第4話 斬る


 その教会は森の中にあった。

 少し小高い丘の上。春には花が芽吹き、夏には穏やかな風が流れ、秋には落ち葉が世界を色付け、冬にはこんこんと雪が降り積もる。


 シスターコナは、この教会の立つ森の丘が好きだった。


 季節ごとに違う景色を見せる世界の中で、子供たちが無邪気に遊んでいる。

 それは自分も孤児として、身寄りもなく生きてきたシスターコナにとって、穏やかで、平穏を感じられる優しい時間だったのだ。


 だから彼女は十年、二十年と孤児院を経営し、重ねてきたしわの数だけ、多くの子供たちを養い、育て、送り出してきた。


 送り出した子供たちの多くは、その後どうなったわからない。どこかの町で働いているのか、それとも遠く離れた場所で一人頑張っているのか。


 町から離れた教会からでは、知る由もないことだ。

 だからシスターコナは、いつまでも繰り返される季節を眺めて、かつて孤児院に居た子供たちの顔を思い出しながら、彼ら彼女らがどのような道を歩んでいったのかを、考えるのが好きだった。


 そしてこれからこの孤児院から旅立つ子供たちがどんな未来を歩むのか、移り行く丘の景色と共に見守ることが、シスターコナの生きがいだった。


「よくもやってくれたね、あんたら……」


 シスターコナの視線の先で、森が燃えていた。

 春に咲く花の蕾が、夏の風に舞う葉の揺らめきが、秋に実を付ける木々の姿が、冬に雪景色に染まる世界が、そのすべてが燃えて、灰になっていく。


 そして教会もまた、燃え盛っていた。


 燃え盛る教会の前には、異形の集団が立っている。

 それは二足歩行をしていて、おおよそ人の形をしているけれど、所々がおかしい姿をしていた。

 

 角を生やした怪物、毛に覆われた獣、形を定めぬ肉塊——人の形を保っている、それだけが異形たちの唯一の共通点だった。


 そんな彼らが、燃え盛る教会を背に、併設された孤児院の方へと歩いて来ていて、その中の一匹が警告するように大きな声で喋り始めた。


「魔王様が勅令也! 異教の神を燃やすべし、と!」

「そりゃ驚いた。そんなに器の狭い王様がいるんだね。はっ! 笑えて来た!」


 その声に対して、シスターコナは孤児院を守るように異形たちの前に立ちはだかった。


「子供たちに手を出すってんならタダじゃ置かないよ!」


 その言葉と共に、シスターコナを中心とした場所が輝き出す。

 それは夜に輝く月のように淡く、どことなく神聖な気配を感じさせる光を放ち、孤児院へと近づく異形たちへ攻撃的な威圧を振りまいた。


 ただ、異形の中で、一際背の高い、狼のような異形が、シスターコナの光を見て嘲り笑う。


「神の魔法、か。愚かなり、愚かなり。我らは魔王様の軍勢。なぜお前たちの王国が、我らが魔王様に屈したのかを知らないようだ」

「へぇ、そりゃそいつらの根性がなかっただけじゃないか? 試してみなよ、その魔王の軍勢の力ってやつを!! 一匹たりとも、この先に通しゃしないよ!」


 狼の異形が無駄だと警告するけれど、シスターコナは意気揚々と啖呵を切って、右手に杖を、左手に聖書を構えた。

 その構えは、聖職者に見られる戦いの構えである。しかし、異形たちの笑みが変わることはなく、むしろ堪え切れない笑い声が、燃え盛る炎の中に響き渡った。


「わっはっはっはっは!! あいつ、どうやらまだ、わかっていないらしいな!」

「……なに?」


 狼の異形の言葉に、眉をしかめるシスターコナ。その意味を彼女はすぐに理解することができなかったけれど――孤児院の方から聞こえてきた子供の悲鳴を耳にして、ようやく事態を理解した。


「まさか、もう孤児院に……!?」

「はっ! まさかまさかだ。私たちが、お前らとまともに戦うとでも?」


 新月の夜に不在の月の代わりに、三日月のような笑みが狼の異形の顔に刻まれていた。そして嘲り笑う声と共に狼の異形の肉体が躍動する。


「そして、動揺した獲物は実に容易に狩れるのだよ」

 

 躍動した狼の異形に対応するようにシスターコナが杖を振るったが、背後で聞こえてくる子供たちの悲鳴に気を取られてしまい、僅かに彼女の反応が遅れてしまった。


 その間に狼の異形はシスターコナの首を掴み、天高く掲げ首を締め上げる。


「聖書無くば神の言葉を唱えられず、杖なくば魔法を行使すること能わず。英雄と祭り上げられたお前らの王が魔王の前に屈したときも、魔法を失った奴の姿は実に滑稽だったものだ」


 狼の異形の言葉に、何か一つでも言い返してやろうとシスターコナが全身を使って足掻くけれど、彼女の首を締め上げる異形の手は万力のように固く、振りほどくことができない。


