第3話 背を向けた日

 それから、しばらくは平和だった。


 校内での視線が強くなったが、弱者だった奏多にやられた事を広めたくなかったのか、噂は水面下で広がっていった。


 ── それより、勉強で忙しい。


 元に戻ったとき、”奏多”に恨まれるのは避けたかった。


 ── 留年なんてしたら、何のために頑張ってるのかわからなくなる。


 すると、大ボスが出てきた。


◆◆


 ある日、佐々木に言われた。


「智史さんが連絡をしたいそうです」

「……智史? 誰ですか?」


 すると、佐々木が大きくため息を吐いて言った。

「相馬家の次男でございます」


 ── ああ。事故のとき、”奏多”を車道に突き飛ばしたヤツか。


「仲、悪いんじゃないです?」

「そうですが、奏多さんにメールをしても届かないと」


 ── そりゃ、”奏多”のアドレスとか、全て変更したから。


「でも俺、中身がこの状態だし、会わない方がよくないですか?」


 ── 身体は”奏多”でも、中身は”田中 悠人”なので。


 すると、佐々木がさらに大きなため息を吐いた。


「……一日でも早く、元に戻って下さい」


 ── そうしたいのは、やまやまですが。


◆◆


 ある日、本屋に向かってる途中で声をかけられた。


「よお、奏多」


 でも、まだ自分が奏多だという意識が定着してなかった。

 結果的に、無視して通りすぎた。


「おい、無視すんなよ!」


 相手の男が駆け寄ってきて、背後から強く肩を掴まれた。


 ── は?


 肩を外して、振り向く。

 同い年くらいの男が立っていた。


「誰?」


 男は一瞬、驚いたような顔をして、すぐに笑った。

「記憶喪失って、本当みたいだな」


 ── 記憶喪失? ……じゃあ、コイツは同じ学校のヤツか?


「悪いけど、急いでるんで」


 俺は、”奏多”に戻ったときのために、下手に人間関係を広めないと決めていた。


 去ろうとした瞬間、再び腕を掴まれる。


「行くなよ」


 強く払いのける。


「だから急いでるって。てか、誰?」


 周囲を行き交う人の、視線が刺さる。

 男が小声で言った。


「お前の”お兄さん”だよ」


 ── え? ……コイツが次男の智史か?


 そう思った瞬間、冷たい空気が流れた。


「何の用事だ?」


 低い声で聞く。

 智史は笑って言った。


「ははっ。お前が記憶喪失って言うから、本当か見に来たんだ。場所、変えようぜ」


 顎で“ついて来い”と合図してくる。

 だが、俺は動かなかった。


 ── 下手に行って、負けたら”奏多”に申し訳ない。


「行くとこあるんで」


 そう言って、立ち去ろうとした。

 たぶん、初めて”奏多”が智史に逆らった瞬間。


「は? 何言ってんだよ」


 いきなり掴みかかってくる。

 気配でわかったから、躱す。


「周囲、見てるよ」


 智史が慌てて周囲を見回す。

 その顔が、みるみる赤くなった。


「じゃ」


 そう言って、背を向けた。

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