君は嘘をついた(前編)

 翌朝、私は胸の奥が重く張りつめているような感覚で目を覚ました。

 昨夜のアリスさんの言葉——“狙われている”という現実は、まだ身体のどこかで鈍く響いていた。


 けれど、アリスさんはすでに身支度を整え、窓際の光を浴びながら本を読んでいた。いつもの落ち着いた表情……その静けさに、不思議と心が少しだけ安定する。


「おはよう、キャロル。昨夜は脅かすような事を言ってすまなかった。私が言うのも何だが気にするな」


「……大丈夫です。ただ……そうなんだ、危ないんだ。って思ったら……ごめんなさい。しっかりしなきゃ、って思うけど」


「大丈夫だ。君は間違っていない。恐れを認めるのもまた勇気だよ。キャロル、確かに影は常に揺らぐ……だが忘れるな、君には私が居る」


 柔らかな声。でも言葉の奥には、鋼のような芯がある。

 アリスさんの言葉を聞いていると、本当に大丈夫なのかもしれない、と思えて笑顔になる。

 私を見て、アリスさんも本を閉じて優しく微笑んだ。


「そうだ、それでいい」


 そう言うと、アリスさんは腰につけているなめし皮の小さなポーチから赤い小さな粒を一粒取り出すと、口に含んでお水で飲み込んだ。


「あの……アリスさん? それって……」


「ああ、気にしなくていい。栄養剤みたいなものだ」


 栄養剤……夕食もあんなにちゃんと食べてたのに……

 ちょっと引っかかるものは感じたけど、近くのテーブルの女子たちの「今日、いきなり魔力の確認だって」と言う言葉にドキッとして、その小さな疑問は消え去った。


 魔力の確認。

 私たちそれぞれの魔力を見てもらい、先生がその質を判断する……


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 私たちは宿舎を出て、朝の学園へ向かった。塔の上階から響いてくる魔力の振動? 波動? なんとも言えないけど皮膚を震わせる「何か」が、まるで生き物の息遣いのように伝わる。

 すれ違う生徒たちの表情は緊張で固く、ざわざわと初授業の空気が校舎全体に満ちていた。


(いよいよ……始まるんだ)


