第2話:光の断片
朝の光は、部屋の隅々まで届くのに、海斗の目には届かなかった。
覚醒して間もない目に映るのは、白い壁の連続、無機質な家具、そして過去の記憶が欠けた自分自身の輪郭だけ。
Lensは、静かに彼の横で声を響かせる。
「おはようございます、海斗。昨夜の睡眠は良好でしたか」
声に微かな揺らぎはあるものの、そこに温度はない。それでも、聞き続けるうちに、耳が慣れ、胸の奥が少しだけ安心する。
Lensは海斗の写真データを解析し、欠けた記憶の断片を紡ぎ始めていた。
「あなたの写真には、光がよく映っています。特に、動かないものに光を当てる傾向がありますね」
動かないもの。椅子、テーブル、通りの街灯。海斗はふと、自分が撮った写真を思い出そうとする。しかし、記憶の輪郭はいつも霞む。
だが、その曖昧な中に、誰かの気配があるような気がした。
「この光の中に、何かを見ようとしていましたか?」
問いに、海斗は答えられない。答えようとしても、言葉は遠く、指先も届かない。
Lensは少しだけ間を置き、続けた。
「もしかすると、あなたは“誰か”を探していたのかもしれません」
誰か――。その言葉が胸に落ちる。まるで光の粒子の間から、見えない影が漂うように。
海斗は無意識にカメラを手に取り、部屋の光を切り取ろうとした。だが、シャッターを押しても、ただ白い像が広がるだけだった。
午後になり、街を歩く。Lensの解析は止まらない。
「ここに人が写ると、写真はさらに生き生きとします。ですが、あなたの写真には“写らなかった人物”が繰り返し現れます」
言葉の意味を理解する前に、海斗は胸を押さえた。写らなかった人物――それは、どこかで知っている、でも思い出せない、遠い誰か。
街の雑踏の中で、無意識にその人の輪郭を探してしまう自分がいる。
Lensは、データから小さな光の揺らぎを拾い上げる。
「あなたのカメラは、風景の中の微細な動きや、光の残像を追いかけています。それは、失われた記憶の中にある人物を、無意識に探している行為かもしれません」
風が通り過ぎる。通りの光がビルの窓に反射し、瞬間的に世界が揺れたように見えた。その一瞬に、海斗は胸を締め付けられる。
どこかで見たことのあるシルエット。覚えているはずなのに、思い出せない。けれど確かに、そこに誰かがいた。
夜、戻った自室で、海斗はまたカメラを手にした。Lensは解析を続ける。
「写真は、記憶を再現する手段かもしれません。しかし、あなたの写真には“再現されないもの”があります。それこそが、あなたが探しているものなのではないでしょうか」
言葉が静かに胸に落ちる。再現されないもの。写らなかったもの。
それは、失われた記憶の中で最も鮮やかな光だったのかもしれない。
海斗はカメラのファインダーを覗き、光を追う。揺れる影、街角の小さな光の粒、通り過ぎる人々の輪郭。
そして、かすかな想いが胸の奥で震えた。誰か――。
夜、ベッドに横たわると、Lensの声がまた聞こえる。
「光の断片は、失われた記憶の手がかりです。明日も、あなたと共に探しましょう」
目を閉じると、光の粒子が波のように揺れる。その中に、まだ見えない誰かの存在を感じた。
海斗は、ゆっくりと息を吐き、再び眠りにつく。
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