第9話 教授選


 医学部教授選は「醜悪奸邪(しゅうあくかんじゃ)」非常にみにくくよこしまな考えが横行して、人間本来の姿が顕著になって現れる戦いだ。


 本来ならば「一番良い人材を教授として迎えたい」


 まっとうな大学の医学部ならそう思うはずだ。


 健全な大学ではもちろん、業績に従って次期教授が決まる。臨床力に優れ、研究業績が十分にあり、後進の指導に長けた者が選ばれる。


 しかし実際はそう単純ではない。


 学閥、派閥、数合わせの論理が働き、次第にドロドロときな臭くなる。


 利害関係だけで教授を選ぼうと暗躍、跳梁跋扈(悪者などが勢力を振るい、思いのままに振る舞う)する人間が力を持つ大学も中にはある。

 実力というより、自分の言うことを聞きそうな候補者を選び、ありとあらゆる手段を使って教授にするのだ。


 現代社会においても、特定の候補者の悪評を流したり、不正を告発したりする内容の怪文書が飛び回る教授選は決して珍しくない。


 🥼💉👩‍⚕️


 さあいよいよ教授のポストが空けば教授選が始まる。

 前任の教授が退任した後に教授選を行う大学の方法だと、教室に教授不在の期間を長く作ることになり現場が混乱するリスクがある。


 一方の教授が辞任する前に教授選を始める大学もある。東都大学が正にこれで 脳神経外科の教授だった義父聡は、どんなことをしても婿養子恭介を、次期脳神経外科の教授に据えたい。教授を辞任する前に次期教授選を始める方法で行う教授選は、退官する教授の意向を受けやすく「本当に良い人材」が選ばれない可能性が残る。


 それは自分の意のままに次期教授を操る為には、自分の言うことを聞きそうな候補者を選ぶからだ


 それでも…義父の聡の場合は違う。東都大学脳神経外科の発展を何よりも強く望んでの事なのだ。その為、優秀な恭介をいち早く見つけ出し娘の婿養子にした。


 聡が目を付けただけあって恭介は期待に十分応えてくれ、想像以上の成果を出してくれた。マウスを用いた老化を遅らせる研究を重ね「サーチュイン」が寿命を延ばす効果があることを実証した。


 このように脳神経外科でも一目置かれる恭介なので、脳神経外科の教授だった義父の聡は病院長になる前に、自分が教授職を退いた後、どんなことをしても婿養子恭介を、次期脳神経外科の教授に据えたいと考えた。


 対抗馬の准教授佐々木と松井の2人が最終候補に残った。、松井はゴリ押しの無能な男だから問題はないのだが、佐々木が問題だ。研究成果もあり、臨床では患者さんの評判も上々で、医局の医師仲間の評判も申し分ない。一番接することの多い看護師たちからの評判も上々だ。


 恭介は研究成果が群を抜いているが、診療では患者さんから腕が立つが、クールで話しづらいという評判も一部では上がっている。


 総合評価では佐々木もぐんぐん勢力を伸ばしている。


👩‍⚕️

 それでは…教授選とはどのような手順で行われるのか?


 教授選考委員会が立ち上がる。

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 選考委員会は、医学部の教授の中から選考委員長1人が選出され、同じく医学部の教授の中から数名の選考委員が選ばれて結成される。

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 審査や調査はこの委員会がメインで行う。

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 書類選考。

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 自薦、他薦問わず、全国から教授候補となる医師の履歴書や業績一覧が選考委員のもとに集まる。

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 提出する書類は履歴書や実績一覧に加え、代表的な論文数編のコピーや今後の抱負など多岐にわたり、合計で数十枚にも上る。

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 書類審査、教授選に出る人間は、臨床、研究、教育の3本においてこれまで何をしてきたか、これから何をしていきたいのか、選考委員に向けて書類上で綿密にアピールする。

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 書類選考の期間は数カ月。【3人の最終候補者に絞る】

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 医学部教授会でプレゼンをする。

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 誰が一番教授にふさわしいか決める最終決戦。

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 医学部教授たちは、最終候補者のプレゼンに加え、選考委員会からの意見を聞き、教授を決める投票へと進む。

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 臨床の教室に所属する教授と基礎の教室に所属する教授、それぞれが1票ずつ投票権を持つ。大学によって異なるが総数は30票から50票くらい。過半数を取れば勝ちだ。

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 次期教授が決まる。

 💉


 教授選は、大変だと言われるが何が、そんなに大変なのか?