 そう思った瞬間、廊下の向こうでセロとハンスが小さく手を振ってくる。

 その日常の気配に、ほんの少しだけ張り詰めた気持ちがほどけた気がした。


「おはよう。セロ、ハンス」


 私の声にセロは爽やかに微笑みかけてくれる。


「おはよう。キャロル、アリス。二人とも昨日は休めた?」


「うん、バッチリ」


「お陰さまで。ここのウイスキーは上質だから、いい寝酒になったよ」


「は!? お前、初日からいきなり酒とか飲んでんのかよ。ってか、ガキのくせに普通に寝酒とか言ってんじゃねえよ」


「ハンス。年齢とは時間の単位の一つに過ぎない。君もよい魔導師になりたいなら、目に映るものだけに惑わされぬ事だ。魔術とは現象の本質を制御することだからな」


 アリスの言葉にハンスは苦虫を噛み潰したような表情になると、セロをジロッと見た。


「あのさ……なんでそんな面白そうな顔してるわけ?」


 噴き出しそうな顔をしていたセロは、慌てて真面目な表情を作った。


「すまん。ただ……まるで先生と生徒だな、と思ってさ……いや、ごめん」


「おい!」


 そう言いながら、ハンスはセロの頭を掴んで軽く揺さぶった。


「まあまあ。私もそうは言ったがハンス、君の事は尊敬してるんだよ。君の入学試験の成績は5位。全入学者数152名の中だからな。素晴らしい才能だ」


 急に褒められたせいか、ハンスはギョッとした表情で目をキョロキョロさせた。


「いや……ペーパーテスト……だけだっつうの」


「だが上位だ。適正な基準で作られた試験に正しく臨んで得た成果だろ? ハンス・ゴア。これも何かの縁。ぜひ今後ともよろしく」


 そう言いながら丁寧に頭を上げるアリスに、ハンスは顔を赤くしてボソッとつぶやく。


「まあ……よろしく」


 セロも嬉しそうに微笑むと頭を深々と下げる。

 アリスさん……本当に凄い人だな。


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 学園の訓練棟「黒の塔」の中にある第一演習室。

 そこは入学式を行った講堂の三分の一ほどの広さで、中央に金色の鈍い光を放つ大きな魔方陣が描かれていた。

 その魔方陣は私たちの魔力の反応しているのだろうか、その淡い光が不規則に揺れている。


 天井には黒っぽい鉄の梁がむき出しになり、そこに魔力吸収装置である大きな逆三角形の石が付けられている。

 通称「黒食い」


 なぜただの設備にそんな通称が付けられているのか、と言うとこの「黒食い」が発動する時は生徒の魔力が暴走した時。

 つまり「大きな失敗をした時」

 それは、この学園での生き残りに多大な失点となり、ほとんどの場合……卒業の夢を断たれる。


 夢を食われる。

 その意味でこんなありがたくない通称となっていると、案内してくれた職員さんが教えてくれた。

 だけど、過去にこの装置が発動したのは二回だけだと言うことだ。

 ほぼ全ての生徒がそれを発動させるだけの魔力など発揮できないからだ。


 そんな黒食いを見上げながらストラド先生は、満足げに頷いた。


「さて、では最初の授業を始めよう。とは言え、心配するな。最初はリラックスしてもらう時間だ」


 そう言うとストラド先生は魔方陣に歩み寄ると、右手をかざして小声で何かの呪文をつぶやく。

 すると魔方陣が激しく震え、地鳴りのような音と共に魔方陣から何本もの稲妻のように見える物が飛び出してきた。


 凄い……

 ポカンとする私たちに向かって先生は事も無げに言った。


「これが私の魔力だ。個々の適性によって魔方陣から出てくるエネルギーは異なる。今から君らの魔力を見せてもらう。一人づつ魔方陣の前に立ち、魔力発動の詠唱を行え」


 私たちは騒然となった。

 魔力の発動……

 確かに、入学希望者はこの学園に入る前に魔術訓練のための私塾で、自分の魔力を形にした。

 そうでないと実技試験には合格できないから。


 でも、それは魔方陣など使用しない掌に出す程度。

 増幅した魔力を出したり制御するのは、あくまでも書物で学んだだけで実際には行っていない。

 こんな魔力増幅の魔方陣を前に……危険すぎる。

 私たちは暴走した魔力の制御など出来ない。


「大丈夫だ。私も見ているし……そのために『黒食い』がある」


 そう言うとストラド先生はニヤリと笑った。


「集中だ。魔方陣の中心にのみ置く様にしろ。後は自分の手足の一部のように。では一番のセロ・オルガからだ」


「はい」


 セロは突然の指名にも動じる事無く落ち着いた様子で前に進む。

 そして……詠唱を始めた。


「我が内なるものよ。内と外の声を聞き、そのあるべき姿を……示せ」


 次の瞬間。

 魔方陣の中央から何本もの稲妻が現れ、それは天井の梁の近くまで力強く伸びると、黒食いの手前で停止した。


