第2章 作戦名:グループ課題
すべては担任の八つの言葉から始まった。
「この課題はペアで行ってもらいます。」
その瞬間、教室は一気に騒然となった。
ダイチが裏切りの笑みを浮かべて俺を見た。
「なあ、絶対あの子、お前を選ぶぞ。」
「選ばないだろ。」俺は言った。「統計的に、このクラスには二十六人いる。」
「いや、選ぶね。」ダイチはニヤリとした。「統計的に、お前は詰んでる。」
そして――
「先生! 私、ミズノト・カズヤくんとペアになります!」
教室中の視線が一斉に俺へと向いた。
俺は目を閉じた。「統計なんて嫌いだ。」
◇
放課後、俺たちは図書室の静かな隅の席に向かい合って座っていた。
机の上には参考書の山。
ハナは鼻歌を歌いながらノートに書き込んでいる。
そのたびに髪がふわりと揺れた。
一方の俺は――課題に集中しようとしていた。
……キーワードは「しようとしていた」だ。
「ねえ、どう思う?」突然ハナが口を開いた。
「……何について?」
「今回のテーマ。『現代のコミュニケーションの影響』ってやつ。」
「皮肉だな。」俺は言った。「お前、コミュニケーション止まらないじゃん。」
ハナは大げさに息をのんだ。
「今の、皮肉?」
「観察だ。」
「皮肉に聞こえるけど?」
「じゃあ効率的な皮肉だな。」
ハナはまた笑った。今度は柔らかく、自然に。
もううるさいとは思わなかった。
ただ……少し、気が散る。
「ねえカズヤ。」しばらくして彼女がペンをトントンと叩きながら言った。
「なんでいつも眠そうなのに、みんなより頭良さそうに聞こえるの?」
「……練習だ。」
彼女は顎に手を当て、じっと俺を見つめた。
「やっぱ変わってるね。」
「よく言われる。」
「……変わってるの、好きだよ。」
一瞬、手が止まった。
そういう意味じゃないって分かってた。
でも……心臓は理解してくれなかった。
◇
その日の夜、ダイチからメッセージが届いた。
【なあ、ハナとグループ課題ってマジ? 恋の進展どうよ?】
俺は返信した。
【恋じゃない。学術的な協力関係だ。】
すぐに返ってきた。
【「学術的な協力関係」ね。もうロマンチックに聞こえるじゃん。】
スマホを置き、ため息をついた。
机の上には今日使ったノート。
その半分は彼女の文字で埋まっていた。雑だけど、明るくて、生きている字。
「不器用」と自分で言うわりに、彼女の周りには不思議と秩序がある。
――だから、もうあの“騒がしさ”も気にならなくなったのかもしれない。
――いや、たぶん、ただ“太陽の音”に慣れてきただけだ。
◇
翌日、空は何の前触れもなく崩れた。
「……最悪。」
さっきまで青かった空が、一瞬で灰色に変わった。
傘? 持ってるわけがない。
いつも通り、油断してた。
校門の下で立ち止まり、雨が中庭を水彩画みたいにぼかしていくのを眺める。
そのとき、後ろから水を跳ねる足音が聞こえた。
「カズヤー!」
振り向くと、ハナ・クロサキがバッグを頭にかざして走ってきた。
即席の傘代わりらしいが、まったく意味をなしていなかった。
彼女は俺の隣で立ち止まり、半分ずぶ濡れのまま息を弾ませて笑った。
「カズヤも傘ないの?」
「雨が降るとは思わなかった。」
「私も。つまり、二人ともバカってことだね。」
彼女は髪をぎゅっと絞った。水滴がコンクリートに散る。
「……靴にかかった。」俺が言うと、
「ごめんね、真面目くん!」と彼女はわざとらしく頬をふくらませて一歩下がった。
しばらく、ただ立っていた。
雨の音が沈黙を満たしていく。一定で、心地よいリズム。
ハナがちらりと俺を見上げた。
「カズヤって、ほんとにあんまり喋らないよね?」
「静かな方が好きなんだ。」
「それ、ちょっと寂しくない?」
「そうでもない。ただ……静かなんだ。」
彼女はふっと笑った。その笑みは柔らかくて、本当に自然だった。
「真顔でそんな“陰キャ”なセリフ言うの、ズルいよ。」
「観察だ。」
「また効率的な皮肉?」
「かもな。」
彼女は笑った。俺は笑わなかったけど、口の端が少し動いた。
……それで十分だろう。
少しして、彼女はしゃがみ込み、指で濡れた地面に小さな線を描いた。
「これって漫画のワンシーンみたいだね。雨に閉じ込められたクラスメイト二人……緊張感、上昇中~!」
「閉じ込められたって言うと危険っぽい。俺たちはただ“待ってる”だけだ。」
「じゃあ、運命を待ってるってことにしよっか。」
「それはもっと悪い。」
彼女はまた笑った。
その笑い声が、雨の音を少しだけ軽くした気がした。
やがて彼女は壁にもたれ、何も言わなくなった。
静寂。聞こえるのは雨と呼吸だけ。
不思議だった。
気まずくなかった。
いつもなら、沈黙は重く感じるのに。
彼女といると、それが“空気”みたいに自然だった。
しばらくして、彼女が小さく言った。
「ねえ……雨って、悪くないね。」
「不便だろ。」
「でもなんか……平和じゃない? 世界がちょっと休んでるみたいで。」
「かもな。」俺は答えた。「多分、俺たちが動くのをやめたから、気づいただけだ。」
彼女は少し驚いたように俺を見て、微笑んだ。
「今の、ちょっと詩的だったね。」
「口が滑っただけだ。」
校門の外を車が通り、水しぶきの音が響く。
たぶん、彼女のバスはもう行ってしまった。
「しばらくここにいるしかないね。」
「俺は構わない。」
彼女の目が少し見開かれ、それからまた笑った。
今度の笑みは小さくて、静かだった。
「私も。」
雨が小降りになるまで、俺たちはそこにいた。
大きな会話も、ドラマチックな音楽もない。
ただ――偶然、同じ時間を分け合っただけの二人だった。
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