第2章 作戦名:グループ課題


すべては担任の八つの言葉から始まった。


「この課題はペアで行ってもらいます。」


その瞬間、教室は一気に騒然となった。


ダイチが裏切りの笑みを浮かべて俺を見た。

「なあ、絶対あの子、お前を選ぶぞ。」


「選ばないだろ。」俺は言った。「統計的に、このクラスには二十六人いる。」


「いや、選ぶね。」ダイチはニヤリとした。「統計的に、お前は詰んでる。」


そして――


「先生! 私、ミズノト・カズヤくんとペアになります!」


教室中の視線が一斉に俺へと向いた。


俺は目を閉じた。「統計なんて嫌いだ。」



放課後、俺たちは図書室の静かな隅の席に向かい合って座っていた。

机の上には参考書の山。


ハナは鼻歌を歌いながらノートに書き込んでいる。

そのたびに髪がふわりと揺れた。


一方の俺は――課題に集中しようとしていた。

……キーワードは「しようとしていた」だ。


「ねえ、どう思う?」突然ハナが口を開いた。


「……何について?」


「今回のテーマ。『現代のコミュニケーションの影響』ってやつ。」


「皮肉だな。」俺は言った。「お前、コミュニケーション止まらないじゃん。」


ハナは大げさに息をのんだ。

「今の、皮肉?」


「観察だ。」


「皮肉に聞こえるけど?」


「じゃあ効率的な皮肉だな。」


ハナはまた笑った。今度は柔らかく、自然に。

もううるさいとは思わなかった。

ただ……少し、気が散る。


「ねえカズヤ。」しばらくして彼女がペンをトントンと叩きながら言った。

「なんでいつも眠そうなのに、みんなより頭良さそうに聞こえるの?」


「……練習だ。」


彼女は顎に手を当て、じっと俺を見つめた。

「やっぱ変わってるね。」


「よく言われる。」


「……変わってるの、好きだよ。」


一瞬、手が止まった。

そういう意味じゃないって分かってた。


でも……心臓は理解してくれなかった。



その日の夜、ダイチからメッセージが届いた。


【なあ、ハナとグループ課題ってマジ? 恋の進展どうよ?】


俺は返信した。


【恋じゃない。学術的な協力関係だ。】


すぐに返ってきた。


【「学術的な協力関係」ね。もうロマンチックに聞こえるじゃん。】


スマホを置き、ため息をついた。

机の上には今日使ったノート。

その半分は彼女の文字で埋まっていた。雑だけど、明るくて、生きている字。


「不器用」と自分で言うわりに、彼女の周りには不思議と秩序がある。


――だから、もうあの“騒がしさ”も気にならなくなったのかもしれない。

――いや、たぶん、ただ“太陽の音”に慣れてきただけだ。



翌日、空は何の前触れもなく崩れた。


「……最悪。」


さっきまで青かった空が、一瞬で灰色に変わった。


傘? 持ってるわけがない。

いつも通り、油断してた。


校門の下で立ち止まり、雨が中庭を水彩画みたいにぼかしていくのを眺める。


そのとき、後ろから水を跳ねる足音が聞こえた。


「カズヤー!」


振り向くと、ハナ・クロサキがバッグを頭にかざして走ってきた。

即席の傘代わりらしいが、まったく意味をなしていなかった。


彼女は俺の隣で立ち止まり、半分ずぶ濡れのまま息を弾ませて笑った。


「カズヤも傘ないの?」


「雨が降るとは思わなかった。」


「私も。つまり、二人ともバカってことだね。」


彼女は髪をぎゅっと絞った。水滴がコンクリートに散る。


「……靴にかかった。」俺が言うと、


「ごめんね、真面目くん!」と彼女はわざとらしく頬をふくらませて一歩下がった。


しばらく、ただ立っていた。

雨の音が沈黙を満たしていく。一定で、心地よいリズム。


ハナがちらりと俺を見上げた。

「カズヤって、ほんとにあんまり喋らないよね?」


「静かな方が好きなんだ。」


「それ、ちょっと寂しくない?」


「そうでもない。ただ……静かなんだ。」


彼女はふっと笑った。その笑みは柔らかくて、本当に自然だった。

「真顔でそんな“陰キャ”なセリフ言うの、ズルいよ。」


「観察だ。」


「また効率的な皮肉?」


「かもな。」


彼女は笑った。俺は笑わなかったけど、口の端が少し動いた。

……それで十分だろう。


少しして、彼女はしゃがみ込み、指で濡れた地面に小さな線を描いた。


「これって漫画のワンシーンみたいだね。雨に閉じ込められたクラスメイト二人……緊張感、上昇中~!」


「閉じ込められたって言うと危険っぽい。俺たちはただ“待ってる”だけだ。」


「じゃあ、運命を待ってるってことにしよっか。」


「それはもっと悪い。」


彼女はまた笑った。

その笑い声が、雨の音を少しだけ軽くした気がした。


やがて彼女は壁にもたれ、何も言わなくなった。

静寂。聞こえるのは雨と呼吸だけ。


不思議だった。

気まずくなかった。

いつもなら、沈黙は重く感じるのに。

彼女といると、それが“空気”みたいに自然だった。


しばらくして、彼女が小さく言った。

「ねえ……雨って、悪くないね。」


「不便だろ。」


「でもなんか……平和じゃない? 世界がちょっと休んでるみたいで。」


「かもな。」俺は答えた。「多分、俺たちが動くのをやめたから、気づいただけだ。」


彼女は少し驚いたように俺を見て、微笑んだ。

「今の、ちょっと詩的だったね。」


「口が滑っただけだ。」


校門の外を車が通り、水しぶきの音が響く。

たぶん、彼女のバスはもう行ってしまった。


「しばらくここにいるしかないね。」


「俺は構わない。」


彼女の目が少し見開かれ、それからまた笑った。

今度の笑みは小さくて、静かだった。


「私も。」


雨が小降りになるまで、俺たちはそこにいた。

大きな会話も、ドラマチックな音楽もない。


ただ――偶然、同じ時間を分け合っただけの二人だった。



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