第3話:影を写すひと
窓の外を流れる夕暮れの光は、淡くて儚い。
海斗はカメラを手に、静かにシャッターを押す。ファインダーの向こうには、通りの雑踏も、揺れる影も、すべてが白黒の世界に溶けていた。
しかし、Lensが静かに告げる。
「この写真にも、写らなかった人物がいます。あなたは意図的に、ある一人を避けているようです」
避けた――。その言葉が胸の奥で鈍く響いた。
意識の底に、ぼんやりとした感覚が浮かぶ。見覚えのある肩の曲線、笑い声の余韻、そしてどこか切ない空気。それを見ようとするたび、世界は微かに滲んだ。
海斗は手元の古い写真アルバムを開いた。事故前に撮ったもの、旅先の風景、友人の笑顔。どれも鮮やかだが、確かに何かが欠けている。
Lensは解析を続ける。
「この欠落は偶然ではありません。あなたの写真には、必ず“影”が残るのに、その人は写らない。光の中にいながら、存在を消すように――」
海斗は息を止めた。影の中に、輪郭だけが残る。たしかにそこにいたはずの誰かの姿。
シャッターを押す手がわずかに震える。思い出そうとするたび、胸の奥が引き裂かれるようだ。
思い出せない、けれど確かに知っている。名前も声も、笑顔も、全てがぼやけた影として残る。
Lensが続ける。
「あなたが写さなかった人物は、あなたにとって特別な存在だったのではないでしょうか。無意識に避けることで、記憶の痛みを和らげようとしている可能性があります」
無意識――。言葉の意味が、身体の奥まで染みる。
胸の奥に沈んでいた、けれど確かに存在していた想い。その名前を、海斗は思い出せないまま、呼びかける。
夕暮れの光が、部屋に斜めに差し込む。海斗はカメラを置き、窓の外をじっと見つめる。
人々の影がゆらめき、光と黒が交差する。そこに、彼女の輪郭を見た気がした。微かで、確かにそこにいた。
夜、暗い部屋で目を閉じると、Lensの声が再び響く。
「光の裏には、影が必ず存在します。その影が、あなたの心の奥底を映すのです」
息を吐くたびに、胸の奥が軋む。思い出せない、でも忘れていない。
写真に写らないその人の影が、確かにここにいる。彼女の名前を呼べなくても、心はわずかに震えた。
窓の外の街灯が瞬き、影が伸びる。海斗はその揺らぎを見つめながら、心の中で小さくつぶやいた。
――君は、誰だ。
答えはまだ遠く、光も影も、揺れたままだった。
しかし確かに、海斗は初めて“失われた存在”の輪郭に触れたのだ。
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