第3話 穏やかな時間

 教会の朝は早い。

 カーンと目覚ましの鐘が日の出と共に鳴り、孤児院の子供たちは掃除や草取り、家畜への餌やりと、自分たちの仕事が始まる。


「アネッサがまたなんかやってる!」

「なになに! 見たい見たい!」


 ある日の孤児院より。

 いつものように自分の仕事を終わらせた後、パルフェットが教会の周りを歩いていると、孤児院の子供たちが何やら騒いでいるところを発見した。


「何をしているナオン、ドーランド、ベティ」

「お、パルフェットも来たか。お前も来るか?」

「ほほう。さてはお前ら、なにかたくらんでいるな?」


 騒いでいたのは、ナオン、ドーランド、ベティの三人だ。男子が二人。女子が一人。年齢で見ればパルフェットのひとつ上に当たる六歳の三人は、いつもつるんで遊んでいる。


 そんな三人が何を見つけたのか。パルフェットも気になるところ。好奇心を胸に、彼女は兄貴の後を追いかける妹のように、その後ろについて行った。


 そうしてたどり着いたのは教会の裏手の丘。少し小高いその場所は、洗濯物を干すのにうってつけのスポットだ。


 そんな場所に、ぽつんと一人で何かをしている子供がいた。

 

 アネッサだ。


「ナオンよ。アネッサの奴は何をしているんだ?」

「知らね。でも掃除してるって感じじゃないぜ」


 ナオンの言う通り、アネッサの様子は洗濯物を干している感じでもなければ、掃き掃除をしている様でもなかった。


「なんか振り回してる? 野蛮だにゃぁ」


 ベティが言う通り、アネッサは何かを振り回していた。

 箒だ。箒を振り回している。


「新手の掃除方かぁ?」


 ドーランドが疑うのも無理はないが、パルフェットの目には、アネッサが何をしているのかがすぐにわかった。


「ありゃ剣だな」

「剣ぅ?」

「ああ、剣だ。だいぶ粗末だが、剣みたいに振ってやがる」


 ベティの言葉に、確信をもってパルフェットはそう答えた。


「面白そうだ」


 そう言ってパルフェットは、アネッサの方へと歩き出す。こそこそと隠れてみていた三人は、驚いたように目を丸くするけれど、野次馬精神が勝り、彼らは彼らで事の成り行きを見守ることにしたようだ。


