アリス・ソレア(後編)

 八年ぶりに現れたアリスさん。

 当時の年齢不詳な美人さんから、全く別人のような姿での登場。

 そして、にわかに受け入れがたい言葉。

 それらに対し、私の頭は軽く混乱していた。


「まあ、いきなりこんな奔流のごとき情報量で、受け入れろというほうが酷ではあるな。大丈夫だ。君が意識する事は二つ『自分は狙われる立場かも知れない』と『私が味方である』と言う事。今はそれだけでいい」


 アリスさんは微笑みながら静かにそう言ったが、その二つが一番混乱してるのに……


「あの、アリスさん。私を狙う存在って……まさか……」


「ふむ、キャロル。話は一旦ここまでだ。そろそろ教室に戻ろう。続きはまた夜に」


 そう言うと、アリスさんはスタスタと教室に向かったので、私も慌てて後を追う。

 段々に配置された席に座ると、先ほどのバタバタの中では分からなかった教室内の雰囲気が、強い圧となってかぶさってくるようだった。


 天井はまるで礼拝堂のように高く、アーチ上になった梁には古い魔術符が刻まれて淡い金色の輝きを放っている。

 さらに天井には魔術によって作られた光の球が浮かんでいたが、それは見惚れるような完璧に美しい球体となっており、私たちの机に影が出来ないよう計算されつくした位置に配置されていた。


 そして、机の側面には生徒が魔力を不用意に暴発させないための措置だろう、両側に防護刻印が彫り込まれている。

 防護刻印は机だけではなく、見ると教室の隅にも彫られていた。


 まるで美術館の中に居るような荘厳な空間。

 だけど、部屋の主を選別するようにも感じる冷ややかな美。


 その空間に私は気を抜くと飲まれてしまいそうだった。

 こんなところで……五年間。


 心細くなり下を向いていると、背中にコツンと小さい紙の玉が当たった。

 ハッと後ろの席を見上げるとそこにはアリスさんが座っており、私を見てニンマリと微笑んでいた。

 そして、アリスさんが投げた紙の球を広げると

「勇気とは、恐れを感じない事ではない。恐れながら前に進むことだ」

 と書かれていた。


 アリスさん……


 私はその文章を見ていると、不思議と勇気が湧いてきた。

 前に……

 視線を上げると、最前列の中心には主席だからだろうか、セロが座っていてその後ろの段にはハンスが居た。

 ふむ、あの毒舌メガネ君、言うだけはあるじゃないの……


 そう。この学校は入学試験の成績順に席が前から後ろになっている。

 そして、定期的に行われる試験の成績でその席順は刻々と変化するらしい。

 そのため、ずっと後列に居る生徒は……


 私は軽く頭を振った。

 勇気だ、キャロル。

 あなたは絶対に……勝ち残るんだ。


 そう思いながら顔を上げようとした時。

 私の耳に教室の扉が、鈍くきしむ音が聞こえた。

 それと共に、教室の空気の重さが変わったような気がした。


 赤いローブを着た黒髪の男性が足音も立てずに入ってくると、そのまま教室の前面に備え付けられた漆黒の巨大な石版の前に立つ。


 痩せ気味で骨ばった顔立ちだけど、目はそれ自体が一つの生命体であるかのように生気に溢れていた。


 この人が……私たちの……


「静粛に。生まれたてのひよこはピイピイうるさくてかなわんな」


 その冷ややかな言葉に室内はしん、と静まり返った。


「よかろう。この歴史ある美しい教室に騒音は不釣合いだからな」


 私は静かだが有無を言わせぬ威圧感のある言い方に気圧されていた。

 だけど、不満を感じる人もいたのだろう。

 教室の隅の方で「いきなりアレかよ……」と囁き声が聞こえた。


 でも、そんな私たちの様子など興味も無い、と言わんばかりに男性は漆黒の石版に右手をかざすと、青色の鈍い光と共に席の一覧と、そこに書かれた私たちの名前が浮かぶ。


「ふむ、全員把握した。これで成長しないひよこは即座に間引く事が出来る。……ちなみに先ほど、隅の方で私の言葉に不満を訴えている者が居たが、そいつも覚えた。私は言われた事を一度で理解しないバカが何より嫌いだ」


 教室の隅の方で息を呑む音が微かに聞こえた。


「さて……では自己紹介と行こうか。私はストラド・ガダニ。君たちのクラスの……担任という所かな? 指導教官が異なる講義も多いが、基本的に私が主で教える事が多くなるだろう。五年間よろし……ああ、すまない。五年後に残っている者は恐らくこの教室の前から数列くらいか。さらにその中からに立つ者が果たして……」


 そう言いながらその目はセロに止まり……次に私の後方に向くと、急に薄い唇をニヤリとゆがめた。


 え?

