚めるように痛んだ。


少女のところに着くと、涙で濡れた顔を上げた。


一瞬、別の少女――そっくりな――が見えたが、時間はなかった。


「大丈夫、私と一緒に来て」


腕を取りながら言った。


咆哮が戻ってきた、さらに近くで。蓮は周囲を見回し、家と家の間の隙間を見つけた。


「こちらだ!早く、入れ!」


少女は滑り込み、蓮も続いた……


しかし、体重で枝が軋んだ。


ゴブリンが頭を向ける。黄色い目が暗闇で光った。


蓮は唾を飲み込む。


棒を握りしめる。


少女に静かにするよう合図した。


怪物が一歩、そしてもう一歩。


棍棒は土と血を引きずる。


「今しかない……」とつぶやいた。


全力で跳んだ。


そして、杖が振り下ろされようとした瞬間、世界は消えた。


蓮は目を開けた。


ベッドの上だった。


杖は消えていた。

しかし、握った拳は震えたままだった。

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