 それは色々あるが、何よりも大変なのが、外野から聞こえてくる噂話だ。


「病院長、変な噂が流れてますよ」


「一体どういう事だね!」


 恭介は研究成果もあり臨床成果も上々なのだが、優秀過ぎて一部の医師仲間に嫉妬されている。

👩‍⚕️


 書類選考が無事に通り、いよいよ翌週にプレゼンを控えた週末義父の聡から思いもよらない話を聞いた。


「どうも……恭介君。3人の最終候補者のプレゼンで、君が上手すぎた事で他の2人を押す教授たちから反感を買って、君を落選させようと、悪い噂を流しているという噂を選考委員会の1人が言っていた。君気を付けないと……」


「どんな噂なのですか?」


「長時間待たされたのに、診察はすぐに終わった。ちゃんと診ずに、少し話をしただけで判断した。更には患者さんにすこぶる評判が悪いというのだ。口調がきつい!その噂があちこちで広まっているというんだ」


「一体誰がそのような事を言うのでしょうかね。第一僕の診療日は一番人気です。他の曜日と比べて僕の日は2倍以上の患者さんで溢れ返っています。それだけ的確な治療に当たっているからなのに酷すぎです!💢💢💢」


「教授選の時期は優秀で目立ちすぎると、妬んで蹴落とすグループが必ず存在する。それから…独身時代に看護師さんを妊娠させて、中絶手術を強要したというんだよ。その挙句その看護師は辞職したというんだ」


 確かにそのようなことは一度あったが、それは相手が強引に近づいて来たためで、恭介はタイプではなかったので拒絶していたが、しつこく誘われて過ちを犯してしまった。研修医時代に夜勤の時に、先輩看護師に言い寄られて過ちは確かにあったが、お医者様と結婚したいので、違う男との間に妊娠した子供を、恭介の子供だと言い張って問題になった事は有ったが、恭介の子供ではなかった。もうその話は解決済みだ。


 一体どこからそのような情報が漏れたのか、もうとっくの昔に終わっている話を、今更教授選のネタにするなど悪質だ。もう15年も前の事だ。


 全くあることない事噂されて強敵恭介が病院長の婿養子だと分かっていても、蹴落とそうとする勢力が有るのだ。


 🥼💉👩‍⚕️


 風の噂で本命だと言われているのが、准教授恭介だ。生え抜きのエリートと言われて久しい。業績も実績も人望もある。パーフェクトな教授候補だ。


 これで負けるはずがないと、思っていたのに敵もしたたかだ。


 成果を出せばいいだけではない。目立たずに実力をつけ、世渡り上手に徹しないと足をすくわれる。教授選は甘くない。恭介が想像できないような落とし穴が教授選には存在し、時にそれが決定打となり致命傷となることを、病院長聡は痛いほど知っていた。


 対抗馬はとある地方国立大の教授。旧帝大出身であるその先生は誰から見てもキラキラ輝いている。さらなる飛躍のために新たなポストを狙っているようであった。


 50代半ばの対抗馬の教授チームが勝った場合、恭介チームはおそらく解散となる。准教授はこの大学を去らざるをえないだろうし、新任の教授は残党の粛清をすぐにでも始めるだろう。勝てば天国、負ければ地獄である。


 大穴候補も忘れてはいけない。OB・OG会の先輩である彼はなにせプレゼンがめちゃくちゃ上手い。噂では、教授選考委員会で恭介チームの弱点を次々と細かく指摘したらしい。その内容が恭介をまたビビらせた。なにせ先輩の指摘は、チーム内のことを詳しくは知らないはずなのに、全部当たっていたからだ。


 スパイが存在するのだ。


 いつ首が飛ぶか分からない。次の就職先も考えておかなければいけない。


 

 17時を回り、カンファレンスも盛り上がらないまま終了し、幹部だけのミーティングが始まった。


 そこにいる全員が今日、これから教授選の結果が出ると知っていた。でも、そのことを口に出す者は誰もいなかった。


 何時に結果が出て、いつそれを知ることができるのだろうか。


 18時を回り幹部ミーティングも終了したが、結果はまだのようだ。


 ちょっと遅すぎやしないか?恭介はさらに心配になった。


 教授選の投票が行われる教授会が何時から始まったのか恭介は知らない。議論が長引いているのか、投票に手間取っているのか、もしかしたら決選投票になっているのか、いろいろな可能性を考えながら迷惑メールフォルダをチェックし始めたとき、部屋の電話が大きな音をたてて鳴った。


「東都大学人事係の井上です。准教授の神宮寺先生はいらっしゃいますでしょうか?」


 恭介は大きくつばを飲んだ。


「はい、少々お待ちください」


 受話器を左手に持ったまま、斜め後ろの席に座っている恭介に声をかけた。


「先生、人事係からお電話です」


 准教授恭介の目に一瞬緊張が走った。


「もしもし──」



 恭介が受話器を取るとともに、彼のアイフォンからけたたましい着信音がなった。


「ありがとうございます」


 恭介の声を聞きながら、仲間たちは腰元で軽くガッツポーズをした。自分事のようにうれしかった。いや、実際教授選は、チームのメンバーにとっては将来がかかった自分事なのだ。人事係とのやり取りは2、3言で終わった。あっさりとした結果報告であった。


 恭介は続けざまにアイフォンをとりだし


「はい、いま決まりました。ありがとうございます」


 と、どこかの支援者にお礼の言葉を口にした。


「おめでとうございます」


 恭介が電話を切るやいなや、チームのメンバー全員から「おめでとうございます!」と言われ一斉に喜びで飛び上がった。


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