【43 宴のあと】

 お茶会が終わって数日。

 わたしはまた以前のように、アルフェネル様の教師を務めている。

 このところは教師というよりも相談役で、意見を交わしながら同じ仕事を進めていっている、というような感覚なのだけれど。


 困っているのは、あのお茶会以来、気分が塞ぎがちだ、ということ。覚悟が必要とは言っても、それはすぐに固めてしまえるものではないし、頭で理解はできても心がなかなか追いつかない、という部分ではある。


 魔法を領内で広く使おうということにも、それによって様々なことが変わるであろうということにも、そのために他所から来た娘が辺境伯家の賓客として扱われているということにも、反発を覚えるひとはいておかしくはない。

 頭では、理解している。


 お茶会の場で見せられたのは、そのような反発から来る悪意や敵意だった。ある程度は覚悟していたし、心強い味方がいてくれる、ということも改めて理解できた。

 でも、フランは、そのために危害を加えられそうになっている。何も起きなかったのは、ラネス様がいてくれたから、というだけのことだ。わたしは何もできていない――手を掴まれ、動きを制限された状態では、咄嗟に魔法を使うこともできなかったのだから。


 アルフェネル様にそれとなく話を振ってみたけれど、アルフェネル様ご自身は、魔法を活用することで領内を豊かにする、という方針を変えるおつもりはなさそうだ。ただ、順序や方法は慎重に考えなければ、ということを仰っていたから、いろいろと考えてくださっているのだろう。


 そのようにして数日が過ぎ、いつものように夕食を終えて食堂から出たわたしたちを、アルフェネル様が呼び止めた。


「今日の授業が終わったあとで、お二方には少々お時間をいただきたいのですが」

「はい、それはもちろん、差支えなどありませんが……アルフェネル様、どのような?」

「少々込み入ったお話になりますので、そのときに」


 アルフェネル様の言い方は、少々珍しいな、と思った。わたしはフランと顔を見合わせる。フランも、どのような話になるのか、想像がつかないらしい。

 わたしはアルフェネル様に向き直って、よろしくお願いします、と頷いた。


「ありがとうございます。授業が済んだら、お部屋に使いのものを出向かせますので」


 授業のときはいつも、フランは部屋で仕事をしながら待っていてくれる。アルフェネル様はそれを知っていて、呼びに行ってくれるのだという。いつも見せてくださるそういう心遣いは、わたしたちにとってとてもありがたいものだ。


※ ※ ※ ※ ※


 授業は滞りなく済み、フランが談話室へやってきた。侍女が3人分のお茶を淹れなおしてくれる。爽やかなベルガモットの香りが、談話室に広がった。


「ありがとう。ああ、君たちは外しなさい。少々込み入った話になる」

「……ですが、若様」

「彼女を半月以上も見てきて、間違いが起こりそうだとは思わないだろう? それに、間違いのないようにフランツィスカ嬢にも御同席いただくのだ」


 侍女は答えない。やはり『間違い』のないように、ということだったのね、と納得するような気分になった。それはわたしのためだったのか、辺境伯家のためなのか、たぶん両方なのだろう。


「父上と母上には私から説明する。万が一のことがあったならば、君たちは私に強く命じられてやむなく、と言えばよい。外しなさい。呼ぶまで入ってこないように」


 そうまで言われてしまうと、使用人としては従うほかないのだろう。侍女は黙って一礼し、まだ壁際で控えていた従者と一緒に、部屋を出てゆく。わたしはフランと顔を見合わせた。フランかかすかに首を振る。やはり彼女にも、どういうことかわからないらしい。


 静かに扉が閉まって、わたしたちは談話室に3人だけになった。


「申し訳ありません、ユーラリア嬢、フランツィスカ嬢。ただ、あまり彼らに聞かせたい話ではないのです」


 わたしはいいえ、と首を振る。


「わたしたちは、よいのですけれども……その、お話というのは?」


 まあどうぞ、とアルフェネル様が応じて、湯気の立つカップにミルクを注ぐ。わたしたちもアルフェネル様に倣った。

 口をつけると、香りの爽やかさと味のまろやかさが調和して、気分を落ち着かせてくれる。


「お二方に伺いたかったのはひとつだけです」


 言葉を切り、ティーカップを置いたアルフェネル様が、正面からわたしを見つめる。


「あなたたちは、いつエリューシアにお戻りになるのですか?」


 頭の中が真っ白になった。どうしようもなく手が震える。どうにかカップの中身をこぼさずに、テーブルに置かれたソーサーへ戻す。かちゃん、という硬い音が響いた。

 どう答えればよいのか、わからなかった。何か言わなければ、と思って口を開いて、何も言えずに口を閉じる。


「アルフェネル様」


 フランの声が硬い。わたしを守ろうとするように、膝に置いた手に彼女の手が重ねられ、もう片方の手は肩に置かれる。


「わかりました。よいのです。いずれ――お尋ねせねばならないことでした。ユーラリア嬢は、教師や相談役として振る舞ってくださっている。しかし、こちらへ来られたのには、別の目的もあった。たとえば、私の妻になる、というような。違いますか」


