06 とある遭遇
パーティーの喧騒も遠ざかってきた、寮へと向かう廊下。そこまできてようやく、歩く速度を少し下げる。
まだ雪の季節も終わったばかりだからか、日が沈むと肌寒い。換気のために開け放たれた窓からは、澄んだ星空がのぞいていた。
初等部も含めて九年目になるけれど、まだこのだだっ広い校舎全てを理解しているとは言えない。今日は見回りの先生もほとんどいないだろうし、道には迷わないようにしないと。あの寮への道は、まだうろ覚えだ。
「へぶっ」
この先の道筋を思い出しながら歩みを進めていると、突き当たりの曲がり角を曲がった瞬間、何か固いものが胸元にぶつかった。
それは間抜けな声をあげて、反動で後ろによろめく。
「いってて……ごめんなさぁい……」
尻餅をつき、鼻の頭を押さえながらこちらを見上げてきたのは、流れる水のような髪色をした小柄な女の子だった。上履きの色を見るに、二年生らしい。
頭から水をかぶったみたいに、先ほどもまで抱えていた憤りが冷めていく。なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。
「……大丈夫?」
いちおう、先輩として手を差し伸べてみる。
「んん……ああっ、あなたは! ルナ先輩のルームメイトになった、フレーヴァ先輩じゃあありませんか! はじめまして、わたし、ソフィア・ヘンダーソンと申しますっ」
そう言ったその子は、ちょこまかとした動きで姿勢を直し、背筋を伸ばしてこちらに向き直る。
なんだか騒がしい子だ。
「アイツの? まぁ、否定はしないけれど」
事実だし。
初めはコイツも茶化してくるのかと辟易しかけたけれど、どうやらそういうわけではないらしい。なぜだか知らないが、むしろキラキラした眼差しをこちらに向けてくる。
改めて頭からつま先まで見直してみても、ごく普通の女子生徒といった感じ。ブラウスの第一ボタンを開けていることくらいは、べつに禁止されているわけでもないし許容範囲だろう。新緑色の瞳も第一印象にふさわしく、底抜けにドジで活発な子、というイメージにピッタリだ。
「わたし、ルナ先輩の大ファンなんです! それはもう、毎週のように『落ちこぼれ寮』のお部屋に通うくらいで」
「そ、そうなの?」
もっとも、アイツを崇拝しているようでは、私とは絶対相容れないタイプでしかない。あの変人のどこがいいのだか。
「ルナ先輩は、完成された黄金比そのものなんです。あのひとの美しさは、見ればわかったでしょう? わからないとは言わせません」
彼女は、その「美しさ」とやらを早口で説く。
確かに美形なのかもしれないけれど、そう手放しに誉めたくはない。あのニヤニヤした笑い方は、なかなか好きになれるものじゃあないし。
というか、通常の生徒にとっては、関わっても損しかない落ちこぼれの巣窟にわざわざ行くなんて、ますます意味がわからない。そんなことをしていたら、自分が落第してしまってもおかしくないのに。
この子の場合は、それこそが本望なのかもしれないけれど。
「いえ、流石のわたしも『落ちこぼれ寮』の一員になりたいとまでは思いませんが。そうなってしまうと、お父さんお母さんにも心配かけますし。あくまでいちファンとして、応援していたいのです」
「そう……まぁ、そんなことはどうでもいいわ。食堂に戻るんでしょう、それなら早く行きなさい」
「お父さんお母さん」という言葉が、胸にちくりと針を刺す。落第しても心配してくれるような、彼女の両親を羨ましいと想わないと言えば嘘になってしまう。
「はいっ! お優しいんですね、先輩は。またお部屋に遊びに行きますから、そのときはよろしくお願いします!」
丁寧にぺこりと頭を下げて、「さようなら!」なんて手を振りながら曲がり角の先に歩いて行った。
まったく、嵐みたいな後輩だった。
そうだ、あの子に遭って思い出したけれど、私はこれからアイツの相手をしなければならないのだ。おそらくもう部屋に帰って、好き勝手やっているであろうアイツの。
そう考えると頭痛がしてくる。なんで一日に、こんないくつも面倒ごとを経験しなければならないのか。
まっすぐ続く廊下は、寮と校舎をつなぐ渡り廊下を越えると、一気に貧相になる。
たいていの生徒は、夜遊びに出ているか部屋にこもっているのだろう。静かで、話し声のひとつも聞こえない。照明も点々とある蝋燭の光だけで、視界が悪くて足元が不安定だ。
こんな屈辱的な現状も、魔法なんていうツールじゃどうにもならないのが憎い。
散々私を縛り付けてきた癖に、何も与えてくれるわけじゃない。むしろ私を苦しめて、人生を摩耗させていくだけ。
それでも縋らないとやっていけないんだから最悪だ。
考え込みながら歩いているうちに、一度通りすぎかけてしまった二〇四号室のドアノブに手をかける。
そうだ、この部屋には鍵すらついていない。プライバシーもへったくれもないというか、私たちを苦しめる気しかない作りにされているというか、兎にも角にも酷い寮だ、ここは。
鍵がない風呂もないお手洗いもない。水場が共用だなんて、個室だったついこの間までだったら想像できなかっただろう。
「ノワール、いるかし……ら!?」
「おかえり、愛しの友よ!」
私が驚いたのは、その食い気味な大声に対してではない。
彼女は寮室で入浴していた。
その言葉のまま、おそらく土魔法で大理石の浴槽を構え、部屋中に湯気を充満させていた。
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