楽園のアーディア

星都ひと

プロローグ

楽園追放Ⅰ

 窓の無い教会に歌声が響く。

 教会に望まれる讃美歌ではなく、さりとて流行曲でもない。学校で習う、簡単な合唱曲だ。


「まーた埃が溜まってる。全くもう、キリが無いなぁ」


 歌声の主、ピンク髪の少女は弾かれる事のないパイプオルガンの埃を簡単に手で払う。

 供物として持ってきたあまり美味しく無いパン(齧りかけ)をモニュメントの下に置き、そろそろ忘れそうな祈りの言葉を上げる。ただでさえ熱心な信徒ではなかった。惰性での参拝に掃除までしているのだから、と自己弁護を心の中で重ねる。それを指摘する人間がいない事を最適とは決して言わないが。


「うーん、そろそろ行こっか」


 今日は雨が降りそうな匂いがする。埃と砂を適当に掃き、まだマシな長椅子でゴロンと寛いだ少女は退屈そうに起き上がる。肩の先まで雑に伸びた桃色の髪に付いた砂を払い、教会の前に置いておいたバケツと雑巾を持って舗装がめくれた道を歩く。


 やはり合唱曲を口遊み、手頃な石を蹴り飛ばす。蹴り心地が良く、三日前から蹴り飛ばしていた石だったが、力加減を間違えた。割れ欠けてた石は家屋の瓦礫の隙間に入っていき、少し未練がましいが這い蹲ってまで取る程でも無いと諦める。


「学校って一番最初に逃げ込む場所、なんて習った気がするんだけどなぁ」


 週に三度は通る瓦礫の山を過ぎ、ようやく少女は目的地である学校の隣の墓地へと辿り着いた。


「久し振り、って言われるほど待たせてないと思うけど」


 今更思い出話も無い。今日食べたチーズがかびていた、飼っていたハムスターが逃げた、拝借した靴がまた壊れた、といった取るに足らないエピソードを並べながら墓石を拭く。一通り吹き終えたら次、といった形でさっさと家族と友人の墓を拭き終える。


 こんな物でいいか、とそこら辺でなんとか咲いている雑草染みた花を置き、手を合わせる。


 思っていたより早く予定が終わった。次はどうしようか、と少女は悩むふりをして空を眺めた。どうにも雲が厚い、山での食料採取はやめとこう、そう決めた直後の出来事だ。ざくり、と土を踏みしめる音が少女の耳へと届いた。


「足音……? 大きい動物、かな?」


 色々あったこの村には、もうネコ以上の大きな動物はいない筈だ。が、土地自体が汚染された訳でも無い、他所から動物も入って来ることがあるのだろうか。それにしたって、幾つかの仕掛けはある筈なのだが。


 少女は音の方へ目を凝らしてみると、予想通りだが予想外の物を見る。

 その生物は、獣よりも遥かに大きい。


「男、の人……?」


 正気とは思えない程紅い、それこそ血の色をまとめたポニーテール。少し肌寒い季節とはいえ、やや大袈裟に見える厚めのコートにはどこか気品がある。


「――生存者を探しに来た」


 深い深い漆黒の瞳が印象的な男だが、それよりも注目するべきは、顔の右半分を覆う紋様だろう。見る人をギョッとさせる禍々しい紋様は、赤髪の男の浮世離れした異質感を際立たせている。


「生存、者?」


 初めての挨拶、そして久しぶりの会話にしてはあんまりだ。と、少女は思っているが男は気付かないように話が先に進む。


「有事に備えて軍事基地を作れる土地を確保しておこう、その程度の予防措置で軍事大国に滅ぼされた村。包囲殲滅の徹底、誰もが殺された筈の村で生き延びている奴がいればいいな、と思って来た」


 一方的に話す赤髪には、強者の存在感を放つ芯と、瞬き一つで消えてしまいそうな儚さが同居している。

 久しぶりに見た人間を、少女はけっこー胡散臭いなと思った。


「……何でもいいんだけど、助けに来てくれたんだよね? ですよね?」

「お前次第だ」

「ビックリ、冷たい! 見ず知らずの篤志家が助けに来てくれて、これからたっぷり甘やかしてくれると思ったのに!」

「厚かましいな、お前。生存者を探しに来ただけだ」


 男は少し呆れたように溜息を吐いた。

 合唱に混ざれば綺麗なテノールを歌うかもしれない、と少し関係ない事に頭が回って来た。


「が、お前の望みを叶えられる環境を提供するつもりはある。生き残った奴には褒賞が与えられて然るべきだ」

「やった! 助けてくれるんだよね⁉」

「助ける、が……」

「が?」

「俺は、お前が生理的に無理だ。胡散臭いし、あまり信用も出来ない」

「こんなうら若き少女に投げかける言葉じゃないよね⁉ 鏡見た事無いの⁉」


 安全な土地まで連れてってもらったら、絶対にしっかりとキレよう。少女は心にそう決めた。


「条件、もしくは証明。生理的には無理だが、理想の人材である事には違いあるまい」


 いつの間にか男の両手には、二丁の拳銃が握られている。玩具と思い込むには嫌な光沢と重厚感がある。


「ルールを説明する。これから一分間、俺はお前を殺そうとする。普通に推移すれば間違いなく殺せる程度の力で、俺はお前を殺す」

「えっ⁉ 殺されるの⁉ なんで⁉ もしかして助けに来てくれたんじゃなくて、残党狩りとかをしに来た人⁉」

「確認作業だ。しかし、確かに性急すぎるか……善意だ、一つくらいは疑問に答えてやる」

「善意って言うなら、一つと言わずに一から順に全部説明して欲しいんだけど……」

「始まりまで、残り十秒」

「もっと厳しくなった!」


 あまり状況を整理できていない。だからこそ少女は真っ先に浮かんだ、絶対に嫌な事が自然と口を出た。


「名前も知らない人に殺されたくない。名前を教えて」

「善い質問だ。ヒイング。ヒイング・メイキス。俺の名前だ」


 赤髪の男――ヒイングは少し満足そうに答えた。


「十秒後に追いかける。逃げるなり立ち向かう準備をするなりしろ」


 やはり何が何だかわからない。だが、少女はここで死ぬわけには行かない。与えられた時間で少女は廃墟と化した学校へと逃げ込んだ。


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