「か、はっ……」


 呼吸ができない。言葉を紡げない。詠唱ができない。

 異形たちを前にして、抗う術のすべてを奪われたシスターコナにできることは、何一つとしてなかった。


「さあ、死ぬがいい異教の信徒よ!」


 今わの際。

 シスターコナの頭に過るのは、かつてあった小高い丘の教会の姿。そして、その教会の前に走る子供たち。

 旅立った子供も、今いる子供も、全ての子供たちが楽しげに笑う、シスターコナの好きな景色。


(……悪いね、みんな)


 教会は燃え、森は灰となってしまった。

 子供たちの故郷を守れなかった無力さが、シスターコナの全身に広がっていく。


(せめて、今いる子供たちだけでも――)


 彼女にはもう、祈ることしかできなかった。

 子供たちの無事を。

 誰か一人でも、この地獄の中から逃げてくれと。


「さあ!」


 狼の異形の手に力が籠められる。ミシミシと、嫌な音を立てて骨がきしむ。意識が、沈む――


「人の家に攻め入るというのに、刀を持つ奴は一人もいないのか」


 その声が聞こえたのは、今まさにシスターコナの首がへし折れかけたその時だった。


「誰だ……なっ、わ、私の腕が!!」


 一瞬の声。一瞬の斬撃。ただそれだけで、シスターコナの首を掴んでいた異形の腕が切り落とされていた。


 遅れて感じた痛みに狼の異形はひるみ、重い音を立ててシスターコナの体は地面に落ちる。


「か、カハッ! げほっげほっ……なにが、起きたんだい……?」


 喉を手で抑えて苦しそうに言葉を紡いだシスターコナが、地面から顔をあげた。

 いつ殺されてもおかしくなかったあの状況で、誰かが助けに来たのだ。しかしこの教会で、自分以外に戦える人間はいない。もう一人のシスターであるシスターローズは、まだ実戦に足る実力を持たない。


 では一体だれが、自分を助けたのか。

 困惑することしかできないシスターコナの目に、白い影が映った。


 炎が照らす夜の中、白く透き通った髪を靡かせる少女がいた。

 その背丈は孤児院の中でもひときわ低く、頼りないものだ。しかし、その手に血にまみれた木の棒を握りしめ、どこで覚えたのかわからない男勝りな口調で彼女は話す。


 その少女は、不思議な子供だった。

 孤児院で保護した彼女は、赤ん坊のころから一度も泣いたことはなく、言葉を覚えたと思えば、粗野な男のように話し出す。物覚えは悪く、自分を探すようにぼうっとしていることが多かった。


 不安定で、不思議で、危うい子供だった。


 けれど今は。

 異形たちの群れを前にしたその少女の背中は、誰よりも頼もしく見えた。


「シスターコナ」


 この火事場の中でも、彼女の声色は変わらない。


「孤児院に居たやつらは全員斬った。シスターローズが、残った子供たちを保護してくれている」


 報告するべきことを報告し、白い髪の少女は改めて木の棒を握りしめた。それを見て、シスターコナはすぐに、彼女が異形たちに戦いを挑もうとしていることに気が付いた。


 だめだ、逃げろ――


 そんな言葉が、シスターコナの口から飛び出そうとする。


 そうだ。彼女は子供なのだ。守られるべきか弱き存在であり、今この時、この場に立つような人間ではない。


 なのに、そのはずなのに――


「やっちまいな、パルフェット!」


 いつの間にかシスターコナは、その背中を押していた。

 白い髪の少女は――パルフェットは、燃えるように紅い瞳を丸くして、シスターコナの方を見た。


 けれど、彼女が驚いた顔をしたのは一瞬だけ。

 シスターコナに背中を押されてすぐ、にやりと彼女は笑って見せた。


「ああ、そうか」


 彼女は笑い、何かに気づいたように空を見る。

 新月の夜。真っ暗な空に向かって、彼女は言った。


「俺も、人を守ればいいんだな」


 それは、かつてあった前世への返答。


「仏様、あんたが俺をこの世界に連れてきた意味が、ようやく分かったぜ」


 それは、今この世界に生れ落ちたことへの回答。


「前は自分を守るために生きてきた……それだけじゃだめだったのは百も承知だ。だからあんたは、俺にやり直しの機会を与えてくれたんだ」


 空を睨み。

 空へ笑い。

 空に感謝する。


「今度は自分を守るためじゃねぇ! 人を守るために生きるんだ! ああ、そうだ。俺の剣は、この技は、そのためにある!」

「なにをごちゃごちゃと言ってやがる!」


 空を仰ぐパルフェットへ、狼の異形が掴みかかった。

 まだ十歳でしかないパルフェットの体は、異形からしてみれば小人もいい所。掴んだだけで、ぐしゃぐしゃになってしまいそうなガラス細工の肉体だけれど――彼女を掴もうとした腕は、瞬く間に切り刻まれて、その姿は影も残らない。


「覚悟しろよ魔王とやらの手先共」


 両腕を失った狼の異形へと。

 或いはその異形の背後にいる異形たちへと。

 血に濡れた木の棒の先っぽを向けて、パルフェットは宣言する。


「人を守ることを覚えた俺は強いぞ」


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