「アネッサ!」

「パフィ!?」


 さて、アネッサの前に現れたパルフェットは、まるで道場破りに来た浪人のように声をあげて、仁王立ちした。


「ま、まさか今の見てた……?」


 対してアネッサは、恥ずかしげに顔を赤くした。箒を剣に見立てて振っていた姿を、見られたくはなかったのだろうか。


 とはいえそんな気持ちを汲み取らず、堂々とパルフェットは言うのだ。


「木刀もなく剣の稽古とは威勢がいいな! 俺も混ぜろ!」

「やっぱり見てたじゃん!」


 そう言ってパルフェットに掴みかかるアネッサ。


「絶対誰にも言わないで! シスターコナに知られたら怒られちゃう……!!」

「怒られるのか?」

「そうだよ! 危ないことするなって、絶対怒られるに決まってる!」


 どうやらシスターコナに怒られたくないアネッサである。ただ、それならどうして、箒なんて振り回していたのか。

 それをパルフェットが訊ねてみれば、少しだけ言い難そうに言葉を濁しながらも、アネッサは答えた。


「私ね、冒険者になりたいの」

「冒険者?」

「うん。魔物を退治してお金をもらう仕事」


 アネッサは続ける。


「私たちの孤児院って、貧乏じゃん?」


 身も蓋もない言葉だけれど、アネッサの言う通りだ。

 朝食は子供の人数の半分しかないパンを分け合っているし、夕食のスープにお肉が入るのは、年に一回の収穫祭の日だけだ。


 そもそも教会を見れば、所々修繕が間に合っていないのがよくわかる。


「シスターも写本を売ってなんとかしてくれてるけど、夜遅くまで写本してるところを見ると、苦労かけてるなって思っちゃって……」


 さて、話している内に羞恥心が消えたのだろうか。言葉を重ねるたびに彼女の口調は勢いづき、姿勢もだんだんと誇らしげに胸を張ったものに変わっていく。


「そこで私は考えたのよ! 私が稼げばいいじゃないと!」

「ほう」

「冒険者が学が無くても稼げるって話だし、強い魔物を退治すれば王都暮らしも夢じゃないってさ。それなら私でも、孤児院のみんなにいい思いさせられそうじゃない?」


 得意げに語る彼女は、教会の方を見て語った。


「叱られるのは嫌だけどさ。私、シスターコナのことは嫌いじゃないから」


 そんな風に言うアネッサの瞳には、シスターコナへの尊敬の感情が見て取れた。それから彼女は、勢いよく箒を振り上げて言った。


「だからこれは予行演習! 12歳になったら冒険者になれるらしいし、五年後に向けて今から剣を振れるようになって、すぐにでも稼げるようにならないと!」

「なるほど、素晴らしい志だな」

「でしょでしょ!」


 貧しい家族のために出稼ぎをするというアネッサの覚悟を、パルフェットは否定しなかった。その時ふと、彼女は昔の記憶を思い出した。


 かつての悟郎が、木の根にかじりついて飢えをしのいだ、凄惨な幼少期。


 彼女の働きで、孤児院の子供たちがそんな日々を送らないでよくなるのなら、それは素晴らしいことだとパルフェットの中の悟郎は称賛した。


 そして――


「なあアネッサ。少し箒を借りてもいいか?」

「ん? いいけど、あ、まさかパフィも冒険者になりたいの?」

「まあ、そんなところだ」


 そう言って、アネッサから箒を受け取ったパルフェットは、箒の端を握り、ブンと横に振った。


(懐かしいな)


 かつて剣鬼と恐れられた人斬り悟郎は、今や異世界の孤児として生きている。


 当然、振った箒にかつてのような威圧はなく、力も速度も子供同然のものでしかない。けれど――こうして何かを振り抜く感覚だけは、変わらない。


 世界も違えば肉体も違う。けれど、あの六十余年を生きた剣鬼は、未だ自分の中に巣食っているのだと、彼女は強く意識した。


「パフィが冒険者になったらさ。一緒にパーティを組もうよ!」


 さて、そんな風にパルフェットが感傷に浸っていれば、テンションマックスなアネッサが、そんなことを言ってパルフェットに抱き着いた。


「パーティ?」

「一緒に冒険する仲間って意味!」

「ほぉ。それはなんとも、面白そうだな」

「あ、でもパルフェットが冒険者になるころには、私は14歳か。二年も開いちゃったら、流石にパーティ組むのは難しいかな?」

「いいじゃねぇか。その時は、ライバルってことで競い合えば。アネッサなら、きっといい冒険者になっているんじゃないか?」

「それもそうだね! ふふん、貴方の姉は手ごわいよパフィ!」


 昔のことを思い出しつつも、今は違うとパルフェットは自分に言い聞かせた。


 あの日、あの時、野盗の刀を奪った五歳の悟郎はもういない。


 今ここにいるのは、孤児院の子供パルフェット。親に捨てられつつも、頼もしい家族と生きる、平凡幸せな少女なのだ。


 そもそも、彼女は生まれ変わった。

 血染めの刀を振るう剣鬼と成った人生に幕を閉じ、仏様の粋な計らいか、新たなる生を歩み出したのだ。この際、過去のしがらみなど捨てて、パルフェットという新たな生に一生懸命になるべきだと、彼女は思った。


 貧しくとも、未来は幾らでも広がっている。

 アネッサの言う通り、彼女の後を追いかけるように冒険者になってもいいし、孤児院のシスターとして神に使えるのも悪くない。

 街に行って働くのはどうだろうか? 或いは、前世ではすることのなかった恋を探してみるのもいいかもしれない。


 まだまだ五歳。

 きっとなんにでもなれるだろう。

 きっとなんでもできるだろう。


「アネッサ。暇があれば、俺も剣術の練習に混ざっていいか?」

「いいよ、大歓迎! ……あっ! でもシスターコナには内緒にしてよ!」

「もちろんだ」



 ◆



 ――さて、それから五年の月日が経った。


 孤児院の一員として、清貧な生活を送ったパルフェットは、何事もなく十歳を迎える。

 この頃になれば、この世界の常識も一通りそろってくる頃合いであり、シスターコナに怒られることも少なくなった。


 時に彼女はナオン、ドーランド、ベティの三人と共に、好奇心に駆られるがままに森を駆け抜けたり、アネッサの剣術練習に付き合ったり、神に祈りを捧げたり。


 そんな日々が、パルフェットという人間を育んでいく。

 その頃になれば、かつて存在した悟郎という人斬りの人生も薄らいで、パルフェットも少女らしい一面を見せるようになってきた。


 教会は今日も、朝を報せる鐘の音を鳴らし、今まで続いてきた平穏な日常の訪れを教えてくれる。


 カーンと。


 カーンと。


 カーンと。


 音がする。


「なん……だ……?」


 朝を報せる鐘の音に目を覚ましたパルフェットが、ゆっくりと体を起こしてあたりを見回した。けれど、窓の外は暗く、太陽が昇っているようには見えない。


 果たして、酔ったシスターが間違えた時間に鐘を鳴らしたのか? そう思ったけれど、何か様子がおかしい。


 鐘の音は今も鳴っている。


 カーン。カーン。カーン。


 それはどこか焦るように早く、何かを伝えるように力強い。嫌な予感がする。嫌な気配がする。ぞわぞわと、パルフェットの背骨から何か、汚泥のような黒い感覚が脳髄を伝って昇ってくるようなしびれを感じる。