 私の後ろって……


 そう思っていた私の意識はストラド先生の言葉で、現実に引き戻された。


「諸君。君らはこれからこの場所で魔術を学ぶ。だが……そのと言うのはどんな物か分かっているか?」


 ……へ?

 魔術が?


 私はいきなり言われた言葉の意味を理解しかねていた。

 魔術って……持ち主の魔力をエネルギーに変換し、実際の現象とする。

 こんなの街の本屋に売ってる教科書にさえ載っている事だ。


 みんな同じ事を思ったのだろう。

 教室の中は静かだが、微妙な空気が覆っていた。


 だが、ストラド先生はそれには興味ないと言わんばかりに、ローブから自らの左腕を出した。

 その瞬間、アチコチから息を呑む音が聞こえた。


 ストラド先生の腕は、肘から先が……赤黒く爛れており、手の先は白い骨がのぞいていた。


「これがだ。使い方を誤ると自らを深く傷つける。そして、不可逆的な損害をもたらす。魔術は猛獣だ。お前らはこの五年間で自らの中の猛獣を解き放ち……飼いならしてもらう」


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 ストラド先生との顔合わせの後、入学初日のため私たちは学園スタッフの女性に連れられて校内を一通り見て周り、最後に自分たちの宿舎に入った。


 訓練棟……通称「黒の塔」の近くに、男子棟と女子棟それぞれ別れて建っており、中には二十四時間いつでも利用できる食堂や大浴場以外にも、リビングルームにはチェスボードやビリヤードの台なども置いてあり、隣のラウンジではお酒も飲む事が出来た。

 また、自主練習のための大きな部屋も十部屋あり、空いてさえ居ればこちらも終日いつでも使用できる。


 部屋は二人部屋で、室内は木製のベッド、机と本棚が二台。

 部屋の中心には教室と同じ球形の光の球(こちらはグッと小さいけど)がフワフワと浮かんでいた。

 そして、私はなんという偶然なのか、アリスさんと同室だった。


「ぐ……偶然……ですね。まさか同じ部屋なんて……」


 驚きながら言う私にアリスさんはクスクス笑った。


「キャロル。君がそこまで純粋無垢とはね。いくらなんでもそんな偶然ないだろう?」


「へえ!? じゃあ……でも、そんな事できるんですか! って言うか教室でストラド先生、アリスさん見てましたよね! 一体……どういう」


「すまない。それは今喋るわけには行かないんだ。追々話せる様になるのかも知れないが。……それにしても彼は変わらないな。ああやって脅かすのが好きなんだ。悪趣味極まりないが、君には慣れてもらうしかない」


 そう言うとアリスさんはベッドに腰掛け、ラウンジから持ってきたウイスキーのボトルからグラスに注ぎ、水を同じ量注いだ。


「再会を祝しての乾杯でもどうかな? キャロル」


「あ……でも……私、お酒は飲んだこと……」


「ほう、これはこれは。ではこれが初めてという事だね。自分の適量を把握するのは大事な事だよ」


 う……

 グラスからの匂いが鼻をツン、と刺激する。

 でも、どこか落ち着く香りと言うか……木と蜜の混じったような。


「ほう、キャロル。メープル樽から醸造したウイスキーの香りを嫌がらないとは、いい素質だ。ぜひ一口」


 アリスさんに言われるままに少しだけ舐めるように飲んでみる。

 ……う、舌が……焼けそう……と、思ったがすぐに口全体に甘い香りが広がる。


「あ……美味しい……かも」


 アリスさんは優しく微笑んだ。


「良かった。私はウイスキーに目が無くてね。君とそれを分かち合えるのは嬉しいことだ」


 そう言うと、自分のグラスにも同じようにウイスキーを注いだ。


「では、八年ぶりの再会と……魔法学校初日を迎えた事を祝して」


「乾杯」


 私たちはグラスを少し上に上げると、飲み始めた。

 アルコールが身体に染み渡り、全身の緊張感を心地よくほぐしていくようだった。


 そんな心地良さに浸っていると、アリスさんが私を見ながらぽつりと言った。


「キャロル。この学園では、強者は“守られる側”ではない。言わば餌場に立つ鹿だ」


「……え?」


「君は八年前、“炎のほのおのことわり”に触れた。あの夜の記憶は消えない。あれに惹かれる者は必ずいる。……ここにも、だ」


「ここにも?」


 アリスさんは寝台の方を一度見る。

 誰もいないが、空気が張り詰めるように感じた。


「宿舎に入る前、君の魔力がわずかに震えた。誰かが“探っていた”気配があった。それゆえ私が干渉を断ち切った。……やはり君から目を離すことは出来ないと感じたよ」


 私は息を呑んだ。

 アリスさんの言っていた「狙われている」

 その言葉が実感を持ってのしかかって来るようだった。


「すまない、キャロル。私が……君を巻き込んだ。だから君を守る。そして導こう……私の全てを捧げて」

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