 アルフェネル様の口調も声も穏やかで、わたしたちを責めるようなものではない。ただ淡々と、確かめるべき事実を確かめている。そういう口調だった。


「お嬢様」

「ここまでご存じの上でのお尋ねなのよ。隠しても、意味がないの、もう」


 フランとの会話で、もう答えは知れてしまっている。でも、自分の口から言わなければいけない。


「仰るとおりです、アルフェネル様。あちらでは、その――これは、婚約と結婚の話、ということに」


 わたしの言葉に、アルフェネル様は頷いた。


「最初に違和感を抱いたのは、こちらへいらっしゃるまでの性急さでした。報酬も期限も提示がないまま、おふたりをこちらへ送られるという。報酬は、まだ理解できます。アウレーゼのお家とは、魔石の取引がありますから。それを続けること、あるいはアウレーゼ家に有利な条件で続けることが、報酬と言えるのかもしれません」


 まさにそれは、わたしたちがしていた誤解そのままだ。


「ですが、期限については説明がつかない。ユーラリア嬢、フランツィスカ嬢、あなたたちも、期限や報酬については、間接的にも直接的にも、一切口になさっていません」


 わたしはまた頷く。ルーチェに教えてもらうまでは、これは結婚話だった。だから期限も報酬もない。お互いのよりよい人生を報酬に。死がふたりを分かつまで。結婚とはそういうものだから。


「ユーラリア嬢は、素晴らしい知見をお持ちだと思います。私は学究の徒ではありませんが、それでもあなたの知見の広さと深さは垣間見ることができる。その知見を私に伝えるだけでなく、私以外の者に伝えられるような教師の育成にまで、ご自身で積極的に携わろうとなさっていた。それは確かに、私たちとしてはありがたく、そして合理的な話でもある。ですが、ご承知のとおり、時間のかかることでもあります。遠い国から来られた女性が、個人的な教師として乗り出せるような事業ではありません」


 その話をした頃にはもう、結婚話ではない、ということはわかっていた。でも、帰るところがないわたしは、そのことを計算に入れずに計画を立て、自分で関わっていく、というほかに選択肢がなかったのだ。


「そしてユーラリア嬢、憶えておいでかどうか……あなたはその時間のかかる事業を『最初の目標』と仰ったのです」


 わたしはもう一度頷いた。たしかに、言った記憶がある。その言葉に、アルフェネル様が引っ掛かりを覚えたらしい、ということも。


「ここまでは確認です。私たちはようやく、同じ前提を共有できた。本題は、ユーラリア嬢、その上で、あなたがどうなさりたいか、ということです。選択肢はみっつある」


 言いながら、アルフェネル様は、指を三本立てた手を、わたしに向けてみせた。


「ひとつ。あなたは、望むときにエリューシアに帰ることができます。これまでのご教授とご助言に対して、適切と思われる報酬はお支払いします。もちろん、お家との取引は従来を下回らない条件で継続するよう、私から父に口添えしましょう。その旨の書状も、あなたにお持ちいただきます。父も喜んで受け入れるかと」


 わたしは首を横に振った。そもそも帰ったとして、わたしに何が残されているわけでもない。


「ふたつ。あなたは、ザールファーレンに留まることができます。必要な手配は、全て当家が責任を持って計らいましょう。家と必要な使用人、様々なものを入手するための伝手や取引先の紹介。あなたがもし引き続いて、教師や相談役として働いてくださるのであれば、相応しい地位と報酬も」


 頷きかけるわたしを手振りで制して、アルフェネル様は言葉を続ける。


「みっつ。これは私の、個人的な希望でもあるのですが――あなたには、この館に留まっていただきたい、と考えているのです。あなたたちがここにいらっしゃった、当初の目的のとおりの立場として」


 その言葉の意味が頭に沁み込むまでに、半瞬の時間が必要だった。


「――つまり、ユーラリア嬢、私との婚約を前提に、ここに留まっていただきたいのです」

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