「外に出るか……?」


 パルフェットはベッドから降りて、ベッドの下に隠していた、剣術練習用の木棒を握った。


 それからおかしな鐘の音の理由を確かめるために、外に出ようとしたその時――パルフェットの部屋の扉が開いた。


「……ドーランド?」


 扉の先にはドーランドが立っていた。

 けれど、様子がおかしい。


 息を切らした彼は、真っ青な顔をしてパルフェットを見ている。そんな彼の首から下は、白い寝間着を染めるような赤に覆われていた。


 それは見たことのある赤だった。

 前世に、一生をかけて見続けた赤だった。


「なにがあったドーランド!!」


 倒れるように部屋に入ってきたドーランドを支えつつ、パルフェットは何があったのかをドーランドへと訊ねた。


 すると彼は、絶え絶えの息を何とか呑み込みながら、苦しそうに言葉を続けた。


「逃げろ、パルフェット……!!」


 その言葉と同時に、扉の前に新たに一人の人間が現れた。


 人間。いや、人間というには、そのシルエットはあまりにも異形だった。


「子供、はっけぇん」


 まるでキノコのように巨大な頭を持ち、木のような皮膚を持った人間のような怪物が、喜悦に塗れた声色で、パルフェットたちの前に立つ。


 彼の声を聞いてドーランドがまた、今度は更に強い力を込めて、パルフェットへと言った。


「逃げろ、パルフェット! 変な奴らが……襲って来たんだ……!」


 その時ふと、窓の外に目がいった。


 窓の外。

 月のない夜の景色。

 孤児院の子供たちの家の外には教会があって、パルフェットの部屋からは、教会が見えた。


 教会が、燃えている。

 まるで月を落としたような光が、空へ空へと立ち上っている。


「はぁい、ちゅうもーく」


 キノコの怪人が喋る。


「君たちの国のエルディア王はぁ、魔王様に屈服したの。全面降伏。だから、君たちが今まで祈ってきた神様は邪神ってことでぇ、教会は全部取り壊されることになりましたぁ!」


 愉快な様子で、楽しげに、語る。


「子供! 子供子供子供子供ぉ! 子供は好きにしていいってぇ、言われてるからぁ――」


 キノコの怪人が膨れ上がる。そしてキノコ頭だと思っていたソレは、真ん中からまっすぐ割れて、巨大な口となった。


 口が震え、声が聞こえる。


「子供ぉ食べるぅ!!!!」


 巨大な口がパルフェットに近づいた。

 それは大きな袋のようで、一口でパルフェットをドーランドごと平らげてしまうだろう大きさだ。


 口にはいくつもの歯が剣山のように並んでいる。奥には巨大な舌ベロが備わっていて、それはべろべろと芋虫のようにうごめいている。


 すべては、口にした獲物を余すことなく愉しむための器官だ。

 おそらくこの怪人は、今までもこの巨大な口で、いくつもの命を味わってきたことだろう。


 ただ――


「――あ/れぇ……?」


 今宵は相手が悪かった。


「そうかお前は、弱い奴を好むのか」


 子供の声が聞こえた。

 それはついさっき、怪人の前に立っていた少女と同じものだ。しかし、その声に纏う気迫が、比べ物にならない。


「ならば悪いな。俺はお前に食われるほど、弱くない」


 彼女が持っていたのは木の棒一本。それが高く振りかざされたかと思えば、向かいくる怪人の口が真っ二つに裂けた。


 否、口だけではない。

 怪人の顔が、体が、足が、手が。そのすべてが細切れに寸断され、どす黒い血が部屋の中に舞い散った。


 その中で、一滴の血も浴びることなく、崩れ落ちる怪人の死体の上に、パルフェットは立っていた。


「……パルフェット?」


 その一部始終を見ていたドーランドが、訪ねるようにパルフェットを見る。


 姿は彼の知るパルフェットと変わらない。

 小さな体。可愛らしい容姿。白い髪に、大きな紅瞳。


 けれど彼女が纏う気迫は、全く別人のようだった。


「もう二度と、血生臭い世界にゃ入ることはないと思ったが――そんなうまい話はねぇか」


 彼女は抱えていたドーランドをゆっくりと床に降ろした後、木の棒に着いた怪人の血を振って払い、窓の外を見た。


 今も教会を燃やす炎が、夜の暗闇を煌々と照らしている。


 それは前世に見た、悟郎の家を焼いた炎にとてもよく似ていて、はらわたが煮えくり返るような気分がした。


 ならば彼女の腹を沸き立たせる炎は、敵の血によって消化しなければならないだろう。


 前世でそうだったように。

 生まれ変わっても変われないと呟きながら。


「悪いな、仏様。どうやら俺には、こんな生き方しかできないみたいだ」


 ある女がいた。


 女は五つの頃には剣を握った。

 剣と言っても、それは棒切れ。

 しかして、彼女の剣技にかかれば真剣すらもひれ伏す業物となる。


 そして彼女は、怪人を斬った。


「ちょっくら魔王、斬ってくるわ」


 十を迎える頃に、女は人を斬ったのだ。




 

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