 す、凄い……


 私はポカンと見ていた。

 ストラド先生ほどではないけど、それでも素晴らしい稲妻だった。

 先生は小さく頷くと、ポツリと言った。


「よし、充分だ。私と同じ魔力とは面白い奴だな。そして……お前には覚悟がある。必要であれば私をも食い尽くすような……」


 そう言うとストラド先生はセロの目を見て意地悪く笑った。


「俺にはそんな大それた思いなどありません。ただの魔導師志望です」


 セロはそう言って微笑みながら頭を下げたけど……一瞬、目の奥に暗い光が見えたように感じた。


 それからみんなが順番に魔力を魔方陣から出した。

 黒食いの出番は無かった。

 ほとんどの生徒がそもそも自分の背丈程度の魔力を出すことで一杯一杯だったのだ。

 その中でも、植物のつるを無数に出して天井まで半分の距離へ伸ばしたハンスは健闘している方だった。


「ハンス・ゴア。お前は探知と能力増幅か。珍しい形だ。実に面白い。そっち方面の魔法の習得に向かうつもりか?」


「……どうでしょうね」


 ハンスはなぜかブスっとした表情で小さく頭を下げる。


 それからさらに進み……私の番になった。


「キャロル・ラーセン。出ろ」


「は……はい」


 私はおずおずと魔方陣の前に立った。

 落ち着いて……大丈夫……


 私は震える両手を持ち上げると詠唱を始めた。


「我が内なる……ものよ。内と外の声を聞き……そのあるべき姿を示せ」


 すると……

 室内に小さな失笑が漏れた。


 私の詠唱に呼応して魔方陣の中央から出てきたのは水流……だったが、それはまるで噴水を多少強めた程度で、自分の背丈どころか際立って小柄なアリスさんの半分にも満たない。


 ああ……

 私はストラド先生からの嘲笑、または激しい叱責を覚悟していたが、なぜか先生はなにも言わず水流と私に交互に目をやると無表情で言った。


「次。レオイル・スタン」


「はい」


 そう言って私の横を通った長髪で痩せ気味の男性は、すれ違いざまに私に向かって「どんまい。後でレッスンしてあげるよ」と言いながら、私の頭をポンポンと叩きながらウインクした。


 へ……へええ!?


 いきなりの馴れ馴れしい振る舞いに、思わず睨もうとしたがレオイルと呼ばれた男性は、すでに魔方陣の前に立っていた。


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 その後、座学を二時間行い今日の全授業は終わった。


 このリグリア王立魔法学校の講義は、午前か午後の半日で終わる。

 魔力の使用には多大な集中力と体力を要するため、との事だった。


 そのため残りの半日は自由時間となる。

 学校の敷地内から出なければ、そして職員棟や運営設備を管理する以外には内部が秘匿扱いとなっている「白の塔」への立ち入り以外はどこで何をしても自由だ。


 みんな過ごし方はバラバラで、遊戯施設で遊ぶ者やラウンジでお酒を飲む者。

 または宿舎の練習室で鍛錬を行う者。

 仲の良いグループで敷地内のカフェや商店街、本屋さんへ出かける者。


 セロとハンスは男子棟で訓練とサウナに入るらしい。

 私は……どうしようか。

 そう思いながら、ぼんやりと敷地内の見取り図を眺めていると、頬に急に冷たいものが当たった。


「ひゃああ!?」


 驚いて振り向くと、両手にグラスを持ったアリスさんがニコニコとしながら立っていた。


「初日の授業、お疲れ様。エールでもどうかな? そこの屋台で買って来た。良く冷えているよ。ここはどこでもお酒が飲めるから素晴らしい」


「……どうも」


 私はエールを受け取ると、一口飲んだけど妙な味がして顔をしかめた。


「ふむ、君には合わなかったようだね。……所で今から何か予定はあるかな?」


「え? ……いえ、特には」


「そうか。では、さっきの第一演習室に付き合ってくれないか?」


「……はい……いいですけど」


 私はアリスさんの後について、第一演習室に入った。

 そこにはもう魔方陣は書かれておらず、石畳があるだけで室内も静まり返っている。


 アリスさんは無言で中央に歩み寄ると、チョークを出してなれた手つきで床に魔方陣を書き始める。


「へ? アリスさん……また訓練ですか?」


 アリスさんは、さっきの授業ではストラド先生と同じくらいの光の繭のような物を出しており、それは他の生徒たちとほとんど変わらないために先生も何も言わなかった。


 アリスさんは魔方陣を書き終わると、振り向いて私に向かって……言った。


「キャロル。なぜ……嘘をついた?」

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