第2話「メイド喫茶、制服に着替えて」
松戸駅のホームには、朝のざわめきが満ちていた。
制服の上にピンクのカーディガンを羽織ったふたばは、軽く息を整える。
頭の中では、何度も練習したセリフを繰り返していた。
「“おかえりなさいませ、ご主人さま♡”……よし、今日も完璧!」
電車が到着し、ドアが開く。
ふたばはバッグを抱きしめ、静かに乗り込んだ。
中には、アイロンの香りがまだ残る“メゾン・ド・ラパン”の制服。
窓の外を眺めながら、ふたばは少しだけ笑った。
畑の朝から、街の午後へ。
その切り替えが、彼女の毎日を特別にしていた。
日暮里駅で乗り換えると、朝の人の波。
リボンを押さえながら、ふたばは小走りで山手線ホームへ向かう。
「日暮里の朝って、いつもお祭りみたいだなぁ……」
電車を待つ間、スマホを取り出してメイド仲間のチャットを見る。
今日も早朝からトークが賑わっていた。
《今日の限定メニュー、苺ラテ出るよ》
《
《ふたばちゃん、早番がんばって〜!》
ふたばは微笑んで返信した。
《うんっ! 今日も笑顔100%でがんばる!》
送信ボタンを押すと同時に、山手線が滑り込んできた。
新宿駅。
人波の勢いに圧倒されながらも、ふたばは迷わず東口へ。
ビルの間を抜けると、ピンクのウサギのロゴが目に入った。
「Maison de Lapin」――今日もその看板が、街の喧騒の中で小さく輝いている。
「今日も、ふたばがんばるよ……!」
裏口のドアを開けると、店内から仲間たちの明るい声が響いてきた。
「おはようございまーすっ!」
「おっ、ふたばちゃん! 今日も元気ね〜!」
「おはようございます! 瑠依先輩、もういらしてますか?」
「奥で準備中〜。今日の限定メニュー、気合い入ってるよ♪」
ふたばはロッカーに荷物を置き、制服に袖を通した。
白いブラウスにピンクのエプロン、胸元の大きなリボン。
鏡をのぞくと、田舎の娘の顔が、少しずつ“お給仕モード”に変わっていく。
「うん、今日も“ふたばスマイル”でいこう!」
ホールでは、先輩たちが開店準備を進めていた。
テーブルを拭き、グラスを磨き、店内に音楽が流れる。
瑠依先輩が静かに声をかけた。
「野菊さん、今日もよろしくね。新メニューがあるから、焦らず丁寧に」
「はいっ! 心をこめてお給仕します!」
「うん。あなたの笑顔は、お店の空気を柔らかくするわ」
「えっ……そ、そんなことないですよ!」
「ふふっ。そういうところがいいの」
瑠依先輩の微笑みに、ふたばの胸が少し熱くなった。
10時。開店ベルが鳴る。
照明が灯り、音楽がふんわりと流れる。
ふたばはドアの方へ歩き、深呼吸をしてから一歩前へ出た。
「――おかえりなさいませ、ご主人様・お嬢様♡
本日も“メゾン・ド・ラパン”へお帰りいただきありがとうございます♪」
柔らかい声が店内に広がる。
お客様が扉をくぐる瞬間、空気が少しだけ華やかになる。
「こちらへどうぞ♡ ごゆっくりおくつろぎくださいませ」
サラリーマンも、カップルも、少し緊張した表情をしていたが、
ふたばの明るい笑顔を見ると、自然に頬がゆるんだ。
昼下がり。
少し落ち着いた頃、ふたばはカウンターの奥でメモ帳を開いた。
「今日笑ってくれたお客様の特徴」をこっそり書き留める。
「黒いスーツの人、帰り際に“ありがとう”って言ってくれたなぁ……」
「野菊さん、またお客様ノート?」
「瑠依先輩! あ、つい……忘れたくなくて」
「ふふ。あなたらしいわ。
でもね、無理して頑張りすぎないで。笑顔は自然が一番」
「はい……! ふたば、ちゃんと楽しみながら頑張りますっ」
瑠依先輩が優しく肩に手を置いた。
「その調子。あなたなら、きっとお店のNo.1になれるわ」
その言葉に、ふたばの胸の奥がじんわりと温まった。
夜。
閉店後の新宿の街は、昼とはまるで違う顔をしている。
ふたばは制服をたたみ、ロッカーにしまうと、窓の外を見つめた。
街の光がまるで星のように瞬いている。
「ねぎ畑の朝と、ラパンの夜。
……どっちもふたばの世界、だよね」
スマホを開いて、家族にメッセージを送る。
《今日もおつかれさま! ご主人様たち、いっぱい笑ってくれたよ♡》
すぐに、母の和葉から返事が届く。
《えらいね。帰ったらお味噌汁あたためるからね》
ふたばは思わず笑って、改札へ向かう足取りを軽くした。
ねぎ畑の朝も、新宿の夜も、どちらも“ふたばの居場所”なのだ。
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